小さい頃、学校で体調が悪くなると、
保健室へ行った。
そして、希望すれば保健室のベッドで寝られるのだ。

体調が悪い事はあまりなかったので、
学校で寝るという事が、とても特別に感じた。

先生や友達は、とても優しくなった。
そして、早退すれば家族も優しくなった。
大嫌いだった塾も休めた。
学校の宿題もする必要もないし、
何に追われる事もない。
毎日学校や塾、習い事に追われた日々から解放され、
「何もしない」という自由を手に入れた。
勿論、体調が悪いというのはしんどかったが、
それ以上に、この高揚感がたまらなかった。

自分がとても『特別』な存在になった様な気がした。

『特別』として扱われたこの経験は、
私に悪知恵を与えた。

おたふく風邪や水疱瘡になった事もない私が、
やたら「体調が悪い」「風邪ひいた」という様になった。

最初のうちは皆心配してくれたが、
次第に嘘だと分かってしまったら、
誰も寄ってきてくれなくなった。

遂には、本当に体調が悪いのに、
信じて貰えず、塾へ行かされた。

帰宅後、学校の先生が電話をして私の症状を教えてくれた様で、
塾から帰宅後、母が異様に優しかったのを覚えている。

大人になって、仮病を使う必要もなくなった。
何にも縛られずに生きれる様になったからだ。
しかし、今度は家庭の中、ママ友との関係の中で、
『我慢』をする様になっていった。

自分の意見を主婦には権利がないと思い込み、
ただただ家政婦の様に働いた。
実家も遠いし、主人は年の1/3は出張に行っていたので、
殆どワンマン育児だった。
主人がいる時は、主人より早く起き、
お弁当を作って、帰宅すれば主人の食器とお弁当箱を洗ってから寝る。
生活の全てが、主人、子供ファーストだった。
実際しんどくなってきて、泣きながら家事をする事もあった。

大雨がきても、東日本大震災にあった時も、
主人はいなかったのだ。

私は不安や泣きそうになる気持ちをぐっとこらえて、
子供の前で明るく振舞った。
しかし、やはり思い起こせば、私の身体にも変化があった。
二人目を妊娠中に過呼吸になってしまったのだ。
それを目の当たりにした主人だったが、
その時は「大丈夫?」とは言われたが、
その後は何もなかった様な態度だった。

あの時の過呼吸は、

「私の気持ちを聞いて!」

という叫び声だったのだろう。
我慢する事に慣れてしまった、
争う事に疲れてしまったのだ。

母にこの事について話した時、


「男なんて、倒れる位にならないと気がつかないものよ。
春のお父さんなんて、
その辺で死んでても気が付かないかもね。
でも春の旦那さんはお父さんよりましでしょう?
お母さんからしたら羨ましいよ。」
 

と、笑っていた。
父は夜遊びばかりしていたので、家には殆どいなかった。

そして、そのまま我慢の日々を過ごしていたら、
私を待っていたものは、
脳腫瘍だった。

なんだか全てに見放された様な気がした。
我慢して、我慢して、我慢して、、、
皆の幸せを支えてきたのに、

どうして私が病気にならなければいけないのか。

主人や子供達は、私にもう何もしなくてもいいと言った。
全てから解放された気持ちになった。
好きなだけ寝ていても、好きな事をしていても、
もう「母」として、「妻」としてやらなければいけなくても、
しなくていい事は、したくない!と言える様になったのだ。
全員が私に対して優しくなり、気遣いをしてくれる様になった。

肩の荷がふっと降りた気がした。
「私がいなければならない。私がしなければならない。」
という事は実際には一つもなかった。
私がいなくても、家族は回っていったのだ。

「あぁ、自分がいなければいけないって思ってたのは、
ただの自分の傲慢な心だったんだ。
皆成長して、皆何でも出来る様になったんだ。」

しかし、それと同時に、
私の存在意義とは何なのかと思う様になった。
したくない事はしなくてよくなった。
自分の気持ちを言える様になった。
「主婦」で「妻」なのに、
こんなに家族に『特別』として接して貰えるなんて!
子供の頃の保健室の高揚感を思い出した。

私が「お母さん」として「妻」として、あらねばならない、
という規則を作り、勝手に自分を縛っていたのだった。
そんな縛りから解放された後、
残ったものは、「自分」だった。

あぁ、自分は自分でいいんだ…

生まれて初めてそう思えた。

母が泣くのを見た時、
私は思った。

私は心配して欲しかっただけなの…。
頑張ってるねって言って欲しかったの…。
認めて欲しかっただけ。
親不孝をしたいなんて思っていなかった。
ごめんね、ごめんね。

ただ言えなかっただけ。
誰か私の話を聞いてよ、理解してよ、
って話したかっただけ。
それが下手なだけだった。
病気が来てくれるまで分からなかった。

自分が自分を取り戻したら、
自分である生活を送る様になったら、

病気の事などく怖がる事もなく、
忘れる様になった。

そのうちに、病気が完治していたのだ。

なんの不思議でも、
「やった!」と声を上げていう様な事もなく、
ただ、病気に対して、感謝の気持ちで包まれていた。


私にとって「病気」である事は、
『特別』でありたいという心の表れだったのだ。

ありがとう
ありがとう
脳腫瘍がなければ、私は偽った「私」でい続けただろうね
人生の幸福を教えに来てくれてありがとう

ここまで読んでくれてありがとう♡
読んで下さった方が素敵な一日を過ごせる様、願っております♡