50も過ぎたおばはんが、欅坂46の話をするのはおかしいかに。
でも、「黒い羊」を聴いたとき、
「これ、私の唄だ!」
と思った。
私もまた、黒い羊として生きてきた。
全員が納得する答えなんてないと思うし。
他の人と何かが違うことは、何となく感じてきた。
そんな私が小学生かな、中学生かな、とにかく子供の頃、
こんな唄があった。
人には黒く見えるカラスが
自分には白く見えてしまう
黒く見ようと努力するのに……。
この唄も、今なら歌詞の意味がわかる。
私にも、そういうところがあるから。
「美伊さんは、1+1=5だって言い張るみたいなところがあるよ」
って、高校のクラスメイトにも言われた。
その時私は怒ったけど、1+1=2だよってどんなに言われても、
1+1=5だと思えてしまう私がいた。
どこか、人と違う感性があったのかもしれない。
ここで書いていいのかわからないけど、
小6の時、こんなことがあった。
クラスメイトの女の子が転校することになり、クラスでお別れ会をすることになった。
何をするかで話し合っている時、みんな、歌を唄ったり、プレゼントをあげたりと、
心に残ることをしたいと思っていたようだった。
私はふと思った。
小2の時、やはり暮らすの男の子が転校する時、
余興が好きな男の子達が物まねをしたよな。
今回もそれをやれば、笑って彼女を見送れるんじゃないか。
だから私は挙手して、余興をしましょうと言ったが。
他のクラスメイト達は、私より一歩先に大人になっていて、そんなのくだらないと思うようになっていた。
「そういうのは心に残らないから」
というのが、大半の意見だった。
「じゃ、心に残りさえすれば、どんなに悲しくてもいいの?」
私はそう言おうとして、もう一度挙手した。
だけど、司会者は、そんな私を無視して、
「余興をするかどうか、多数決を取ります」
と、票決に入ろうとした。
負けるとわかっている戦はしない主義だった私は、余興案を自ら取り下げた。
取り下げるしかなかった。
そのことで、担任の先生に、ちょっとお言葉をいただいた。
「だめだとわかった途端引き下がるのはよくない」
って。
みんなで意見を出し合って、一つの答えを出す。
結局、最後は多数決。
私はいつも少数派。
そういう私は、「黒い羊」の歌詞に唄われている僕に似ていると思った。
白いカラスのことだってそう。
たとえ、私が「カラスは黒い」と言っても、
(本当にカラスは黒い)
他のみんなが「カラスは白い」と言えば、私が間違っていることになる。
だけど。
「他のみんながしている」というのは、「私もそれをしないといけない」という理由にはならない。
逆もしかり。
「他の誰もしていない」が「私もそれをしてはいけない」にはならない。
そう思って、残りの人生、私らしくありたい。