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◆46歳、働き盛りの胃ガン◆

手術したのは、2004年9月13日です。

ガンが見つかったのは6月でした。

当時私は、

大手自動車販売会社のサービス工場の工場長をしていました。
立場上、お客様のクレーム対応の最前線におり、

ストレスの多い業務でした。

時には、会社に寝泊まりするなど、

睡眠や食事も乱れた生活でした。

最初に異変に気づいたのは、下血でした。
おかしいなと思いながらも、仕事を続けていました。
ところがある日、出勤したものの気分が悪くひどく吐き気がする。所長に許可をもらって、事務所で横になっていました。
2時間ほど休んでいても、気分の悪さは一向に治らない。
その日は日曜日でしたので、見るに見かねて営業社員が
市民病院の救急外来に運んでくれました。
消化器専門の医者が不在で詳しいことはわからず、
胃の精密検査を受けるよう指示されて、営業所に戻りました。
結局、業務に就くことなく、
終日横たわっているうちに気分の悪さは和らぎ、
落ち着きを取り戻しました。

持ち直したものの、そのまま放っておくわけにはいかず、
予定していた人間ドックを前倒ししてもらいました。
紹介してもらった病院に胃カメラと生検の結果を聞きに行くと、
胃ガンでした。
すぐに上司に相談して、
治療に専念するため休職の手続きを取りました。

手術に備えた検査や手続きが、流れ作業のように進んでいきます。ガン患者が多い病院で、手慣れたものです。手術待ちの患者がこんなにもいるのか!?と驚きました。

◆抗ガン剤に強い抵抗感、鬱気味になる◆

私のガンは、今の分類でステージ2bだったようです。
手術の後は、抗ガン剤治療が組まれていました。
確かな知識は持ち合わせていませんでしたが、
抗ガン剤には脱毛や嘔吐などの副作用があることは
耳にしていましたので、なんとなく抵抗感がありました。

主治医に

「もし抗ガン剤治療が耐えられなかったら、
途中で止めてもいいですか?」

と質問しました。
主治医の返答は、

「いいですよ。やってみないと分からないので、かまいませんよ」

というものでした。
私は普段から聞きたがり屋の性分なので、
その答えに対し続けて

「やってみて判断するのは、
どのタイミングが目安になるのでしょうか?」

と尋ねました。

「治療は2クール予定しているので、
それでは1クール終了時に相談しましょう」

ということになりました。

さらに、抗ガン剤の選定や容量についても問うと、
抗ガン剤治療(化学療法)の専門家がいないので
外科医が対応していると、
分厚い治療マニュアル書を見せながら説明してくださいました。(*現在、化学療法を専門とする腫瘍内科医が
常駐している医療機関もある)

実際に抗ガン剤治療が始まると、
ネガティブなイメージを持っていたせいか、
鬱になってしまいました。
看護師さんが点滴を投与する際、
途中で併用薬を注射で点滴の管に加えるのを見ていると、
「これから強い薬が入ってくるんだ」と緊張しました。
点滴中はとくにやることがないので、
看護師さんを観察していると、もの凄く慎重に薬を扱っている。
その様子を見て、「劇薬なんだなぁ」と想像する。
すると、水銀のような重金属が混じって体内に入り
体の中を巡っていく・・・
そんなイメージが治療の度に付きまといました。

だんだん、点滴治療を繰り返すうちに、
治療日に病院に行きたくなくなってきました。
予約時間を大幅に遅刻したり、
病院に入っただけで吐き気を催すようになってしまいました。
約束通り(主治医は約束の事は忘れていましたが)、
1クール終了後(2005年1月)に主治医と相談しました。
私は、つらいので止めたいと申し出ました。
すると主治医は、

「そうですか。では、今後の治療について3通り方針を提案しますので、ご自宅に帰って検討し1週間後に回答してください」

と告げました。

〈治療案〉
①予定通り2クール目の抗ガン剤治療(点滴)を行う
②効き目は悪いが経口抗ガン剤治療を行う
③いっさいの治療中止

当時としてはガンに対する勉強もしていなく
浅はかな知識しかなかった、
そしてガンが怖く再発の不安も強かったですから、
病院と縁を切りたくなかった。
という理由で、②の飲む抗ガン剤治療を選択しました。
早速処方された薬剤を調剤薬局で受けとり持ち帰りましたが、
結局は飲みませんでした。


いずみの会との出会い◆

幸運だったのは、退院してすぐに、
いずみの会の事務所(旧事務所)を訪ねる機会を得たことです。
いずみの会を知ったのは、
妹たちが買ってきてくれた本のなかに、
ガン患者会が列挙されていました。
私の住まいから最も近かったのが、いずみの会だったのです。

事務所ではガン経験のあるボランティアスタッフが対応してくださり、日常生活、食事、びわ葉温灸のことなど教えてくれました。
さらに、私が休職していることを伝えると、
スタッフが足りないからと事務所の当番を依頼されました。
私はまだ相談に応じられるほど経験はありませんでしたが、
自分が学ぶ機会にもなると思い、引き受けました。
個人相談会も担当し、いろいろな患者さん、
家族との対話から見えるガンは、つくづく十人十色。
それを踏まえ、少しでも恐怖や不安を和らげ安心してもらい、
そこから前に進んでもらうことを心がけました。

ボランティア活動を通じて、抗ガン剤についても勉強しました。
同じ治療でも、患者ひとり一人で反応はちがう。
効果も副作用もちがう。
だから、治療を決めるのは患者本人でいいんだ。
止めたければ、自分の責任において止めていいんだ。
そういう経緯もあって、点滴の抗ガン剤を中止し、
経口抗ガン剤は服用しなかったのです。
手術後の体調が悪くなかったことも、
薬を止める決断の一因でした。

抗ガン剤を止めたことの恩恵が現れるのは、早かったです。
止めると決めた途端、鬱症状が消えました。
あの毒が体中を巡ると怯えながら打つ点滴から解放された。
これから先の再発不安より、解放の喜びが勝ったのです。


◆自分の体を良くする方法は、自分で見つける!◆

私の場合は独り身で、当時同居の母が
全面的にサポートしてくれたこともあり、
唯一のストレスであった抗ガン剤治療がなくなったことで、
とても気が楽な自宅療養ができました。
休業補償もありましたし、
そのような環境におれたことは本当に感謝しています。

加えて、主治医との関係性も良かったと思います。
何でも聞けて、ざっくばらんに話せる関係でした。

健康の鍵は血液の状態を良くすることだと、私は考えています。
それには自分で勉強して、自分の生活に見合った、
無理なく続けられる方法がよいと思います。

いずみの会と関係が深い東京の病院の食養内科に、
2週間入院しました。そこで食事指導を受けましたが、
野菜ジュースなど自分でアレンジしています。
枇杷の葉は臭いと煙で、私はダメでした。
自分の体を良くする方法は、やはり自分で見つけるしかない。


◆第二の人生が、自分の本当の人生!◆

ガンと判った時に、

自分はどう生きてきたか?
何を為してきたか?

と、自分に問いました。

悔いなく生きてきたか? 
これからは、第二の人生として、
できることは嫌でなければ何でも拒まずやろう!と誓いました。

1年の休職の後、仕事は負担軽減の配慮をいただき、
自宅から歩いて数分の本社内にある子会社の責任者のポストに就きました。
町内会長、学区の役員、中学生クラブチームの
バスケット指導(週3日)もしています。

ガンのおかげで、本当の人生を歩むことができるようになりました。
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(引用http://www.gan-jiten.com/more/04/2004.html

癌になって本当にショックの状態から、
抗がん剤からの鬱病も発症され、
測り切れない程辛かったと思います。

そんな状態でも、生きる事に希望を持ち、
自分には合わないと思った抗がん剤を、自分の意志で止めた事。

外部に自分の病気の答えを求めるのではなく、
自分に聞いた事。

それらが、自分を見直すきっかけになり、
癌からの卒業に繋がったと思います。
癌以前より素晴らしい人生を歩めるチャンスを頂けた方と、
おっしゃっているのは、とても素敵ですね!

「他人」ではなく、「自分」に誇れる人生にしましょう!

ここまで読んでくれてありがとう♡
読んで下さった方が素敵な一日を過ごせる様、願っております♡