年末年始は何もやる気も出ず、
体力も尽きていた。
しかし、一人だから自分のペースで全てが行え、
無理もする必要がなかった。
するとだんだん元気になっていった。

明日も、明後日も一人だと思うと、
気が休まった。
主人からの連絡もなかったが、
それで良かった。

主人が実家へ行く前に、来年度のお金について話し合ったのだ。
私はサイドビジネスを主人に成功させて欲しかった。
しかし、二年半経っても芽が出ず、
寧ろ9時に寝て6時半に起きている。
そして足りない分を私が出していた。
10月の消費税の値上げに伴って、
なんと一人約三万円値上げされてしまった。
二人で年間70万円を超える値上げ…。
さすがに私の状況ではこれ以上は稼げないし、
販売しているプラットフォームが不安定な為に、
安定して稼げるとも分からなった。
主人のお給与が足りなくて、既に私のお金を足している状況…。

一緒に子供達の為に頑張ろう!
と言って欲しかっただけなのに、
お金の事を言うと主人は不機嫌になった。
プライドが傷つけられたのだと思う。

「俺だってやっている。
俺だって関西にきて慣れない仕事してる、
成長も出来ない仕事を。」

関西転勤になったものの、主人の部署はこちらにはなく、
全く違う営業をしているのだ。
子会社に出向している為、親会社との差を感じている様で、

ここでは自分の成長はない

と、私の前で何度も言ってきた。
その度に私は謝った。

「家事だって、育児だってしてる。
これ以上寝ずにサイドビジネスなんて出来ない!」

そんなメールを目の当たりにし、

「…そうだね。それを今まで私ずっと一人やってきて、
苦しんで来た。
それなのにあなたに押し付けてごめんなさい。
私が命の限り働きます…。」

と、返信した。
そしてそのままお互い話す事がないまま、
里帰りしてしまった。

母は、私が実家へ帰ってくる事を望んだが、
もう無理だった。
せき止めていたものが、実家へ行ったら溢れ出してしまう。
私が悲しんでいる、
辛いと思っている気持ちを悟られるのが嫌だった。

主人は、薬の副作用と精神的に辛く、
殆ど寝ている状態の私を見ても、
心配すらせず無言で怒って去っていった。
本当に私の事は心配していないんだろう…。
どんどん心の整理がついていった。

母の着信を出ないでいると、
父の携帯から電話がかかってきた。
私の事を心配してくれているのだろう…
数日置いて、心も身体も落ち着いた時に、
やっと折り返し電話をする事が出来た。

母は私の事を聞く前に、家族の話をしていた。
本当は私の体調を聞きたいはずだが、
私の性格を知っているので、
なるべく遠回しに話を進めている感じだった。
 

母は最初こそは、私の祖母や兄弟の話をしていた。
しかし、前から言いたかったんやけど…と、
ぽつり、ぽつりと話し始めた。

「ずっと見てきて、とても苦しんで来たのが分かってる。

そろそろ自分を解き放っていいんだよ。
無理する必要ない。

子供達の事で必死になっているのは、十分分かっている。
でもね、どんないい教育を受けさせても、
親がいないと、親が笑っていないと、子供は育たない。


お母さんが、お父さんが帰ってこなくても(夜遊び、不倫)、
おじいちゃんおばあちゃんに虐げられても、
痴呆症になって、癌の看病を何年も一人でしてても、
どんな時も子供達には、
暗い顔を見せてはいけないと思って生きてきた。
家庭環境は変えれなかったけど、母親がどんとしてたら、
ちゃんと子供達はそれぞれの道を見つける事が出来た。
あなたもうちみたいな家庭からでも、
海外へ行く事が出来たやん。

素晴らしい立派な子供達を授かったんやから、
子供達は自分の環境で最大限の選択をちゃんとする。

だから、子供達を信用して、任せたらいい。
そしたら花開く時期になれば、海外に行きたいと思ったら、
海外にも行くやろう。
それまでに親が潰れたらあかん。

お母さんが大好きな子供達やのに、
母親のいない子供達にしないで。
お母さんの大事な大事な子供やのに、
苦しまないで欲しい。
お母さんはあんたの笑顔が大好きなんや。
幸せに生きて欲しいんやで。
ただそれだけやねん。
だからもう苦しまなくていい…
自分を苦しめないで。
そんな姿を見せられるのは、親として物凄く辛い。
だから生きて。
幸せに生きて。」

自分を生きるのが苦しくなってきた時、
母は確実に見抜いてきて、
私の性格を見通した上で、見守ってきてくれた。

しかし、今回ばかりは、

「いつ言えるか分からんし、
お母さんの命があるうちに言っておかないとって思って。」

と、言っていた。

息が詰まった生き方をずっとしてきて、
病気で本当に息が吸えなくなった時、
息が吸えなくて倒れている自分は、
そういう生き方をしているんだ

と、妙に納得した。
そして、息が止まる度に、
意識が止まる前に、
自分を何度も何度も見直してきた。
次に目覚める保証はないけどある命を最大限に生きようと…。

脳腫瘍になって、学んでも、学んでも、
私の中の核はまだあって、
それに気付かせてくれた母の言葉だった。

ありがとう
ありがとう
ありがとう。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております。