「この子を何の取り柄もない子にしているのはあなたです! 何故この子の可能性にかけようとしないのです!」
これは、正確な台詞かどうかは忘れてしまったけど、かのガラスの仮面の、月影先生の台詞。
ヒロインのマヤが家出して劇団に入るが、母親がマヤを連れ戻しに来る。
そして母親は、月影先生に言う。
「この子は何の取り柄もない子なんです」
と。
いや、マヤに言ったのかな?
とにかく、そんな母親に、月影先生は言ったのだった。
大人になってからこのシーンを読んで、そうよねぇ、と思った。
周囲の言葉って大切だよね、と、家族で話したこともある。
某女流作家さんは、ご主人が、
「君はきっと大物になる」
と、いつも励ましていたらしい。
彼女は、デビュー作で日本中に一大センセーションを巻き起こしたと言われている。
私はといえば。
母はいつも言っていた。
「お姉ちゃんはピアノや絵が上手だし、美伊にはまた違ったよさがある」
もちろん母なりの私への愛情の証なのだが、
それを聞くたびに、私は気分を害していた。
だって、私の良さがなんなのか、具体的に言ってくれないんだもの。
それはつまり、私には何の取り柄もないってことなのかな?と思ってしまうのだ。
私がいつも聞いているラジオの一つに、リスナー層が私世代の番組がある。
つまり、リスナーの大半には、二十歳前後の子供がいる。
親であるリスナーさんたちはみんな、子供の夢を応援している。
ある日、こんなメッセージが読まれた。
彼女の娘が、音楽会で伴奏をすることになったのだ。
彼女は娘に、こう言ったそうだ。
「失敗してもいいから、精一杯頑張りなさい」
なんて素晴らしいお母さんでしょう!
うちの母みたいに
「失敗したらみんなに迷惑がかかるんだから、断りなさい!」
なんて言わないんだ。
ま、うちの母は母なりに、私がみんなに迷惑かけることを心配してくれたんだろうけど。
でも、断る方がよっぽどみんなには迷惑だったんだよ、お母さん。
そんなこと、私も母も、その時は知るよしもなく。
小説家になりたいという私の夢も、親に踏みつぶされたという逆恨みを、一時していた。
こんな私に、人を感動させる小説なんか書けるわけがない、と言われた。
でも、私の同人誌を読んで、「感動しました」と言ってくれた人も何人かいるよ、お母さん。
それはともかくとして、
私は、更に友人達に責められた
「本当にやりたいのなら、親が反対したってできるはずでしょ?」
それは、言うほど簡単なことじゃない。
思えば、音楽会の伴奏のことも、高三にもなって、
「お母さんがやっちゃいけないって言うんだもん!」
と言った私を、みんな変に思っただろう。
親に反対されたからやらない。
それは、大半が小学校くらいで卒業しているのだ。
でも、その人その家庭で、その辺の事情は違う。
いくつになっても、親に逆らえない風潮の家庭だってあるんだよ。
そういや、若くして芥川賞を受賞された、某作家さんは、父親にこんなことを言われたそうだ。
「俺たち家族が、恥ずかしくて夜逃げしたくなるような小説を書け」
と。
なんて美しい親子愛でしょう。
私の親は、
「お前、こんな小説を書いて、親に恥をかかせる気か?」
って言うだろうな。
言いそうな方の親は、もうあの世だけど。
もちろん、私は自分が親不孝な娘だって自覚している。
私が自分勝手な人生を送っているので、私の両親(父はもうあの世だが)には孫がいない。
やっぱり、私みたいな大それた夢を持っている場合は、
保守的な両親の許ではムズカシイのかもね。
両親なりに、私を心配してくれているのは、今ならわかるけどね。
愛情の形が違うだけで、私を思ってくれていたんだよね。
小説家なんて安定しない職業に、私を就かせたくなかったのだろう。
でも、亡くなった父も、子供の頃は小説家になりたかったらしい。
父が子供の頃は戦争中。
学校で「小説家になりたい」と言った父は、先生に殴られたそうだ。
だから、たとえ同人誌でも、私が父の遺志を継がないとね。