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◆炎症性乳ガン・・・手術ができないほど大きくなっていた◆

小澤
今日は時間をつくって頂きありがとうございます。
早速ですが、経緯からお伺いできますか。

原田さん
2016年の4月に、左の乳房に違和感を覚えました。
もともと生理前になると胸に張りが出るのですが、
その硬さがちょっと気になりました。
生理が来ても引かないので、アレッ!?という感じでした。

小澤
ガンかも・・・と疑われたのですか?

原田さん
まだ疑ってませんでした。張りのある部分は硬いだけではなく、
明らかに皮膚の表面が少し赤くなっていました。
病院で診てもらったところ、乳腺炎かもしれないが
病理検査したほうがいいと診断されました。
検査結果を聞く予約を取って帰りましたが、
病院の方から電話があり、
詳しく調べたいので食事をせずに来てくれと言われました。
心配が募るばかりでした。

小澤
ただ事ではない感じを受けますね。

原田さん
ドクターから、乳腺炎や菌などの感染ではないとの報告を聞き、
もしや・・・と思いました。

小澤
この時点で、「癌」という病名が頭をよぎったのですね。

原田さん
その年のゴールデンウィークは、
自宅をリフォームするため一時的に引っ越すので、
荷物整理に充てていました。
次の診察まで時間があったのでネットで検索してみたら、
良い情報がまったくなくて気が沈みました。
おそらくガンだろうなと・・・。

小澤
病院での確定診断は?

原田さん
「炎症性乳ガン」でした。全乳ガンの1%くらいで、
希なガンだと言われました。
調べると半年くらいの期間で発症するということだったので、
半年前に遡って自分なりに原因を探ってみました。

小澤
何かお心当たりはありましたか?

原田さん
前年の12月に交通事故を起こしていました。
私の不注意で人身事故でした。
相手は小学校低学年のお子さんで、
幸い運転していた車と自転車が接触して転んだ程度でした。
保険を使う対象にもならなくて済んだのでしたが、
そういう事がありました。
それから、主人がオーナーをしている会社の経営に
私も役員として関わりがあるので、
仕事にまつわる対人関係のストレスも蓄積していました。
そのせいか、3月にストレス性の皮膚炎になりました。
免疫機能に影響が出ていたようです。

小澤
持続的に体内でボヤのような炎症反応を
起こしていたのかもしれませんね。

原田さん
治療は、ガンが大きすぎて手術ができないので、
抗ガン剤治療になりました。
手術ができないくらい大きくなっていたことにショックを受けました。

◆ガンを選ぶのは勇敢な魂の持ち主◆

小澤
ガンと判明した時、どんな心境でしたか?

原田さん
「何で私が!?」 ガン=死で、恐怖でしかありませんでした。
とにかく怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。

小澤
そのガンに対する意識が早い段階で変化したと伺いました。

原田さん
はい、6月に知人から紹介された本との出会いで、
大きく変化しました。
『地球人革命』という本で、著者はドクターですが、
通常医療の範疇に収らない大きな視点で
病気や生きることについて書かれています。
人によっては、スピリチュアルな話で理解しがたいと
思われる方もいるでしょうが、私にはとても腑に落ちました。
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小澤
その本の、どんなメッセージが腑に落ちたのですか?

原田さん
人生で起きる一見ネガティブなこと、絶望的になこと、
後悔するようなことであっても、
それらはすべて絶望や後悔という感情をも含めて必然であり、
実はその体験は生きていくう上で必要であり、
それは無意識のうちに自分で選んで生まれてきている
ということです。

小澤
こんなこと無ければよかった!
ということも、意味があるということですか?

原田さん
そうです。
8月には抗ガン剤治療のさなか、
著者のM先生のセミナーに参加しました。
私は「ガンになったのは自分が悪いんだ」と、
自分を責めていました。
食べ物が悪かったのか、心がけが悪かったのか、
会社の仕事に一生懸命さが足りなかったのか・・・
いろいろ自問しながら、自分を責めました。
一方で、ガンであることを認めず、
現実逃避している自分もいました。

小澤
責任追及と悪夢・・・
それほど、原田さんにとってガンは受け入れがたかったのですね。

原田さん
でも、抗ガン剤の副作用が現われ、
小林麻央さんのニュースを目にし、
自分がガンである現実を突きつけられ、逃げようがなくなりました。ですから、徐々に自分がガンになったのは、
何の意味があるのだろうかと模索している頃にセミナーに行って、「自分は悪くない。自分が選んだ自分の本当の人生の目的を
思い出すため必要な出来事なのだ。
そしてその出来事さえ、自分で選んだ試練だから乗り越えられる」ということを言われたのです。

小澤
なるほど。

原田さん
主人も私も経営者の立場なので、
人生や経営に役立つ勉強会にはよく参加していました。
自分たちだけが利するのではなく、
社会に価値や幸せをもたらすことを意識して経営しています。
なので、プラス思考は常々習慣にしていたのです。
仕事上、困難な事にぶつかっても、
何か意味があるという考え方はできていたのです。

小澤
ところが、ガンについては当初
その思考パターンは使えなかった?

原田さん
そうなんです。簡単ではありませんでした。
ボランティア活動にも積極的に関わっているのに、
こんな仕打ちを受けるんだ・・・と、正直、呪いました。

小澤
「私、これだけ社会にも還元しているのに、
何でこんなものが来るんだ!?」

ため息出ますね。

原田さん
一般的な乳ガンのリスク因子・・・
月経開始年齢、出産経験、過度な飲酒、喫煙など・・・
もチェックしましたが、何一つ当てはまらない。

小澤
となると、先ほどお話に出た半年前からのストレスは
あったものの、どうやら原因があってガンになったのではなく、
目的があってガンになったという思考にシフトされた?

原田さん
その通りです。
「ガンになったことで、あなたの大切な何かに気づきなさい」 
そう思うようになりました。
そう捉える方が救われるし、勇気が出ます。
M先生からも、
「ガンを選ぶのは勇敢な魂の持ち主だ」
と言われました。
「勇敢な魂」という言葉に、私はもの凄く力を得ました。

◆治療法を選ぶ基準も変わった◆

小澤
そのようなガンとの向き合い方の変化は、
治療法選びにも影響しましたか?

原田さん
当初から私は、
できるものなら手術で切除したいと願っていました。
しかし、向き合い方が変わり、
さらに『37の病院・医師をまわり僕はがんを治した』
という本に巡り会い、治療に対する考え方が変わっていきました。そんなタイミングで、コータック治療の情報が入ってきたのです。
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小澤
抗ガン剤治療でサイズが小さくなれば、
手術で摘出する方針だったのですね。

原田さん
抗ガン剤で小さくなったので手術ができるようになりました。
本来なら、待ちに待った手術のはずが、
直前に知人からコータック治療をされている
小川先生を紹介されたのです。
そこで神戸まで出向き、小川先生にお会いし、
たまたま治療に来ていた患者さんから
お話も聞くことができました。
帰りに、コータック治療に関する分厚い資料も頂きました。

小澤さん
いわば未知の治療ですが、どう思われました。

原田さん
帰ってから、
乳ガン患者が5,000人くらい登録しているネットコミュニティに、
コータック治療を知っている人はいないか?
経験者はいないか?
問い掛けてみました。
ところが誰からもレスポンスがありませんでした。
仕方なく、治療期間、副作用、費用など
細かく小川先生にメールで質問しました。
すると、質問に対し事細かに返信してくださって、
信頼できるお医者さんだなと思いました。

小澤
コータック治療の評価に関する情報はあまりなかったものの、
治療法を開発し携わっているドクターを
信頼することができたのですね。

原田さん
当時で症例数が700くらい、
現在は1,000を超えている治療実績もありますが、
ドクターへの信頼感は大きかったです。

小澤
手術希望から、手術をしない治療法の選択を優先したのは
なぜですか?

原田さん
ひとつには、当初、手術不適用と診断されたガン患者である私に、手術以外で新しい試みができるという情報が舞い込んだ。
何か意味があるだろうから、
その流れに乗ってみようと思いました。
もう一つは、女性として乳房を切除しなくて済む乳ガン治療が
確立されれば朗報になると思いました。

小澤
その時に診療してもらっていた医師は、どんな反応でしたか?

原田さん
外科医ですから、それはもう手術を強く勧められました。
小林麻央さんの例を出したり、
私のガンは悪性だから切らないと再発するよとも言われました。
コータック治療を受けるための脳のMRI検査をお願いしたところ、必要ないと一方的に断られました。

小澤
当時の主治医からは色よい返事はもらえなかった。
というより、反対されたのですね。

原田さん
神戸での治療まではインターバルがあったので、
その間、同じ病院でもう一度だけ抗ガン剤治療をしました。
そしてコータック治療を受ける前の検査の時点では
腫瘍は認められなかったのですが、
再発のリスクが高いので切った方がよいと言われました。
加えて、術後に乳房再建するにも、
私のガンの場合は特殊なので1年以上間隔を空けてからと
言われました。
自分としても、切除後の喪失感など不安でしたし、
もし切らなくてよい選択肢があるなら・・・という気持ちでした。

小澤
ドクターへの信頼感と乳房を残しながら
高い再発リスクを回避するという観点から、
コータック治療を受ける決意が固まったのですね。
メカニズムとしては放射線の感受性を高めるため、
過酸化水素水で患部組織に酸素を増やすわけですが、
とくにそれに伴う副作用などありませんでしたか?
(*コータック治療の記事はこちら!)

原田さん
総量で50グレイ照射しました。
火傷のような皮膚炎とリンパにも照射したので嚥下痛が、
入院後半から退院後1ヶ月くらいありました。
最終的には、放射線治療後もハーセプチンだけ
予防投与しました。
2016年5月に治療をスタートし、
抗ガン剤と放射線のすべてが2017年4月で終わりました。
フォローとして経口のホルモン剤を5年飲むように
言われましたが、副作用もあり自己判断で1年で止めました。
現在は、経過観察のため3ヶ月に1回通院しています。

小澤
ホルモン剤を止められたのは、
副作用が辛かったからですか?
それとも何か他の判断基準があったのですか?

原田さん
ホルモン剤に頼らなくても、
自分の意識改革をしていけばいいのだと思いました。
病院の治療がまったく不要であるということではありませんが、
自分が健康でいるには病院や薬に頼るのが本筋ではないと
考えが変わりました
。ドクターからは、ホルモン剤を止めてるけど大丈夫?と、
診察の度に毎回聞かれます。(笑)

◆怖い思いも私の役目のために経験する必要があった!◆

小澤
現実の生活では、ガンになる前と後で何が変わりましたか?

原田さん
ひとつは主人との関係性ですね。
主人は会社の経営者としてすごく頑張ってくれています。
でも家の事となると、それほど協力的ではなかった。
従業員も抱えたトップとして大変なのはわかりますが、
仕事と家庭のギャップをどうしても許せなかった。
ですから、尊敬してなかったのです。(笑)

小澤
お二人で、ゼロから事業を立ち上げられたのですよね?

原田さん
そうです。私の実家は商売をしていましたし、
OL時代の経験も活かして、私は経理やら総務の事務を
担当していました。

小澤
いわば会社の裏方を一手に引き受けていた。

原田さん
私だって会社を支えているという自負がありました。
私だって会社に関わり一生懸命やってるのに、
家の事については何で私だけ!?という憤懣がありました。

小澤
どちらかといったら、私の方が大変なのよ!
という感じですね。(笑)

原田さん
お陰様で業績も右肩上がりで、従業員も増えました。
先々のことを考えて、私の代わりに経理ができる社員を
2人採用し、私は新たなプロジェクトの新規開拓を
担当することになりました。
私は外に出たい性質なので、楽しかったです。
後からよく考えてみると、
私が会社から自由に抜けて治療できる状況になっていた。
このガンを経験するにあたって、
知らない間に自らの環境作りさえしていたのだなと思いました。

小澤
すると、ご主人への気持ちも変わりましたか?

原田さん
先ほどお話した本も、
コータック治療も主人の関係先からの情報です。
しかも、主人も同じようにスピリチュアルな物事の見方を
共有しているので助かりました。
なので、主人に対してとても感謝の念を持つように変わりました。

小澤
それでは、
ガンは原田さんにとってどんな意味があったのですか?

原田さん
私の人生を進めるにあたり、
どうしても必要な通過点だったと思います。
その先にあるのは、私の人生の本当の役目です。
私はガンが見つかった時は、怖くて怖くてしようがなかった。
でも、その怖い思いも私の役目のために経験する必要が
あったのです。

*今回の人生での原田さんの役割

〈伝達〉
「コータック治療」と「人生に起こることはすべて必然で、
人の魂は勇敢である」を伝える。

〈奉仕〉〈慈愛〉
東日本大震災で親を亡くした子供たちへの学費支援。
今年からはアフリカのケニアのスラム街で暮らす
子供への学資支援。
災害地域に出向いて、ご主人の会社が開発した車に
取り付けて発電できる装置を提供、炊き出し、
エアーベッドの寄付。

〈自由〉
自分がやりたいと思ったことをやる。

小澤
原田さんは、
ガンになる前から〈自由〉を実践されてきたように思いますが。

原田さん
嫁いだ先が旧家なので、代々受け継がれた行事があります。
以前は、嫁の義務として関わっていましたが、
最近は行きたい時に行くということになりました。(笑)

小澤
「~ねばならない」「~べきだ」から
「やりたい」「やりたくない」に基準を変更したのですね。

原田さん
そのとおりです。
今まで25年間頑張ってきたので、「~しなければならない」は
もう用済みです。(笑) 
私は、再発を予防するにも意識を変えることが
一番だと思っています。
それも伝えていくつもりです。

小澤
そして病気は通過点であって病気の先にあることに
フォーカスして生きることに気づくと、
おのずと意識の変容も起きるのですね。

原田さん
私たちは、病気になったとしても、
病気を治すことがゴールではなのです。
真に幸せな存在として生きることにフォーカスすることが
大切だと思います。
ガンがあろうが、なかろうが、幸せに生きることはできるのです。
それには今までの自分から意識を変えること、
感謝という言葉が私にとっては大きな気づきだったと思います。
Amazon


☝原田さんの著書
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(引用http://www.gan-jiten.com/more/04/_349.html

原田さんは、私に似ていてとても共感が持てました。
病気が発覚した時はショックで、辛くて、
心が粉々になります。
そこから一生懸命治そうと、色んな情報を集めました。
しかし、毎日毎日「病気」の事を考え、
「病人」になっていったのです。

しかし、初めて倒れた時から約二年弱。
病気の事など殆ど忘れて生活しています。
病気に支配された人になるのではなく、
自分として生活をしていく事の重要性を心から感じています。

よく
「脳腫瘍が大きくなっていないか不安になりませんか?」
と聞かれます。
私は病気がある事は認めますが、
病気に怯えたり、不安になる事は殆どありません。

一番病気の事を考えるのは、病院へ行く時です。
私は手術もその他の治療もするつもりはありませんので、
最低回数しかいかないでしょう。

病気の事を考えるより、
自分の毎日の幸せを考える事、
楽しかったと思える日を過ごす事が何よりも大切だと、
病気に教えられました。
そして、それをこれからは毎日実行していきたいと思っています。

心を自由に
行動を自由に
自分としてありのままで生きる

そんな心や行動に不安はなくなります。
ここまで心境になるのには、色んな葛藤が勿論ありました。

ただ心穏やかに、幸せに暮らしていこうと。
また自分が選んだ道を進もうと、
穏やかに思っています。

ここまで読んでくれてありがとう♡
読んで下さった方が、素敵な一日を過ごせる様願っております♡