まあ何十年も生きていると、好きな歌手、アーチストは雪だるま式に増えていくものだ。
でも、氷室京介さんは、ほかのアーチストと違う。
ナンバーワンじゃなくて、オンリーワンだ。
そのころの私はOL二年目。氷室さんもソロになって二年目だった。
新卒で入った会社でのことは、前にも書いたかも知れないが、残業地獄と失恋で、私のハートはボロボロだった。
しかも、失恋はその会社で二度した。
ここで少し話はそれるが、ショートケーキのイチゴをいつ食べるかによって、恋愛の体質がわかるとよく言う。
その会社で、最初に見つけたショートケーキは、イチゴから先に食べた。
そしたら、ケーキの方を他の女の子に食べられてしまった。
なので、次に見つけたショートケーキは、ケーキ本体から先に食べた。
すると今度は、イチゴを他の女の子に食べられてしまった。
見れば、他の人たちはフツーにショートケーキを食べている。
私だけだった、二度も失敗したのは。
会社中の笑いものになった私は、もう一生ショートケーキは食べないことにした。
その誓いが守られたかどうかは、他の記事を見ればわかること。
まあそんなわけで。
会社では肩身が狭く、友達も一人もいないOL生活が続いていた。
そんな時、学生時代の友人が、久しぶりに会わないかと声をかけてくれた。
私は喜んで会いに行った。
会いに行ったが。
彼女は、なんとか商法で、高額なエステマシンと化粧品を私に売りつけることが目的だった。
それでも、淋しい思いをしていた私は、36回のローンを組んで、それらを買った。
買えば、彼女と彼女の仲間たちは、ずっと私と仲間でいてくれると思っていたからだ。
でも、それはなかった。
私が、他にそれらを買ってくれる人を探すことができなかったから、私は彼女らにも見捨てられた。
その時私は「もういいや」と思った。
何が「もういいや」なのかわからないが、おそらく、「もう何も信じない」という意味だったのだろう。
そんな時だったのだ。
たまたま立ち寄ったレンタルショップで、氷室京介さんのセカンドソロアルバム「NEO FASCIO」を見たのは。
白いマネキンと真っ赤な背景の、かなり強烈なジャケットだった。
その時私は思った。
氷室京介ってBOΦWYの人よね、あの一世を風靡した。
二度目の失恋の相手も、カーステレオで流してたっけ。
だったらレンタルしてみようかな。
と、そのCDに手を伸ばしたが。
そのアルバムには、11曲収録されていた。
これは困る。
なぜかというと、その頃はカセットテープにダビングしていたので、奇数曲だと、A面とB面の分け方がわからず、それで何分のテープを用意していいのかわからないのだ。
私は意を決して、そのCDを買うことにした。
買えば、聴いて、どこで区切るか確かめて、それからテープを買えばいい。
レンタルだと、一日で返さないといけないから、それができない。
何はともあれ、特に好きでもないアーチストのCDを買うのは、初めてのことだった。
だけど、私には確信があった。
「氷室京介だったら、いいに決まってる」
そしてそのCDを入手し、直感で「ここで区切る」と決めた曲でA面とB面にわけてダビングしたテープを(その区切り方は正解だった)、毎日ウォークマンで聴きながら通勤した。
その日も残業で疲れ切っていた。
そんな時に、このアルバムの中の「CALLING」という曲を聴いた。
歌詞をここに載せると、著作権違反になるので載せないが。
その歌詞は、疲れ切った私の心と体に、ガツンとくる歌詞だった。
この曲が、座り込んでいた私に、顔をあげ、立ち上がり、もう一度歩き出す勇気をくれたのだ。
だから私は、氷室さんを好きになった。
「NEO FASCIO」をダビングしたテープは、3本聴き潰した。
それでも、最初のうちは、氷室さん以外何も信じるものがなかった。
でも、氷室さんを愛しているうちに、同じ氷室さんファンの友達が何人かできた。
最初は文通だった。今みたいにネットとかないし、携帯もなかったので、手紙しか手段がなかったのだ。
文通というのは、とかく音信不通になりやすい。
私も彼女らも、そういう人が何人もいる。
だけど、私と彼女らは、何十年も友達を続けている。
本当に心が通じ合う友達というのは、一生のうちほんの何人かだと言う。
氷室さんが、私をその友達に逢わせてくれたのだ。
だから私は、氷室さんを愛し続ける。