やっぱり
どこかで『自分は愛されていた』って思いたい気持ちがあるんだよな。
どこかで『虐待じゃない』って思いたい自分がいるんだろうな。
『ママを許したい』
『あれは虐待じゃない』
『自分は確かに愛されていたんだ』
そう思いたい自分がいる。んだろうな。
でもね
確かに私はママに愛されていたって確証はどこにもないの。
つまりはそういうことなんだよね。
愛されていたようで実は愛されていなかった。
確かに愛してはくれていた。
だけど
愛情を感じられなかった。
つまりはそういうことなんだろうね。
『じゃああの時どうすれば良かった?』
って自問自答するけど
正解を知らずに育った私は何もわからない。
わからないんだよ。
だから普通や血の繋がりに固執するんだよね。
世間の普通が正解だと思い込んでる。
でも「じゃあ普通って何?」って聞かれたらきっと答えられない。
それだけ不確かで曖昧なものに取り憑かれてんだよね…。