てんかん発作がほぼなくなり、通常の生活に戻れてきた時、

主人が言った。


「まだ完全に治ったとは言えない状況やから、上司に関西転勤をお願いしようと思う。
もし何かあっても、両方の両親が駆けつけられる、という安心感は必要。
俺も心配で出張や仕事に出かけられないからね。」

私達は転勤族だが、関西転勤はないはずだった。

主人は自分の好きな仕事、またやっと責任があるポストに行け、仕事にのめりこんでいた時期だった。
確かに朝5時に起き、夜も遅くに帰ってきて、次第に笑顔もなくなった時期ではあった。
でも仕事が充実しているのに、私のせいで彼のこれからの計画を台無しにしてしまう、と思った。

彼は決断するまでは色々悩んだ様だが、一旦決めるとすぐに上司に相談した。
そして、私が倒れてから約5ヵ月後、関西転勤になった。

主人の親も、私の親も関西に住んでいるので、とても喜んでくれた。
関西と関東はやはり遠かったからだ。

また、孫が頻繁に見れる様になって、子供達も大好きなおじいちゃんおばあちゃんといつでも会える様になって、
とっても喜んだ。


主人は全く違う部署に異動になった為、また会社の場所も近くなり、規則も違う為、
朝は家を8時に出、退勤は殆ど定時。
子供達と一緒にご飯を食べ、お風呂に入って寝る事が出来る様になった。
これが本当の「家族の時間」と思える日が、結婚して10年経って初めて訪れた。

引越しは、とても大変だった。
最初お願いした不動産会社が物件をとり逃してしまい、8月末になっても家が決まらなかったのだ。
ビジネスはまだ細々と続けていたし、その合間を縫って物件探しに打ち込んだ。
そして物件を見る為に、何度か関東と関西を往復した。
ストレスと不安、焦りが重なると痺れが出てくる事があった。

まだ完治はしていないと、思った。

結局不動産会社を変え、いい物件を知らない間に割引交渉までしてくれた為、
やっと引越しの目どがついた。

安心したが、引っ越しは新学期には間に合わなかった。
その為、一週間は片道一時間半以上離れた実家から子供達の学校へ通う事になった。
台風のお陰で、数日お休みになったが、

朝5時台にでて、往復三時間移動する生活はやはり身体に堪えた。

引越しが終わり、子供達が自分で学校へ行く様になった。

その頃には、引っ越しのドタバタにより燃え尽きてしまった為、

私はまた何もかもに対してやる気がなくなっていった。
折角貯めた元気を使い切った感じだった。


そして、痺れが出ると不安になり、また元の「癌患者」の鬱状態に戻っていった。
お風呂に一日三回入るのも一回になり、にんじんジュースも忙し過ぎて飲めない日が続いていた。

 

もしかしたら脳腫瘍、大きくなっているのかな…

そんな不安も出てきてしまった。

主人は自分の仕事を変えてまで、関西転勤を叶えてくれたが、
家に私がいると、私が食べたくない時でも食事の準備や後片付けは私がしなければいけなかった。
そして、家事も私。

発作が出てしゃがみ込んでいても、スルーされた事もあった。

この人は病気の私に対して何も思っていないのではないだろうか…

そう思う様になってしまった。

優しい主人ではあるが、純粋過ぎて人の心の裏を読むことができない。
しんどくても、見えていない様だった。

次第に私は、

この人のせいで癌になってしまったんだ
この人と結婚しなければ癌になんてならなかった…

という気持ちが湧いてきた。

癌になった事を人のせいにしたかった。
バザー委員で苦しかったせいにしたかった。
人のせいにしたら、自分が正当化され、自分の悪い所を見なくて済んだからだ。
人を責める事は、本当に簡単だった。


色んな本を読んで、また自分を内省して、
癌になった原因は自分の中にあると思った。

自分の知識で埋め尽くされた考え方が、生き方を狭くしていたのだ。
そして、勝手に敵を作り、幸せな毎日に感謝出来ていなかった。

自分を大切にしなければいけなかったのに、自分をいつも一番後回しにしていた。
自分の気持ちを無視し続けてきた。

自分しか、自分の声に気付く事が出来ないし、
自分しか、自分を大事にする事が出来ないのに、
全てが面倒くさくなってしまって、気付かないふりをした。

自分以外の他の何の原因でもないと分かっていた。
自分が変わらなければいけない時だった。

でも自分を変える事は、とても大変だった。
考え方の癖を治さなければいけなかったからだ。

しかし、私は自分が努力をするのを拒み、楽な方へと考えをシフトさせた。

私は主人と別れたら癌がなくなるのではないか…

と思う様になった。
私がいると家族のお荷物になる。
子供達は大のパパっ子だし、私がいない方がずっと明るい家族でいられるのではないか。

そんな考えがぐるぐる頭に回るくらい、鬱の症状は重かった。
苦しかった。
いち早く逃れたかった。

そんな考えに縛られ、主人とのコミュニケーションが減っていった。
私はまたベッドの住人になってしまい、くよくよネガティブな事ばかりを考えた。
痺れが出るかもしれない、脳腫瘍が大きくなっているかもしれない、
という不安が、本当に痺れを呼ぶようになった。


主人は付き合っている時から、私が怒っていても、理由を聞かず時に解決させる所があった。
例えば、どんなに私が風邪をひいて熱を出していても、子供達をおいてご飯を終えると昼寝をしていた。
そして「大丈夫?」や「手伝おうか?」という言葉は皆無だった。
また人の気持ちを読めないのに、聞かないので、見当違いな事をして、私や子供、母を困らせる事があった。

私が怒って近づきにくくなったら、主人は放置していた。
話し合いを持ちかけてきた事がないのだ。
私がどう思っているの?と聞いても無言の事が多かった。
結局私が許すというか、機嫌を直して終わってきた。
子供がいる手前、いつまでも家庭の雰囲気を曇らせたくなかった。
それでも何度も同じ事を繰り返していた。

その時は、さすがに参っていたので、許す事より拒絶してしまった。
今まで傍にいてくれた事に感謝しなければいけないのに、

もう顔を合わすのもしんどくなってしまった。

そして主人に、

「これ以上一緒にいても私は迷惑ばかりかける事になるから、
実家に帰らせて欲しい。」

と、言った。


自分のコミュニケーション不足なのに、
自分で病気を作ったのに、
病気のせいにしてしまった。

病気のせいにすると、楽だったから。
病気のせいにすると、優しくして貰えた。
病気のせいにすると、自分の悪い所を見なくて済んだ。
病気のせいにすると、自分を変えなくてよかった。
病気のせいにすると…

病気の上にあぐらをかいて、私は「病気」を治さないという意識を持っていたと思う。



ここまで読んでくれてありがとう♡
あなたの一日が素晴らしいものになる様に、願っております。

「ありがとう」という言葉で、余命1ヵ月で子宮頸ガンを治した方の一冊。
私はこの本を読んで、感謝する事が足りていない人間という事に気が付きました。
当たり前だと思っている事が、実は当たり前ではない事。
全てに感謝出来る心が、病気も、その人自身も、周りも変えてくれると知らせてくれた本です。
人を変えるより、自分を変える事で周りが、人生が変わってきます。
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