“復旧しかかっていた自己肯定感が一瞬で下がった”
高円寺に住んで1年半。
この地にきた理由は、恋人が8年住んでいる高円寺へ同棲を決めたことがきっかけだ(結婚は未定)。
学生時代、古着が好きだったときからよく高円寺を訪れていた。
高円寺のアンニュイな雰囲気や「どうだ、サブカルタウンだろう?」というちょっとした上から目線のカルチャー感が好きだった。
この街に住めば、自分が理想とする”人物像”に近づけるような気がしていた。高円寺に住むことに憧れていたのだ。
だから当然、引っ越してきたのは願っても無いことだった。
ただ、恋人の友人たちと会ったり、飲みに行ったり(僕は下戸だけど)するたびに
「サブカルに対する疎外感」をよく感じるようになった。
いや、当初から感じていたものの、臭いものに蓋をするように
気持ちを押さえつけていたのかもしれない。
知っていることが当たり前の空気。
息をするのと同じくらい知っていて当然という一体感。
「どんな音楽を聞くの?」
「20代でも渋谷系音楽を聞くのは当たり前」「トレインスポッティング最高だよね」
「バナナフィッシュは本当に名作で〜」「小学校のとき何聞いていた?」
「バンプっていつ流行った?」「中学のとき、何をコピバンした?」
「ピーズって初めて聞いたのいつ?」「知るかばかうどんっていいよね」
バンド経験は当たり前(だいたいベース)。絶対に家にレコードとレコードプレーヤーがある。
なぜかDJ経験がある。オアシスを強要する。タバコはアメスピか、ハイライト。
そして全員、銀杏BOYZが好き。
これは一例だが、そんな話をされると、
すべてを理解できず、仕事を理由に逃げ帰ることが多くなった。
あるとき、こんなジョークを聞いた。
「高円寺に住むんだったら、絶対全員オアシスを聴きながら杉並区役所に住民票提出しにいくよな」
僕は、笑えなかった。よくわからなかった。
たぶん、僕も、その冗談で笑えるような人になりたかったから。
それに憧れて、ずっと生きてきたけど、たぶん、そうなれなかった。
知りたい気持ち、理解できなかったけれど、
理解したい気持ちがあったから、きっと恥ずかしくなって逃げだんだと思う。
ーー
僕は27歳、編集者・ライターである。
会社員時代、パワハラ&働きすぎて抑うつ病になりリタイア。
現在フリーランスでぼちぼち稼げるようになってきた。
24歳で抑うつ病になった(今はほぼ完治らしい)。
半年くらいニート生活をして、すばらしい心理士の先生に出会えた結果、
マイナスに欠落していた自己肯定感を徐々にあげることができるようになった。
ただ、日々ふとしたときに迫ってくる
「お前なんか死んじまえ」という誰かの声に、僕は怯えながら生きている。
冒頭の「サブカルに対する疎外感」を体めいっぱいに感じたときは、
本当に死のうとすら思うこともしばしばある。
「そんなことで?」と思われるかもしれないが、
豆腐レベルのメンタリティしか持ち合わせていない僕は、明らかに弱いのだ。
それくらい、この件は、何かのコンプレックスにとらわれているからだと考えた。
僕には、「自分が好きなものを好き」と発言することが許されない環境で育ってきたという背景がある。
好きだと思った音楽を聞くことが許されなかった。
音楽、映画をはじめとする「好きなものにであるチャンス」は自分にはないと思っていた。
そんな環境だった。
とにかく自分に自信を持てず、自分で自分を責め続けるよくあるうつ病の症状だが、
これを改善するためにも、そのもろもろの理由を文章にして整理し、
記録として残せば、少なくとも自分の自信になるのでは? と考えた。
話は戻るが、そもそもサブカルをどのような位置付け・区切りにするのかも問題だ。
ただ、僕のサブカル度はゼロではない(と思っている)。
だったらなぜ、僕は「オタクになれない」のか? なれなかったのか?
音楽は好きだ。映画も好きだ。演劇はもっと好きだ。
だったらなぜ、疎外感を感じてしまうのか?
その理由は、自分の幼少期まで記憶を遡らないといけないと思う。
だから、書く。30歳になるまでにここに書いて、整理する。
そして、腹の奥底で僕のことを「そんなことも知らないんだ」と
せせら笑ってきた奴らを見返し、彼らの気持ちを理解するために「オタク」を「学ぶ」。
好きなものを好きと言いたい。
みんなが「自分の好き」という
アイデンティティを構築してきた時間を今から取り戻したい。
きっとまだ遅くない。