「でも、お父さん、お母さん。私は北高に行きたいの」
その夜、山口聖美は、進路希望書を前に、両親ともめていた。
「でもねえ。女の子は伊原へ行った方がいいと思うのよ」
と、母。
「それに、北高はボーダーラインすれすれじゃない。伊原にしといた方が安全よ」
「でも……」
聖美は、次の言葉を言いにくそうに言った。
「……女子校より、共学の方がいい」
「どうしてだ」
今度は父が訊ねる。
「男女が一緒の方がいいから」
「どんな面でだ」
「……いろんな面で……」
「たとえばどんな面だ」
「……」
聖美が返事をしないでいると。
「お前はボーイフレンドがほしいなんて思ってるからそんなことを言うんだろう」
と、父が勝手に決めつける。
「高校は男女交際をするところじゃなくて、勉強をするところなんだよ。そんなこともわからないのか」
聖美は返事をしないで立ち上がり、居間の入り口に向かった。
「伊原にしておくわよ」
母の言葉も無視して、聖美は居間を出た。
自分の部屋に戻った聖美は、ストーブの前に膝を抱えた。
〈そんなこともわからないのか〉
それは、聖美のせりふだ。
誰も男女交際をしたくて、北高へ行きたいと言ってるんじゃない。
竹宮真一や花岡輝明――特に真一が行くという北高に、一緒に行きたいだけだ。
今の三年三組で、親しくなれた友達は、真一と輝明だけだ。女の子たちは、仲良しグループみたいなのを作って、聖美は、どこのグループにも入れなかった。
こんな聖美が女子校なんか行ったら、友達が一人もできないかもしれない。
だけど、両親は勉強勉強ってそれだけで、聞く耳を持ってくれない。
聖美の両親は頭が堅いのだ。
校則で禁止されているという理由で、携帯も買ってもらえない。
聖美に女の子の友達ができなかった理由の一つには、それもあるというのに――。
「じゃあ、伊原に決めたんだね」
担任の市村先生の言葉に、聖美は頷いた。
市村先生は、アラフィフの男の先生だ。
「まあ、俺としても、北高は勧められなかったからな。かなり危ないし。伊原なら大丈夫だろう」
「はい」
どうして大人って、子供を成績だけで評価したがるのだろう。
進路指導室を出た聖美は、教室に戻り、席に着いた。
「聖美」
輝明がやってくる。
「どうした?伊原に決めた?」
「うん」
「そっか。じゃ、別々になっちゃうんだな」
聖美は、それには答えずに、ちらりと真一を見た。
真一と目が合う。
真一は、すぐ目を逸らした。
「真一だって、聖美と離れるのは残念だと思ってるはずだよ」
「……ならいいんだけどね」
冬休み前に、聖美は真一に告白した。返事はNOだった。
いつも真一は、今の輝明のように、いや輝明以上に聖美によくしてくれたので、自信はあったのだが、真一はあの日から、聖美を避けるようになってる。
輝明は、小さい子供にするように、聖美の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「真一、照れてるだけだよ」
「うん……」
聖美が曖昧に返事をした時、チャイムが鳴り、輝明は自分の席に戻っていった。
本当に、真一は照れてるだけなんだろうか。
そうして、聖美は伊原高校を、真一と輝明は北高を受験した。
卒業式は、いい天気だった。
聖美は、別れを惜しんで泣いているクラスメートの女子たちに背を向けて、一人教室のベランダに出ていた。
泣けないのだ。
女子では、聖美だけが泣いていなかった。
それが何だか悪い気がして、ベランダに出てきたのだった。
聖美は昔からそうだった。誰かとの別れの時に、涙が出ないのだ。
みんなは、聖美が冷たい人間だからだと言う。いや、本当にそう言っているかどうかはわからないが、聖美にはそう思えていた。
そう思うと、却って泣けなくなってしまう。
本当に、自分は冷たい人間なのだろうか。
「聖美」
ふいに呼ばれて振り返ると、そこには輝明が立っていた。
「輝明君」
「三年間ありがとう」
「やだ、そんなかしこまった言い方しないで」
「聖美、手出して」
輝明に言われるままに、聖美は手を出した。
輝明は、自分が着ている学生服の上から二番目のボタンを手でむしり取ると、聖美の手に握らせた。
「……ありがとう……」
教室の中を見ると、真一は一人、教室を出ようとしていた。
「真一だって、本当は聖美の気持ちが嬉しかったんだと思うよ。素直じゃないんだよ」
「……そうかな……」
「さて」
輝明は、教室に続くドアを開けた。
「一緒に帰ろう」
「うん」
「聖美、携帯買ってもらったんだ」
「うん」
聖美もようやく、高校の合格祝いに携帯を買ってもらった。
「今、持ってる?」
「持ってるよ」
「貸して」
輝明に言われて、聖美は携帯を取りだした。
輝明は、二つの携帯をくっつけると、赤外線でメアドを交換した。
「俺に電話してみて」
聖美の携帯に刻まれた初めての番号で、聖美は輝明の携帯に電話をかけた。
「もしもし、聞こえる?」
「うん、聞こえるよ」
二人は短い会話をして、笑みを交わした。
電話を切ると、輝明が言った。
「家に帰ってからでいいから、メールちょうだい」
「うん」
そこで、分かれ道になった。
ここから二人は、別々の道を行く。
「じゃあ」
聖美が歩き出そうとすると。
「あのさあ」
輝明が呼び止めた。
聖美は振り返る。
「……落ち着いたら、映画でも行こうか」
「……そうね」
それが何を意味しているのか、聖美は深く考えなかった。
聖美が好きなのは真一だということを、輝明は知っているのだ。だから、輝明に下心なんかない。聖美は信じていた。
そして二人は、それぞれの道を歩き出した。