私はとにかく、「一番になりたい」子だった。
かけっこはいつもビリだったし、スポーツ以外の勉強や音楽がいくらうまくできても、なかなか脚光を浴びることができないのが、小学校というところではないだろうか。
少なくとも、私の頃はそうだった。
だから、中学に上がった時、学級委員に立候補したのだ。(過去の記事参照)
だけど、その時のPRの仕方がよくなかった私は、クラス全体に「変な奴」というイメージをばらまいてしまった。
変というか、頭のおかしい子、と言う風に思われていた。
そんな私が、英語のテストで、クラスで最高得点を取っちゃったものだから、さあ大変。
その日から、みんなの態度が少し変わった。
私も、みんなの「輪」の隅っこに入れてもらえるようになったのだ。
だけど、隅っこには変わりない。
それ以来、私の一等賞はお預けになった。
唄は好きだった。
合唱では、ソプラノになりたかった。高音に自信があったから。
だけど、音楽の先生は、私の低音だけ聴いて、アルトに行くように言った。
これは、今でも腑に落ちない。
なんで、私の高音を聴かないで、アルトにするのよ!
そして、さらに悪いことに。
同じアルトになって、背の順に並んだ時、私の隣には、クラスで一番頭のいいKちゃんが立った。
このKちゃん、悪いけど、唄がうまいとはお世辞にも言えなかった。
いつもアルトの旋律を歌わず。ソプラノの旋律を一オクターブ下げて唄っていた。
そんな、音楽会が近づいたある日。
一つのパートから、二人ずつ前に出て唄うことになった。
アルトでは、私とKちゃん。
それを聴いたみんなは言った。
「美伊、音痴だね。Kちゃんと全然違うの唄ってるじゃん」
何もかも優れていたKちゃんと私が唄えば、Kちゃんが基準になってしまうのだ。やれやれ。
さて。
過去の記事で、私は対抗馬のいる多数決で、勝ったことが一度もないと言ったが、一度だけある。
演劇クラブで、実際に台詞を言って、やりたい役を勝ち取ったのだった。
演技力はあったのだ。ガ○スの○面やないかい!
で。
中三の時、かの「夕鶴」の放送劇を、班ごとに作ることになった。
私は幸運にも、ヒロインのつうを演じることになった。くじびきで(笑)。
私は、今こそ私の演技力をみんなに聴いてもらう時が来た! と、わくわくしていたのだが。
私の班だけ、機材トラブルでおじゃんになったのだ(>_<)
そのことを思うと、私が中学の時に「隅っこぐらし」をしていたのは、運もあったんじゃないかと思える。
そういや、同じ中三の時、吹奏楽部で新歓コンサートを行った。
この時、我々パーカッションの三年生は、一人一曲ドラムを披露することになっていたが、私が担当する曲だけ、時間の都合ではしょられてしまった。
それなのに。
「あの人、馬鹿だからドラムできないんだよ」
な~んて言われたこともあったな。
このことについては、またの機会に詳しく書きやす。