どうも私は、一人で抱え込んでしまう質なのだ。
「一人じゃ大変だから、手伝って」
が言えずに、損ばかりしてきた。
「一人じゃ大変だから、手伝って」
が言えずに、損ばかりしてきた。
一番最初は、高三の文化祭だった。
私を入れて三人が同じ係になったのだが、他の二人は、係会にさえ出てくれず、みんな私一人でやっていた。
私がそのことで友人に愚痴ると、
「そういうことは本人に言わなきゃ」
と言われたけど、ついに言えずじまいだった。
私を入れて三人が同じ係になったのだが、他の二人は、係会にさえ出てくれず、みんな私一人でやっていた。
私がそのことで友人に愚痴ると、
「そういうことは本人に言わなきゃ」
と言われたけど、ついに言えずじまいだった。
次は短大。
英語を専攻していたので、英語委員というのがあり、私がその委員になった。これまた私を入れて三人。
ここで、英語の講義の時に、テープレコーダーを運ぶのが、我々英語委員の仕事になった。
しかし、他の二人は全然してくれない。いつも私がしていた。
見兼ねた友人が、
「手伝ってもらえばいいのに」
と言ってくれたが、どう言えばいいのか。
「私にばかりやらせないで」
なんて言って、他の人に嫌な思いをさせたくなかった。
英語を専攻していたので、英語委員というのがあり、私がその委員になった。これまた私を入れて三人。
ここで、英語の講義の時に、テープレコーダーを運ぶのが、我々英語委員の仕事になった。
しかし、他の二人は全然してくれない。いつも私がしていた。
見兼ねた友人が、
「手伝ってもらえばいいのに」
と言ってくれたが、どう言えばいいのか。
「私にばかりやらせないで」
なんて言って、他の人に嫌な思いをさせたくなかった。
事態は更に悪化した。
とある教授の講義の時、教授の声が小さくてよく聞こえない。
そうしたら、一緒にその講義を受けていた子が言った
「美伊ちゃん、英語委員でしょ。マイク用意して」
私は半分キレて、
「それは放送委員にやってもらいたい」
と言った。
彼女は放送委員の子にも言ってくれたが、
「英語委員がやるんでしょ」
と、かわされただけだった。
結局、その教授の講義の時は、私が一人でテープレコーダーを運び、マイクの設置をした。
そんな私にみんなは手伝うどころか、
「美伊ちゃん、マイクの位置曲がってるよ」
とか、難癖つけてきた。
「だったらお前がやれよ!」
なんて言えるようなら、苦労はしないんだよねぇ。
とある教授の講義の時、教授の声が小さくてよく聞こえない。
そうしたら、一緒にその講義を受けていた子が言った
「美伊ちゃん、英語委員でしょ。マイク用意して」
私は半分キレて、
「それは放送委員にやってもらいたい」
と言った。
彼女は放送委員の子にも言ってくれたが、
「英語委員がやるんでしょ」
と、かわされただけだった。
結局、その教授の講義の時は、私が一人でテープレコーダーを運び、マイクの設置をした。
そんな私にみんなは手伝うどころか、
「美伊ちゃん、マイクの位置曲がってるよ」
とか、難癖つけてきた。
「だったらお前がやれよ!」
なんて言えるようなら、苦労はしないんだよねぇ。
短大二年になった時、私に全てを押し付けていた、他の英語委員の子が、委員長になった。
私は、
「何で何もしない彼女が委員長?」
と、不思議でならなかったが、さすがに彼女も、委員長なのに何もしないのはまずいと思ったのか、テープレコーダー運びを買って出てくれた。
これで、私はマイクだけ設置すればよくなり、めでたしめでたし。
私は、
「何で何もしない彼女が委員長?」
と、不思議でならなかったが、さすがに彼女も、委員長なのに何もしないのはまずいと思ったのか、テープレコーダー運びを買って出てくれた。
これで、私はマイクだけ設置すればよくなり、めでたしめでたし。
──じゃあなかった。
夏休みが終わった途端、委員長はテープレコーダー運びをしなくなった。
その時、教授に注意を受けたのは、委員長ではなく私だった。
それから卒業まで、私のテープレコーダー運びとマイクの設置は続いた。
その時、教授に注意を受けたのは、委員長ではなく私だった。
それから卒業まで、私のテープレコーダー運びとマイクの設置は続いた。
社会人になってからも、いろいろあった。
最初に入った会社では、お客様にお茶を出すことはなかったので、よかった。
次の会社から、お茶出しが暗黙の了解で、私の仕事になった。
私がいれば、私がする。
でも、私が席を外しているときの来客くらい、応対してほしいものだった。
最初に入った会社では、お客様にお茶を出すことはなかったので、よかった。
次の会社から、お茶出しが暗黙の了解で、私の仕事になった。
私がいれば、私がする。
でも、私が席を外しているときの来客くらい、応対してほしいものだった。
その次の会社は、まあ接客業だったから、スキップ。
そのまた次の会社でも、私は一人で抱え込むことになる。
その頃は、ちょうど一般の人もケータイを持ち始める頃だった。
PHSなんてのもあったんだよ。若い人は知らないだろうけど。
その会社は、もとはといえば、市外電話サービスの会社だった。
だけど、支店長の独断と偏見で、ケータイのショップを開店した。
ショップの店員は私一人。
次から次へ来る店員の対応を、一人で回せるわけがないよ!
私、ぶきっちょなんだから。
ここでの紆余曲折は、次回のエッセイ本に載せるし、それを基にした小説も、過去のブログにあるので、詳しくは書かないが。
会社中を敵に回す羽目になった私は、心を病んでしまい、会社を辞めた。
あの時、言えればよかったんだ。
「皆さんの協力が必要なんです。皆さんもお忙しいと思いますが、手を貸して下さい」って。
PHSなんてのもあったんだよ。若い人は知らないだろうけど。
その会社は、もとはといえば、市外電話サービスの会社だった。
だけど、支店長の独断と偏見で、ケータイのショップを開店した。
ショップの店員は私一人。
次から次へ来る店員の対応を、一人で回せるわけがないよ!
私、ぶきっちょなんだから。
ここでの紆余曲折は、次回のエッセイ本に載せるし、それを基にした小説も、過去のブログにあるので、詳しくは書かないが。
会社中を敵に回す羽目になった私は、心を病んでしまい、会社を辞めた。
あの時、言えればよかったんだ。
「皆さんの協力が必要なんです。皆さんもお忙しいと思いますが、手を貸して下さい」って。
そのまた次の会社では、電話番が私の仕事になった。
前述の会社では、一人に一台電話機があったが、その会社は、3~4人に一台だった。
だから、私が取る電話を、他の人が使っていることがある。
そういう時に電話が鳴っても、誰も取ろうとしない。
仕方なく、私が他の人の席へ飛んで行って、電話を取る。
その電話の席の人は、謝るどころか、
「邪魔するなよ」という顔をしている。
そして。上司に至っては。私の電話応対の仕方を一言一句聴いていて、
「そういう言い方をしちゃだめだよ」
と、私ばかりを注意した。
他の人にも電話を取るように言うのが先でしょう!
前述の会社では、一人に一台電話機があったが、その会社は、3~4人に一台だった。
だから、私が取る電話を、他の人が使っていることがある。
そういう時に電話が鳴っても、誰も取ろうとしない。
仕方なく、私が他の人の席へ飛んで行って、電話を取る。
その電話の席の人は、謝るどころか、
「邪魔するなよ」という顔をしている。
そして。上司に至っては。私の電話応対の仕方を一言一句聴いていて、
「そういう言い方をしちゃだめだよ」
と、私ばかりを注意した。
他の人にも電話を取るように言うのが先でしょう!
だけど、その辺から、私も、手が離せない時に電話が鳴った時、
「ちょっと出てもらえますか?」
と、言えるようになってきた。
もっと早くなれよ。
「ちょっと出てもらえますか?」
と、言えるようになってきた。
もっと早くなれよ。
今でも、電話の取り方を新人に教えたりするのは、私の仕事だ。
電話番そのものは新人がしているが、
新人がいない時は、私が取っている。
でも、それはそれほど苦痛ではない。
やっぱり会社の空気がいいと、
「何か私で役に立てることはないかな」
と思えるのね。
電話番だけじゃない。
掃除当番の班を決めたり、それを掲示板に貼ったりするのも私の仕事だ。
あと、会社で飲むコーヒーの手配とか。
今は逆に、任せてもらえることがありがたいと思っている。
がんばろっと。
電話番そのものは新人がしているが、
新人がいない時は、私が取っている。
でも、それはそれほど苦痛ではない。
やっぱり会社の空気がいいと、
「何か私で役に立てることはないかな」
と思えるのね。
電話番だけじゃない。
掃除当番の班を決めたり、それを掲示板に貼ったりするのも私の仕事だ。
あと、会社で飲むコーヒーの手配とか。
今は逆に、任せてもらえることがありがたいと思っている。
がんばろっと。