私の心は母からの電話でどんどん紐解かれていった。

私はずっと自分の心を騙してきた事。
自分を卑下していた事。
辛いのに、手伝って欲しいのに、甘える事が出来なかった事。

それを見つめる度に、心は軽くなり、
本当に自分がやりたい事や夢を見る事が出来る様になっていった。
私はまだまだやりたい事あったんだ!
と、自分の心に驚いた。
心弾む毎日を送ろうと、何年振りかに思える様になった。


子供達と主人が里帰りから帰宅した。
子供達の顔を久しぶりに見れて嬉しかった。
主人はまだ怒っている様だった。

主人は言った。

「もうお金が足りない、俺もこれ以上は出来ない。
だから子供達に公立の小学校へ行って貰おう。
春の病気もあるし、俺の実家か春の実家の近くに住めばいい。」

すると、息子が号泣し始めた。

「やだ!友達と別れるのは嫌だよ!
あの学校に通いたい!!」

息子の気持ちを思うと辛すぎて、
私も一緒に泣いた。

「そうだよね、横浜を去る時も私の勝手だったのに、
また転校するなんて辛いよね…。
ごめんね。不甲斐ない親で…。
…分かった。
私が働くから!正社員かパートでもいい。
働けばなんとか足りると思う。
お母さん稼いでくるからね!
もう悲しまないで…。」

息子と一緒に号泣する私を見ても、
主人は自分も…とは言わずに、去っていってしまった。

数日後、お風呂から出てきた娘が私にいった。

「(主人の)おじいちゃんとおばあちゃんと暮らそうと思う。
だってお父さんが、
『お母さんはいつ倒れるか分からない。
前みたいにお風呂で溺れたりするかもしれないし、
いつ死ぬか分からない。
だからそっちへ行く事にした。
お母さんも早く元気になって来てね!』

娘の目に涙が滲んだ。
さすがにあまりの酷さに、また子供の気持ちを考えない発言に、
もう何も思えなくなってしまった…
ただ子供の気持ちを支えようと、
それが一番今は大事だと思った。

「確かにお母さんは病気だけど、
病気がわかってからもう二年以上も生きてる。
色んな所へも一緒に行ったでしょう。
人間誰もが生まれたからには死ぬのは決まっているの。
お母さんは病気だから他の人から比べたら、
普通に考えたら命は短いかもしれない。
でもね、健康な人でも突然死ぬことだってあるの。
お母さんは、今ある命を精一杯生きてる。
だからお母さんが死ぬなんて、そんな事に怯えないで。
笑顔で毎日生きようね。」

曇っていた表情が笑顔を取り戻した。

「うん、私出来る事があれば何でもお手伝いするからね!
お母さんしんどい時はいつでも言ってね!」

子供をぎゅっと抱きしめた。
温かかった。
何よりも私が生きていてよかったと思えるのは、
子供達の笑顔だった。
なのにどうして主人は…

子供達が寝静まった後、主人に聞いた。
どうしてあんな酷い事を言うのかと。
すると主人は、答えた。

「だってもしそういう事が起こったら、
子供達が見つけたら、一生背負わす事になるねんで。
そんなの可哀想やん。
だから、それやったらやっぱり子供と俺だけうちの実家へいった方がいいやろ。
春は元気になったら来たらええやん。」

向こうのお母さんは看護士。
きっと私の命もあまり持たないと思っているのだろうか…。
なのに引き離そうとするなんて、、、

そういう話は夫婦間でちゃんと結論を出してから、
子供に伝えたかった。
しかし、主人は勝手に一人で決め、
向こうの親と話し合って決めてきた。
結局私はいつも蚊帳の外。
家政婦以上家族未満だった。

心がえぐられ、震える声で言った。

「今まで明るく振舞ってきた。
本当は脳腫瘍が分かった時怖かった、辛かった。
でもいつも子供達が励ましてくれたから、
毎日泣く日々から、毎日楽しく過ごせる様な心にやっとなれた。
そこまでくるのに、どれだけ苦しかったか。
発作が起こる度に死ぬ思いをしている。
11月の発作は沢山の人の前で倒れてしまったから、
今でも外に出ると不安になって過呼吸になる事もある。
でもあなたは寄り添ってはくれない。
死んでても分からないじゃない。
そして、私が死ぬことしか考えていない。
子供達にどうしてあんな怖がらせるような事を言えるの?
私の事家政婦くらいにしか思っていない!
私は家族じゃないの?」

主人がいなかった間に貯めたパワーは、
涙に変わってしまった。
泣きながら言葉を絞り出しているのに、
主人の相槌は、

「そうじゃない。」
「そんなことない。」
「そんな風に思った事ない。」

だった。
ストレスがかかると発作が起こってしまう。
怖かった。
発作が起きるぎりぎりの所まで思っていたことを言った。
しかし全否定され、また話し合いが終わってしまった。


ここまで読んでくれてありがとうございます。
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております。