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私の生き甲斐は讃岐うどんです!
こんな難病患者もたまにはいます!
「あと4、5年で車椅子ですね」と、
筋生検の結果を主治医から告げられたのが、38歳の時でした。
後ろに両親がいたのですが、
すこし後ずさりをしたように感じました。
私はと言えば、訳のわからない多発性筋炎という病名から、
肢帯型筋ジストロフィーという、
とりあえず寿命は普通の人とは変わらない病名を与えられて、
ちょっとほっとしたことを覚えています。
発症は15の春でした。高校に入学してバレー部に入り、
スライディングレシーブの練習をして、
同期の子たちもみんな肩が上がらなくなったものの、
すぐに筋肉痛がとれたのですが、なぜだか私だけ肩があがらず、いわゆる翼状肩甲という症状です。
一度、再生するより壊れやすくなることを覚えた筋肉は、
それから二度と動かなくなりました。
体育の授業は見学が多くなり、
体育祭では皆の動いている写真を撮っていた記憶があります。
大学生になったころは、ステロイドを飲んで、
吹き出物だらけになった時期もありました。
大学卒業後、すぐに結婚し、
ブラザー工業のシステム会社にシステムエンジニアとして就職、
2人の子供にも恵まれました。
身長は180センチ程あったので、
会社の大掃除の時に、蛍光灯の掃除をする際「蛍光灯を外して」、とよく言われたものです。
ですが、肩が上がらず見かけ倒しでした。
子供会の運動会のとき、
近所の奥さんとボールを一緒に運ぶ競技があり、
その奥さんに付いていけず。
また障害物リレーのときは、平均台から降りたとたん、
転んだりして、あとで主催者の人に
「足首がダラダラだったけど 大丈夫ですか」
と言われたりしました。
そのうちスキップができなくなり、
高校の同級生に
「お前の太腿、細すぎるぞ、一度病院に行ったらどうだ」
と言われて、久しく行ってなかった大学病院に行き、
3週間の検査入院をして、
高校生の頃にはなかった試薬で病名がはっきりとわかリ、
冒頭の「あと4、5年で車椅子ですね」と告げられた訳です。
「このままの生活していたのでは、すぐに車椅子だ」と思い、
子供が中2と小4だったのですが、
ちょっと家族と別居して、会社の近くに引っ越しをし、
好きなように生活して、行きたいところに出かけて、
やりたくない仕事は人にまかせ、
なるべくストレスから遠ざかるようにしました。
病気仲間の人がダイビングをしているのを見て、
私も潜ってみたいとスクールに通い、
ぎっくり腰になったりもしました。
ちょうどその頃、讃岐うどんの美味しさにはまり、
2~3か月に一度は香川でうどんを食べ歩き、
1年ほどしたら現地で作り方を教えてもらえる機会がありました。
不思議とすんなり香川のいりこ出汁ができるようになり、
病気のお友達が長期入院している筋ジス病棟まで、
出張うどんに車で出かけるようになりました。
月に4000キロ程乗っていたようです。
とても喜んでもらえるのが嬉しくて、笑顔が見たくて、
いろいろな繋がりの仲間達と、
それこそ会社が休みの毎週末に出張うどんをするようになり、
北は北海道から南は沖縄まで、
果てはジャカルタやシアトルでもやりました。
このお盆にはナミビアでうどんを広めてくることになっています。
人生、何が転機になるのかわからないものです。
「あと4、5年で」といわれて、18年がたちました。
孫も2人できました。
それにしても、先生の見立てが悪かったようです。
讃岐うどんを食べていると、
体内にウドニンというアミノ酸ができて
それで筋肉が再生しているのだ、
讃岐うどんの生地を踏んで、踏んで作っているから
筋肉が再生しているのだ、と病気のお友達に勧めたくとも、
そればっかりは信ぴょう性がなく、どうしたものかと思っています。
18年前にまだ歩けていた病気のお友達は皆車椅子になりました。私だけなんだか申し訳ない気分です。
最近は、「前より元気そうじゃないか」とよく言われます。
ここ、4〜5年、長い距離を歩いても全く平気になりました。
前は5分歩いていると左膝の裏が悲鳴をあげていたのですが、
筋肉が再生しているようです。
薬も何もないのに、なぜ再生しているのか
、ここ最近変わったことといえば、体重が7〜8キロ増えました。
そのせいで、足首に3キロずつ重りをつけて歩いているのが
いいようです、それしか思い当たりません。
病気のお友達の希望の光となれるように、
これからも「なんちゃって筋ジス患者」であり続けたいと思います。
ストレスは一番体に悪いです、
ストレスを感じる場に身を置かない、これが一番です。
筋ジスにもそろそろ進行を止める薬ができると期待します。
早く世間に出回って進行が止まるお友達が増えることを
願っています。
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(引用http://www.ambitious.or.jp/magazine/192/)
とても明るく病気と付き合ってきた方ですね!
病気だから…と自分を制限してしまうのではなく、
自分のやりたい事を、感じるままにどんどんされていかれた事が身体を再生させていったと思います。
「うどん」という生きがいを見つけ、
皆さんの笑顔を見る事で幸せを感じるのでしょう。
病気は、自分と向き合う事が大切です。
しかし、自分の存在や自分の行動が人を幸せにする、
と気が付くと、更にいい方向へ向かいます。
私もブログを書き始めて、始めは自己満だと思っていました。
しかし、こうやって続けられているのは、
感謝のメッセージを頂いたり、
私の拙い文章でも感動して泣きました、
と言って頂けると、これが自分の使命なんだと感じる事があります。
生きてるって素晴らしいという事
それは、周りと共有する事で、何倍にも感じられるでしょう。
あなたなら出来ます。
大丈夫、大丈夫。
私とも是非共有して下さいね!
ここまで読んでくれてありがとう♡
読んで下さった方が素敵な一日を過ごせる様、願っております♡