昨日は、部分日食でしたね!
皆さんの地域では見る事は出来たでしょうか?

今日は、MRIを撮ったお話をしたいと思います。

3月に実家へ子供達と引っ越し、暫くは引っ越し疲れや、
主人から執拗なメールに疲れ果て、発作が出やすく、
暫く療養しておりました。


一ヵ月程して、薬がなくなってきました。
兵庫県の病院では、先生に怒られ、呆れられたので、
母は、先生が優しい祖母が通っている病院を教えてくれました。

早速電話をしてMRIを予約しようとすると、

「予約は必要ありません。そのまま来て頂いたら撮れます。」

との事で、都会の病院との違いに驚き、
田舎だなと思いつつ、次の日受診しました。

朝一番に病院へ行くと、すぐに診察室へ呼ばれました。
紹介状や今までの経歴を話すと、開口一番、

「こんな症状の人はクリニックでは対応出来ません。
今はね、大丈夫かもしれませんが、
また倒れたらえらい事になる。
本当にまずい状態ですよ。」

と、言われました。
前回の記憶が蘇り、怖くて震える自分を抑えながら、

手術はしない事
自分が全て責任を持っている事
今回はただ薬が欲しい事

を伝えようと思いました。
しかし、先生の頭の血が上ったのか、

「あなたは命を捨てたいのですか?
家族は納得しているのですか?
こんなクリニックでは何も出来ない病気ですよ?」

と、何度も何度も言われました。

聞かれた事を一つ一つ丁寧に説明しようとしても、
先生は怒っており、私の言葉は全く聞いて下さいません。
ずっと、

「いつ倒れてもおかしくないんですよ?」

と、言ってきます。

私はそれでも3年発作以外不自由はなかった。
今不自由がなく暮らせているのに、半身不随になってしまったら…
手術で死んでしまう可能性を選ぶ事は出来ません。

と、伝えても、先生は納得しません。
「ただ薬が欲しいだけです。お願い出来ませんか?」
と、何度も何度も伝えましたが、
耳にも入らない様でした。

更に興奮しているからなのか、

「あなただけにこんなに時間を費やしている。
こんなに患者さんを待たせているのですよ!」

と、まで言われてしまいました…

何を言っても自分の意見しか押し付けない医師しかいないのかな…
私の身体で起こっている事なのに、選ぶ権利もない…
手術をしない選択をしただけで、
病院で診て貰う事すら価値のない人間なのかな…
生きる選択をしているのに…

そう思うと、涙を止める事が出来ませんでした。
もう何を言っても私の言葉は、先生の耳には入りません。
聞くしかない状況になり、
ずっと下を向いて先生の話が終わるまで聞き続けました。
それで、手術をせずに薬さえ貰えたらいい、と思ったからです。

先生が私の態度に気付き、
少し冷静になってくれました。

「…MRIでしたね。
今日撮れますますので、待合室でお待ち下さい。」

小さなクリニックで、泣きながら出てきた私を見て、
看護師さんも患者さんもびっくりしていたと思います。
しかし、どうしても涙を止める事が出来ませんでした。

MRIを撮り、また診察室へ呼ばれました。
私が入るなり、

「はい、こちらに来て立って下さい。
次は片足で立って下さい。
次は…」

と、言って、色々な動作をする様に指示してきました。
指示された動作を終えると、

「…見る限り本当に何も不自由がなさそうですね。
何の不自由もないのに、半身不随になるかもしれない手術は迷いますよね。」

さっきと違う人かの様に、私の気持ちに共感してくれました。
そして、MRIの画像を見せてくれました。

私の脳腫瘍は、
初めて倒れた三年前の大きさと変わっていませんでした。

あんなに脅していた先生でしたが、それを見て、

「この画像を見る限り爆発的に成長する脳腫瘍ではありません。
成長はかなりゆっくりでしょう。
かといって、放っておいていいものでもありません。
しかし、何を言ってももう気持ちは決まっている様ですので、
薬は出しておきます。
もし気持ちが変わって手術をしたいという事になれば、

いつでも言って下さい。」

と、言って下さいました。

病院を後にして、私は何と戦っているんだろう…

という気持ちがこみ上げてきました。

病気と闘わないと決めた時、
一緒に生きると決めた時、
病気は自分だとやっと思える様になるまで、
色んな葛藤があった。

悲しみや苦しみ、これからの未来を考えて、
人生を悲観した。
そして、そこを乗り越えて過ごしてきた。
自分を生きようと思える様になるには、かなり時間がかかった。

その後、病気の原因を知ろうとするほど、
自分が見えない様に蓋をしてしまっているものが見えてきてしまった。
今まで自分が耐える事で安定を取ってきたのに、
家族としての在り方を自分のせいで壊してしまっているのかもしれないと思うと、自分の存在は人を不幸にしてしまったかも…
と、思い悩んだ事もあった。

でも今はやっと子供達とにこにこの毎日を過ごせる様になり、
日々の葛藤から解放され、穏やかになった。
これで本当によかったと思える様になった。

手術をしない=命を諦めている

そう思わないで欲しい。
今、一生懸命自分の命から目をそらさずに生きれる様になったのに、否定しないで欲しい。

私は私の人生の責任をとって生きています。

手術をせずに三年。
何の不自由もなく自分の足で歩き、
外出も出来、こうやってPCも打てています。
本当に幸せだなと思っていますし、
子供達にもその気持ちを精一杯伝えています。

病気だから不幸ではない。
病気だから本当の自分に出会えた私です。
病気だから自分の事を真摯に考え、本やインターネットで情報を集めて、今こう生きる結論に達しました。

未熟過ぎて日々勉強ばかりですが、
毎日子供達の成長や発言、色んな事を見つめる姿に感動し、
病気で立てるのも怖かった未来の計画も、
やっと立てれる様になりました。
子供がいるから、親が支えてくれているから、
また私の気持ちに寄り添って下さる方々から元気を貰え、
毎日元気でいる事が出来ていると思います。

本当に、本当にありがとうございます。
出会って下さり、感謝しております。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております。



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