涙の数だけ強くはならない。
心が死ぬだけ。
心を殺すだけ。
若いうちに苦労は買ってでもしろと言うけど
人格が歪むだけ。
精神疾患1名様入りむわぁーす♪
うちら元被虐待児は自ら望んで苦労をしてないからほぼほぼ精神疾患行きになるのかもしれないけど
苦労はしないに越したことはないし
泣かないに越したことはない。
人は自分の経験でしか物事を判断出来ないし、相手の立場に立って初めて相手の気持ちがわかる。
知らないと無知のままで相手を傷付ける。
大人達は子ども達に苦労してない人は優しくなれないとか命の大切さがわからないとかあれこれ理由を付けたがるけど
苦労してない人の方がめっちゃ優しいし、愛情深いし、命の大切さもちゃんとわかってるよ。
命の大切さについて人が死なないとわからないなんてありえない。
わからない人は障害が隠れてる。
人は余裕がないと人に優しくしたり愛したり出来ないから、苦労してない人の方が余裕がある。
苦労した方が人間としての深さが増すとか言うけど、増した人間がまともかと言えばそうじゃない。
人間の深さが増した如きで人格者にはならない。
人格者になった人は元々人格者。
素質が備わってないのに人格者にはなりようがない。
真似たところで芯の部分では身につかない。
苦労してきた人はとても疲れてる。
トラウマという名の風船は膨らみ続けているから、ちょっと触るだけで弾けてしまう。
触る行為が針を刺すことと同義になる。
そんな人が本当に優しいと思う?
上っ面の優しさ貰って嬉しいの?
苦労で傷付いた心が純粋な感情だらけかと言えばそれは違う。
苦労して傷付いて淀んだ分だけ純粋さは消えていく。
苦労してきた人達みんながみんなダイヤモンドだと思ってはいけない。
ダイヤモンドだったはずの人が苦労し続けて化け物に変化する場合だってある。
そして現実を知り続けていくうちにやがて穿った見方が付いて心が乾いてしまって心が死んでいく。
非行だったり自死だったり犯罪だったり…何かしら良くない方向へ向かう。
人格が歪むとどんなに他人に優しくされても差し伸べられた手は受け取れないからね。
周りからの愛情も受け取れない。
砂の器がいい例。
なんで赤の他人の自分に優しくするのか?がわからなくて怖くて殺しちゃうんだから。
1度歪んだ人格は元には戻せない。
歪になる。
そして友達や先生、ご近所さんや職場などで二次被害に遭う被害者達が拡大し続ける。
必要のない苦労はするべきじゃないし、望まない苦労もするべきじゃない。
嬉し涙と悔し涙以外は流すもんじゃない。
不必要な涙も苦労もいらないよ。
だから、子どもにとって関わる大人達って大事だし、育った環境って大事なんだよな。
苦労したとしても安全・安心・安眠が出来ない状態で正常な人間は作れない。