【注意】

この記事には【自死】の言葉が沢山含まれています。


フラッシュバックされる方は読まないことをオススメします。





































































では、本編はここから。




























































タイトルの通り


私の中には沢山の人がいます。


自覚は昔からありました。

数人…んー、2人…かなぁ…もうわからん…。


1人は私の生活をハチャメチャにする奴だったので


『私の身体は渡さない!!』


って強く思ってました。


もう1人(?)は


私が遠くまで逃げ切ったと思って安堵すると


後ろから肩をポンポンと叩き


ニタァーっと笑いながら


「もう逃げないの?」


と、たった一言。


あの笑った顔の気持ち悪さを表現したくてニヤっていう表現からニタァーって表現に変えました。


わかりますかねえ…どれだけあの子が笑った顔が気持ち悪いか。。。


…普通は視えないからわからんか…。


だから毎ッ回追いかけっこ。


17歳で児相から児童養護施設に緊急措置された頃には


私の中には死神がいました。


その死神はいつもこう言うんです。


「一瞬の開放感と永遠の後悔…どっちを取る?」


と。


私は瞬時にこう解釈しました。


一瞬の開放感→自殺

永遠の後悔→このまま生き続けること


だから私は毎回こう言っていました。


「私は永遠の後悔を取る!!」


と。


でもね


その頃


希死念慮(自殺念慮と言うべきか)とずっと闘ってました。


小説とかで


よく


【頭を抱えて床をのたうち回る】


ってあるじゃないですか。


あれ、素でやったことありますwww


ほんっとうに人が


『あ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!!!!!!』


ってなった時に



本当に耐えきれなくて頭抱えて床をのたうち回るんですよwww



傍から見たら滑稽ですよねwww



常に死ぬことを考えていました。



と同時に



【どうしたら生き抜けるのか】




同時に考えていました。





死ぬことを考えていたのにいつの間にか今をどうやって生き抜けるのかを考える頭に切り替わったりしていました。




小・中学生時代は『消えたい』


だけど


高校時代は確実に『死にたい』だった。





本当に施設に入った17歳・18歳は辛かった…。




高校へ行く道に本屋さんがあって

1つのコーナーだけ


だっっっっっっっっっっっっっっれもいなくて


だけど私はスルスルスル~と入っていき


見つけたのが5~6冊の自殺の本でした。


他にも古今東西(世界各国だったかな?)の風俗とか、裏ハローワークとか…そういう一般の人が読まない本がぎっしりあって


私はひたすら自殺の本を読んでました。


あと


SOGOの本屋でも

誰もいない空間があり


そこには

旧約聖書と海外の殺人事件を取り扱ったシリーズ。


血なまぐさい本しか読んでませんでした。


なぜ私が自殺の本を読んでいたかというと


おじいちゃんの気持ちをわかりたかったんです。


おじいちゃんは


第二次世界大戦でロシアに捕虜された人で

生き残れたラッキーな人で


愛するおばあちゃんに出会い

3人の子をもうけたのに


死ぬ手前に


「腰の痛みで死ねるかなって言ってた」


と、母から聞いてから知りたかったんです。


『一線を超える人の心理はどんなものか?』

と。


私自身は何度も自殺や家出を考えましたが


必ず自殺を考えると植物人間のイメージしかわかず

家出は必ず見つかるイメージしか湧かず


いつも断念していました。


そして


本当に死ぬことを考えていると

必ず

救いの手が出てくるんです。


首の皮一枚で生きてきました。


でも

今は首の皮一枚にすらなっていない気がします。


なぜなら救われた、と思えないから。


そして

よう言われるのが


「あなたは大丈夫」


何も事情を知らない人からよう言われる…。


だから、一線を超える人の気持ちを知りたかった。


だから自殺の本を食い入るようにひたすら読んでいました。


あ、ちなみにおじいちゃんは自殺ではなく、原因不明で亡くなっています。


死亡解剖(?)を母が断ったので亡くなった原因がわからないですが、確か70代だったので寿命と言われてしまえばそれまでなんですが…。


そんなこんなで


本屋に行くたびに

自殺の本が減っていくんです。


そして

最後に残ったのが


【完全自殺マニュアル】


発売された当時

たしか私は中学生だったかなぁ…?


新聞で騒がれていた気がします。

メディアも騒いでいたようです。


完全自殺マニュアルを使って亡くなったご遺族の感想の本もあり、読んでいました。


私ね

神社とかそういう所でも


だっっっっっっっっっれもいない所を見つけては入って行くんですよ。


私の意思とは関係なく。


『あ、なんか祀られてる!入ろう!』


ではなく


もう身体が勝手に動いてる。


脳は思考停止状態なんだけど、身体だけは動く…みたいな。


こういう体験してる人…いないかなぁ。


他にも不思議体験、いっぱいしてます。

予知夢とか。

10代が多く、20代のお盆前は酷い体験しました…しばらく自分の部屋で寝れなかったですから…。


児相に行く子達はみんな不思議体験をしている、と

私担当の江口さんが言ってました。


実は児童養護施設でも不思議体験をしています。


沢山あったけど

1番怖かったのは身体を乗っ取られそうになったこと。


3~4人に囲まれて怖かった~…。


ガタガタガタガタと身体が揺れて目を覚ましたけど


『目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ目を開けちゃダメだ』


と、なんでかしんないけどひたすら目を開けないことに集中してると


目を開けられる頃には朝だったり…。


あれが1番怖かったなぁ…。


産まれて初めて心霊体験というものをしました。


ほん怖レベルだったよあれ…。


あの時

もし

目を開けていたら…


今私はココにいなかったんでしょうねえ…。


それまでは


金縛りによくあってたし


お盆には

黒い人を視たり

影がない人とすれ違ったり

座ってた人が秒で消えたり


中学生時代は

生首が視えたり

声が聴こえたり

真後ろに立たれたり


なんだりかんだりしてましたけど…


視えたりするのは一瞬なので気のせいと言われればそれまでですがね…。


私の場合は気配を感じたり声が聴こえたりする派なので


視覚で視えるのは稀なんです。


今はもう昔ほどじゃないなぁ…まず敵か味方かわかんないから一般の人みたいにただの怖がりになっちゃったしな…。


性別とかもわかってたんですけどね~。


まあ、メインが10代なんでね…ながくて20代後半なので、気のせいと言われればそれまでですが。


あの視える感覚を立証出来ることは私の語彙力では出来ないし。


命の危険を感じたのは児童養護施設に居た時でした。


まあ、そんなこんなで


私の中には沢山人がいます。


でも会話は出来ないし、全然会えないし、何人いるかも今は把握出来ません。


幼い子の存在に気づいたのは子どもを産んだあと。


初めて幼い子に身体と脳を乗っ取られたのは子どもが1歳の時期でした。


気がついたら目だけ正常でした。


息子に対する嫌悪感や苛立ちは年々マシにはなっているものの


私の中では死活問題で苦しいんです。


以前


精神科の主治医やカウンセラーに話した時に


・何歳か?

・名前はあるのか?

・見た目はどうか?


幼い子の姿は


立って歩けて

見た目が4~5歳ぐらいの子で

髪が長いのですが

ワンピースかスカートはいてるんです。


ただ人の形をしてるんだけど

異形の姿なんですよ。


全身真っ黒だったり

炎に燃えていたり様々で


時にはドロドロしています。


キョンシーみたいに両腕を伸ばして『あいされたい』と歩いてる。


常にあの人に『あいされたい』と願っており

私の存在はガン無視。


私は長年その子が大嫌いでした。


子育てするまでは

いつも

隅かどこかで体育座りをしていました。


何しても響かないんですが


唯一

行動が止まるのが抱きしめている時。


でもね


私のハグはどうでも良くて

1番抱きしめて欲しいのは私の母なんですよ。


でもね

もう私は児相の立場なので

幼い子を守る為に

もう母の元には行かせてあげられません。


分離して新たな肉体を生み出してあげられるなら

その子を母の元に行かせてあげられるんだけどねぇ…。


せめて私がその子を産めたらね…。


そんな愛されることしか頭にない子が

先日死にまして…。


厳密に言えば動かなくなっただけだと思うんですが…。


あの人から夫経由で連絡があり


私があの人の言った言葉の解釈をしていったら

気がついたら死んじゃってて…。


自分は最期まで愛されないことを受け入れたんだと思います。


いや、厳密に言えば受け入れてないとは思います。


私の意思とは関係なく泣くので。


『泣くな!泣くな!』

と言っても涙がポロポロ出てきて


『もう耐えられない!!』


と、私の身体を借りて叫ぶので。


ねえ…

耐えられないよねえ…。


精神的な痛みを表す時に

よく


身がよじれる痛み

身が引きちぎられる痛み


とか言いますが


そんなもんじゃない。


まさに悶絶。


壮絶な痛みなんです。


言葉で表すことなんて出来ません。


いや、私が単に語彙力がないだけなんですが…。


ただ、本当に4~5歳だったとしたら…


その子が精神的な苦痛を言葉に出来るほど人間として機能はしてませんよね。


全く喋らない子なので、声すらも出ないというか…

そういう子なので、耐えられないと叫ぶのは私の脳を借りてるからなのかもしれません。


36年生きてきて


1度も愛された感覚がないってありえます???


私、ないんですよ。


愛されてるのかな…って

信じていいのかな…って


時に


いっつも母は


180度


グルンと手のひらを返すので

もう

毎回信用する心は粉々ですよ…


それはそれはもうエグい速度でグルンですよ…。


私が1番最初に信用出来なくなった大人は母でしたから…。


大人を信用出来なくなった→自分を信用出来なくなった→目の前の友人たちを信用出来なくなった→他人を信用出来なくなった→


『じゃあ誰を信用するのか?』


ってなった時に


私は自分を取りました。


これが小1か小2の話し。


今ねえ


出産してから昔の記憶がほぼほぼ思い出せないんですよ。


妊娠中に綺麗に母とおじの記憶しかよみがえらなくて


肝心なおじいちゃんと友人たちの記憶がほっとんど思い出せません。


三年経ってちょっとずつ自然に思い出せるようになりましたが…。


なんなんですかね…この私限定の脳の仕組みって。。。


妊娠中に強烈なフラッシュバックを24時間365日浴び続けなきゃいけないなんて聞いてないし


出産して大切な人達の記憶が全く思い出せないなんて聞いてないし


ましてや幼い子が私の身体を乗っとるなんてもっと聞いてないし。


私は一生子育てを楽しめないんでしょうか…。


私は一生我が子と楽しい日々を送れないんでしょうか…。


なんで息子を敵視するんだろう…自分が大事にされてこなかったからって。。。


はあ辛い…マジで。。。


気を抜くと母と同じになるので、息子の将来を考えれば親権を手放して児相に投げて普通の里親さんの元で育った方が幸せなはずなんですが…


いかんせん…手放せない…。


この手放せない感情か執着な愛なのかわかりません…。


でも愛があれば手放せるはずなので

たぶん執着なんだと思います…。


執着心って嫌ですね…