私の父は昭和一桁生まれ。79歳の誕生日を迎える少し前にあの世へと旅立った。
定年を迎え、これからが時間もお金も自由に使えると言う時に、認知症になってしまった。今思えば気の毒だ。
その父だが。昭和一桁生まれというと、所謂「頑固おやじ」。
俺様がこの家で一番エライんだぞって感じは拭えなかった。
たとえば、来客があっても、自分では出ない。
私が高校生、父がまだ現職の時。
私と父の二人しか家にいなかった日だった。
私はラジカセで音楽を聴いていて、呼び鈴に気づかなかった。
突然、
「美伊!」
と父が叫んだので、父の部屋へ行くと、
「客だ、出ろ!」
と言った。
なんでお父さん自分で出ないんだろうと思いつつ、玄関に行くと、モップの交換屋さんだった。
母からモップの場所を聞いていなかった(てか、家の手伝いを全然していなかった)私は困ってしまった。
すると、二階から。
「誰だ!?」
と怒鳴る声。
モップ屋さんはなんとなく察して、
「また来ます」
と帰ってくれた。
数時間後。
父が私の部屋に来た。
「今、誰か来たんじゃないのか?」
さっきのモップ屋さんの話ではないらしい。どうやらまた、私が呼び鈴の音に気付かなかったようだ。
「美伊、家に一人でいる時は、音楽かけるな」
父はそう言って、自分の部屋に戻っていった。
何を言ってるんだ、私は思った。
今は、父と二人でいる時であり、一人でいる時じゃないじゃないか。
それに、話は逸れてしまうが、母がいる時に音楽を聴いていると、勉強しろと言われる。じゃあいつ音楽を聴けばいいのだ。
そんなこんなで、すごく嫌な思いをした日だった。
その日と前後して、父と同年代のおじさんの講演会があった。
何の講演会なのか、どういうおじさんなのかは忘れた。
その時、おじさんはこんな話をした。
そのおじさんは、自分の手の届くところに電話が鳴っていても、別の部屋にいる奥さんに、
「おーい、電話鳴ってるぞー」
と言って、電話に出てもらっていたが、これからは自分で出ようと反省したと。
この人も、昭和一桁の頑固おやじだったのだろうか。
昭和一桁生まれって、みんなこうなんだと察した。
父の話に戻る。
私が小学生の頃は、よく怒られたし、たまには殴られた。
でも、それはその時代の躾。酔ったはずみとかでそういうことはしなかった。
それに、卓袱台をひっくり返したこともなかった。
ご機嫌のいい時には、私をランチやドライブに連れていってくれた。
そう思えば、昭和一桁生まれにしては、ずいぶんマシな親父様だったのだろう。
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