自分の子育てでの信念って
全部自分の経験からくるものだから
不安になる。

ただでさえ
昔から人と感じ方が違うし
早い段階から自分のモノサシが出来ちゃってたし
早い段階から大人の嘘を見抜ける子だったし
常に哲学的なこと考えて
前に進む時は常に石橋を叩いて渡るうえに
しょっちゅう橋は壊すし。

人の道に外れるような考えしか思わないし。

橋が壊れた時や道を見失った時は
必ず救いの手が出てくる。

子育てって
親の生き方や考え方がそのままそっくり刷り込まれるから

私が親でいいのか不安になる。。。

私という母親やお母さんにはなれても
世間一般の母親やお母さんにはなれないからだ。

結局
母親やお母さんというものを突き詰めていけば

親という人間、に辿り着く。

神でもなんでもない、ただの生身の人間。
歳をとっただけのただの子どものまま。

精神年齢はきっと我が子の方が大人だと思う。

親になったからすぐに成長するわけでも
必ずしも成長するワケじゃない。

私の母のように
いつまでも少女のまま
親になった人達も少なくないだろう。

ただこう考えてると
蓮がお腹にいた時にこういうことを考えてると
必ず胎動が起きていたことを思い出す。

産めなかった子がくれたメッセージも思い出す。

子育ては全て自分の経験から来るものだから
必要なら親権さえ手離すし
児相に連絡して
乳児院や児童養護施設に預けることも厭わない。

これが世間一般のお母さんになれない要因の一つ。

蓮が幸せになるのなら
私の気持ちを殺して手を離すことも構わない。

世間一般の他の人から見たら
この判断はただの独りよがりだし
蓮からすれば都合がいい。

ただ私は

母に育てられ
児童相談所も児童養護施設も経験したからこそ思う。

『もっと早い年齢(小学生など)で保護して欲しかった』
『親権を手離して欲しかった』

過去を振り返れば振り返るほどその思いは強くなる。

母との記憶がフラッシュバックすればするほどそう思わずにはいられない。

母は愛してくれた。
今も愛してくれてる。
あの当時と全く同じ愛で。

なぜ私が児童養護施設に入所したのか
なぜ自分の育て方が虐待になるのか
なぜ娘に自分の愛が伝わらないのか

なぜ娘が突然、家出をしたのか
なぜ里帰り出産を希望しないのか
なぜ孫と娘と一緒に住めないのか

母のなぜが解決することは、ない。
母が死んでからも。

永遠に来ない。

なぜならそれは母だから。

そして母への想いも変わることは、ない。

もし母のなぜが解決するとしたら
それは
おじいちゃんが仲介してくれた時だろう。

私の勘の良さも
母の顔色を伺うことも
母を憎んでいることも
全部お見通しだったから。

母に
私の勘の良さも
母の顔色をよく伺うことも
全部おじいちゃんが言ってたのにね。

それがどういうことか母は全くわかってなかった

私がHSPだとしたら
絶対おじいちゃんもHSP。

私をわかってくれる家族も
私の味方でいてくれる家族も
おじいちゃんだけだよ…。

夢でもいいから会いたい。
そして
子育てについて話したい。

私が小さい時に
おじいちゃんはどんな気持ちだったのか

どういう気持ちで接していたのか

なぜあの時
振り上げた手をあげたまま叩かずに
歯を食いしばって耐えていたのか

おじいちゃん。

暴力ってさ
精神病を持ってようが
発達障害だろうが
ダメだよね。

子どもは
どんなに小さくても
話せばわかるんだよね。

毎日毎日
言うこと聞かない人間と一緒にいると
どんどん化け物になって
母みたいになる。

人間らしさがなくなっていくのが辛いよ。

母性愛が脆すぎて辛い…

こういうときおじいちゃんがいてくれれば…って
何度も思うよ。

おじいちゃんという存在は
その場にいるだけで
例えば後ろ姿さえ
元気と愛情がチャージされる。

蓮におじいちゃんの愛情を注いで欲しかった。
抱っこして欲しかった。

なんでほかの人達はそれが経験出来て
私は出来ないの?

なんで他の人達は普通の家で
なんで私の家は普通じゃないの?

なんで私の家は異常なの?

出来ることなら
親を選ぶところからやり直して生まれ変わりたい。

私はなんで母達の家系に産まれなければならなかったの?

後悔しかないよ…

ただ唯一良かったのは
おじいちゃんに出会えたこと。

おじいちゃんがいなかったら
数々の母の躾にも耐えられなかったし
今も生きてないし
母と義父の恋愛から結婚するまでのあの1年間を耐えられなかった。

私がまだ幼いとき
おじちゃんが大暴れしておじいちゃんの口元が切れた日の夜中
トイレに一緒に行ったとき
「みちを独りにしないで」って言ったのに

おじいちゃん
私を置いて独りで死ぬんだもん…

死ぬの早いよ、おじいちゃん…

あの時
霊安室から頭痛がして過去最大の体調の悪さで

『あー、このままおじいちゃんに連れられていくのか…それならいいや…』

って思ったのに、連れてってくれなかったね。

あの時連れてってくれたら
こんな苦しい人生に耐えながら生きなくて良かったのに。

連れてって欲しかったよ、おじいちゃん。

おじいちゃんがいない人生なんて
生きる価値ないよ…

蓮は子育てが終われば私の元から去るし
蓮には蓮の人生がある。

家族や親子といえども個人だから
結局孤独じゃん?

だから、早く迎えに来て。

子ども産んで妊娠前の感覚には全然戻らないし
もう燃え尽きたよー…

もう独りは嫌だよ…寂しいよ…
辛い人生耐えてもなんもいいことないよ…

嘘でもいいから迎えに来て欲しい。

おじいちゃんとなら
死んでからの地獄もきっと耐えられるから。