人が生きている意味

そんな事考えても答えはでないかもしれない



娘と読んだ国語の文章に

「哲学は勉強した時点で哲学ではない」

と書いてあった

まさにその通りだと思った

生きている場所も、環境も、家族構成も、その人自身も

違うならばその人なりの答えがあるはず

その人が憧れの人の様に

振舞っても

生活しても


その人にはなれない


もしかしたら答えはないかもしれない

それはその人が、私が、

人生を生き抜かなければ見えないものだと思う


私はその答えを知るのが怖かった

病気になるという事は「私」という存在は不必要なのか…

と思った事もあった


病気と闘えるほど自分が強くない事

闘えば自分がすり減るのが分かっていた

情報を集め

自分が納得する決断した

しかし病気と闘わない私は「不正解」だと言われて辛かった

心が揺れた


病気になる前は生きているのが当たり前だった

ただ目の前の育児や家事に精一杯で

そんな答えすら探し求めなかった


病気になった時

初めて自分と向き合った

泣いて、自暴自棄になって、それでも来る日を生きて、生きて

笑える様になって、自分らしく生きれる様にやっとなってきた



そして決めた

私は私の「正解」を生きると



誰が何を言おうとも

私の事を蔑んでも

私が私を大事にしていたら大丈夫だと気付いた



ここまでくるのに三年半もかかってしまった

まだまだ精進しなければいけないが

私はもがいて生きてここまできた



上手くない生き方

下手くそな生き方



でも三年前よりも数%は上手くなっていると思う

命が続く限り自分の命と向き合う事に決めているから


継続は力になる

逃げるものいい

休むのもいい

完璧じゃなくていい

でも自分であること


私は私の「哲学」を生きる