今日、買い物へ行こうと運転中、自動車専用道路への上り口で、

後ろからトラック(トレーラー?)にあおられました。

高いところに運転席があるのだから、私の前の車との車間距離がないことは、見ていればわかるはず。

危なかったので、ブレーキを踏んだら、トラックへの挑発と取られたのでしょう。

自動車専用道路に上がれば、2車線になるのに、追い越し車線に入らず、走行車線のまま

私を壁の方へ追いやり、500メートルぐらいは走りました。

ぶつかる寸前でした。

完全に、危険運転。

子どもが同乗していなかったので、

その場で110番できず、自動車専用道路を下りてからしか通報できなかったのがすごく悔しい。

精神的圧迫を受けました。

まだ手が震えていて怖いです。

無事に家に帰れたけど、絶対あのドライバー許さない。

姫路11 く 1306 

見かけたら通報してください!

緑のシートをカバーで使っていたので、会社名が見れませんでした。

長男ヨッシーが高等部に入って2カ月が経ちます。


高等部でもとても良い先生方に担任を持っていただき、おかげで宿泊訓練は安心してお任せすることができました。


その代休の日。


朝から何をしようかな?と思っていました…。


最近、続けているノルディックウォーキングは、走ってしまうと追いつけないヨッシーとは一緒にできないし、


おやつ作りは、賞味期限が迫っているお土産にもらったもみじロールケーキ?!があるから今日はやめとこ・・・


と思うと結局なーんにもできなくて。


買い物も、昨日の夕方しておくつもりが、三男の遊びに付き合ってたら忘れちゃってて(><;)


ヨッシーがお昼寝タイムに急いで行ってきました。


これが日常になるのも、あと2年半。


卒業後、通える施設など、ほとんどないのです。


13年前、政府から発表された、障害者自立支援法により、社会福祉法人では新たに入所施設を立ち上げられなくなりました。


それに代わるもの、つまりケアホーム、グループホームは出来るものの、


待機の方々、優先順位で入所が決まるため、ヨッシーが初老を迎える頃にしか入所はできないでしょう。


私達家族も、確かに18歳で入所なんてさせるつもりもありません。


可能な限り自宅でと思っています。


が・・・生活介護(お年寄りで言うデイサービス)もいっぱいいっぱいになって、卒業がないため、


週に1日通えるかどうかさえ分かりません。


働きたくても働けない。


週に一度通えたらいい方のサービスも、16時には帰宅。


正直、不安しかありません。


でも、がつがつしたくない。


ヨッシーを理解して、支援してくださる方の居るところにしか行かせたくない。



私は、2年前まで6年間、同じ自閉症の子育てをしている仲間たちと、専門家の方たちと一緒に余暇を学ぶ活動をしていました。


その団体がNPO化するために、自分のできることを一生懸命してきました。


それまでにあった団体の荷物の整理、引越、不要になったものの廃棄、事業所の環境整備、


旦那のお給料1カ月分の寄付。


自分にできることをしようと、昨年度は、児童発達支援のパート職員として、週に一日だけですが、


働いたりもしました。


でも・・・


あまりにも自分のこどもが大事にされない、現実を見て、これは離れないと・・・と思いました。


障がい児の親である私達のことを、あまりにもないがしろにされ、がっかりしました・・・。


何のために?


活動をしてきた人のこどもしか通えないところを創ることはすることは考えていませんでしたが、


それでも、このないがしろにされようは一体…?


学生の頃から、私達の活動にボランティアとしてかかわっていた若い二人が、職員として採用されましたが、


それも、「え?!どうして、よりによってこの二人?」と、私達全員が想った二人でした。


子どもの支援を学ぶ気があるのか?!


あまりに可愛げのない態度。


挨拶さえしない。


そんな人たちの腰掛の職場を作るために、私達は頑張ったんじゃない。


(役員会に出た友達が、事業計画を見せてくれましたが、同じものを見ていた二人が、


「これをやるときには、私ここにいないし(^O^)/」と言い放ったんです)


しかし、そんな恨み節を言ったところで、事業は走り出している。


社会的に見れば、確かに意味のある事業なんだから、つぶれてもらっては困る。


私、一体何のために・・・


同じ活動をやっていた仲間は、それぞれ障がいのある子どもの支援に携わっています。


私だけ・・・何もしてない・・・というか、出来ない。


私の特性もあります。


余裕が無くなると、いろんな方面に迷惑がかかる。


でも、何も出来てない自分が情けなくて・・・虚無感いっぱいです。


どうしようもないことなのに、こんなところでつぶやいてすみません<m(__)m>


働きたいと思う気持ちは本当です。


でも、それも、三男が毎日登校しぶりがないから思えること。


昨年度と同じように、行き渋りが出たら、そんなことできるはずがない。


「ちょっと余裕ができたらそんなこと思うんだね」


私の取り扱いを一番わかっている、同じ活動をしていた仲間に言われた言葉です。


長男ヨッシーが実習に入れば、送迎が出てきて、まともに勤めることなんてできるわけがない。


でも、今を逃したら、いつ勤めなんてできるんだろう?


・・・単発のバイトから探してみようかな・・・


迷惑のかからない程度の・・・


昨日は、父の命日でした。


1年前の一周忌の法要は、父の命日当日でした。


父の最期の前の晩、一緒に泊まり込んでいた叔父と、あの日のことを話していたら、


思い出して涙が出てしまいました。


今年は、地区の行事と重なってしまい、当日にお参りすることは叶いませんでした。


行事が終わって自宅に帰って、心の中で父とお酒を酌み交わしました。


私なりの供養。


姉たちはあまり御酒を飲む方ではないので、私はお酒を付き合えたのが、


父との唯一と言っていいほどの思い出かもしれません。


まだ、父を想うと涙が出ます。


父は、苦しさから解放されたんだ。


そう思って納得しています。


それでも・・・


どうしてでしょうね?


長男ヨッシーが、やたらと「じいじのおみまい」という独り言を言います。


きっと、生前父の病院に御見舞に行く というスケジュールをカレンダーに書いていたのを覚えていて、


言っているのだとは思います。


ただ、日にちが合わないんです。


御見舞に行ったのは、2月。


その独り言を言うのは、1週間ぐらい前から。


主人が帰ってきたら、聞いてみようと思いますが、


父の危篤状態の時に、私が病院へ行ったのを、「お母さんは、じいじの御見舞に行ったんだよ」


と話したのかもしれませんね。


父が危篤状態になって、一度自宅に帰ったんですが、それがヨッシーの誕生日3月31日でした。


新幹線に乗って、ずっと声を殺して泣いていた私は、


迎えに来てくれた主人とヨッシーの顔を見て、声をあげて泣きました。


親が声を上げて泣く姿は、障がいのあるヨッシーには理解しがたく、不快だったのでしょう。


泣き声嫌いなのにね、今更ながら、ごめん、ヨッシー。


そのせいかもしれない。


ヨッシーの中には、じいじがいるのかもしれないけど、確かめる手段を持っていません。


父さん、みんな、一生懸命生きてるよ。


ヨッシーは、高等部に上がる。


次男は、中学校に行くよ。


三男は、柔道は辞めたけど、自分で「シュンがいないと不安だから、もう辞めたい」と言えたよ。


春休みには、家族で大分に旅行へ行けたんだよ。


そこでヨッシーとアオの誕生祝いもしたよ。


私は・・・これから仕事を見つけたいと思ってるよ。


父さん、どうぞ、安らかに。