O先生に初めて会った時に
全て私の気持ちをわかってくれて

わかってくれていることが嬉しくて泣きながら聞いてたんだけど

「病気だから産まないなんて悲しいじゃない」

って言ってくれたのが印象的で…。

もうこれで号泣したよね…。

【産むことを諦めなくていい。あなたもお母さんになってもいいんだよ】

っていうメッセージがあって、むちゃくちゃ嬉しかったから。

私の気持ちをわかってくれて一緒に闘ってくれる人がようやく現れて

私は本当に本当に嬉しかった。

おじいちゃんと親友と同じぐらい100%私の気持ちをわかってくれていた。

だから頑張れた。

だから、O先生に息子を取り上げてもらえて、入院中の主治医になってもらえて凄く凄く嬉しかった。

妊娠中
ずっと心細かった。

夫が不能になって
私だけ1人で全部やって
自分の気持ちも体調も受診も後回し。

なんなら
お腹の子のことなんて1番最後。

全部夫中心に動いていた。

味方が欲しかった。
一緒に闘ってくれる人が欲しかった。

薬を飲まないと妊娠を継続出来ない絶望をわかってくれる人が欲しかった。

ずっと目の前で私とお腹の子を支え続けてくれる人がいなくて辛かった…。

妊娠中、ずっと24時間フラッシュバックして辛すぎて死にたかったのをわかって欲しかった…。

娘の気持ちを考えると苦しかった…。

産むことを心から喜べなかった…。

マイナートラブルもあったし

周りの心配はみんなプレッシャーだったし

治療途中の虫歯はどんどん進行して
歯は脆くなって
食べる度に歯が欠けてなくなるし

仕事はクビにされるし

夫は不能になるし

受診する科は産科含めて4つだったし

大学病院行って受診し終わった後には
必ず
地域連携部に行っては
お金の話や産んだ後の話を毎回してて

帰りはいつも夕方で
発作起こしながら帰ったり

受診の為にネカフェに泊まったり…。

妊娠中
あまりにずっと辛いので

「妊娠辞めたい…」
って精神科の先生に言ったけど…

【本当は辞めたいんじゃなくて産みたいんだけど、辛いんだよ…助けてよ…産みたい私の気持ちをわかってよ!!!!!】

って思ってるけど言葉に出来ないことをわかってくれる人が欲しかった…。

この妊娠中の苦しみをわかってくれる人が欲しかった。

当時

O先生は私が「妊娠辞めたい…」と言った言葉を精神科から聞いてるはずなのに、私に中絶の話なんて1回もしなかった。

それも嬉しかった…。
本当に嬉しかった…。

受診の度にランダムで当たる産科医達は「ここまで育ったんだから頑張りましょう」と励ます産科医達しか居なかったのに

O先生だけは1度も【頑張ろう】という言葉を使わなかった。

O先生の話をボロボロボロボロ泣き続けながら聞く私に

どうやったら私とお腹の子の為になるかひたすら考えて話してくれて行動を起こしてくれた。

薬を飲みながら妊娠を継続することも

O先生が話してくれたから納得して飲めるようになった。

O先生が「お腹の赤ちゃんは喋れないから、週一で見ていこうね」って言ったから頑張って通うようになった。

「妊娠は素晴らしいこと。妊娠を楽しんで欲しい」

と、言ってくれたから

その言葉でようやく妊娠を喜べるようになった。
楽しむようになった。
お腹の子に話しかけることも再開した。

O先生と出会えてから頑張れた。

O先生が「週一で見ようね」って言うから頑張って通うようになれた。

だから、O先生に会えないと不安だったし、悲しかった。

保健指導の助産師さんに「O先生に会えなくて悲しい」「入院時の主治医もO先生がいい」と言うほどだった。

無痛分娩にするか考えている話をしたら、O先生が【無痛分娩にした時のリスク】を熱心に私に話したから『自然分娩で頑張ろう』と覚悟出来た。

産科の外来の産科医はランダムだったし、入院時の主治医もランダムだったので、O先生が良かった。

夫にも「O先生がいい」とよく言っていた。

だから

緊急管理入院時からの主治医も緊急帝王切開の時もO先生になって本当に嬉しかった。

奇跡だと思った。

母として私の心が折れる度にこのO先生の言葉が支えになってる。

O先生の言葉は私の中ではとても偉大だ。

大学病院は偉大だ。