わたしが離婚をすることを決心したのは、結婚生活が順風満帆に行っているようにみえていた、結婚生活4年目のころでした。
いまでは、そのころの私のことをまだ若かったなあと思います。だって、離婚ってものすごく大変だから。
今の私は離婚の大変さを知っています。離婚をする大変さに比べたら、もしかすると今のままの生活を我慢して続けようなんて思ってしまうかもしれません。
夫との生活は世間一般ではうまく行っていた方だと思います。夫は優しく、仕事も真面目にしているひとでした。ただとても仕事が忙しかったので、それなりにお給料をもらっていましたが、平日一緒に暮らしていても顔を会わせることはほとんどないくらいに忙しい人でした。お酒も飲めないので飲み歩くこともなく、女性関係のトラブルもありませんでした。今思えば、この圧倒的に時間の共有ができていなかったことがひとつの原因だったのかもしれません。
離婚の直接のきっかけは別居です。わたしが彼のそばにいることが耐えられなくなったからです。仕事の忙しい彼をサポートし、話を聞き、相手をする。私は私で自分の時間をとるときは彼に育児をしてもらう。これでバランスが取れているように見えたのですが、私の方が、いつしか肉体的にも精神的にも繋がりがみえなくなってしまいました。日々私は彼のサポートではなく「お世話をしてあげている」というネガティブな感情を抱くようになりました。仕事から帰ってくる彼に毎日わたしがごはんを作り、選択をし、掃除をしてあげる。保育園の送り迎えをし、子供を乗せて自転車で買い物に行く。私だってフルタイムで働いているのに。なんで私ばっかりなの???そんなネガティブな感情がどんどんどんどん大きく膨れ上がり、私だけの世界を持つようになり、その世界に彼はいませんでした。そしてこの世界をどんどん広げて行った時、自分の大切なものが逆転していることに気づいたんですね。彼のいない世界のほうが精神的にも肉体的にもリラックスしている自分に気づいたのです。そう、この時からもはや彼のことは愛していなかったのですね。そしてそれに対して彼は敏感に気づいていました。自分をもっと見て欲しいとさらに私に対して時間と、精神的な繋がりを求めてきました。しかしわたしはそれにはもう答えることができないことがわかっていました。彼にそう伝えた時の彼の表情は、忘れることができません。
離婚の話に戻ります。
離婚のなにが大変かというと。
まず、わたしが離婚しようとして私の周りにいる人たち・・・友達、同僚、親や兄弟にカミングアウトした時の反対はものすごいものでした。ほとんどみんな、あからさまに反対はしないんです。でも話を聞いてくれる振りをしながら、なんとか私に思いとどまらせようと、いろんな言葉を使って説得にかかるわけです。これはわたしにとって苦痛以外の何ものでもなかった。誰も私の気持ちを理解してくれる人はいない。どうせわたしはひとりなんだ。。。とどんどん心を閉ざして行きました。ただでさえ、離婚という選択をし、周りの人みんなに言われる言葉が、自己嫌悪の追い打ちをかけるわけです。私は彼の事を深く深く傷つけました。それと同じくらいか、それ以上に、自分自身のことも傷つけました。彼はとても素直な人で、そして人に頼ることが上手なひとでした。かれは傷ついた自分の心を周りの人たちにシェアし、助けを求めていきました。一方私は、心の中まで人に見せることはなく、どんどん壁を高く厚く積み上げていきました。大切な友達も何人か失いました。彼と私の共通のともだちからは何度も非難の言葉を浴びせられました。わたしはさらに自分の内側の殻にこもり、外に出れば誰かに追いかけられているようなきがして出られなくなり、仕事も休みがちになりました。
今思えば軽い鬱状態だったんだと思います。被害妄想も入ってたかも。このころのことは、実はあまりよく覚えていないんです。記憶がうろ覚えというか。。。空白の時間も結構あります。ときどき書いていた日記をみると意味不明なことが書いて有ります。よく出てくる文章は、「わたしがみんないけないんだ。あんたがかってにしたことだ」これ、多重人格の一歩手前みたいで自分でもちょっと怖いです。
人はあまりに辛い経験をすると、生きていくために忘れようとするみたいです。この当時は、心が本当に痛かった。折れそうだった。誰も私の本当の気持ちなんてわかってくれなかったし、誰にも心の内側まで話すことなんてできなかった。痛くて、痛くて、死んで心が死んでしまいそうだった。私はこの痛みを受け止められるようになるまで5年かかりました。今でも、この心の中の繊細な部分を、他人に対してオープンにすることは痛みが伴います。でも、これが私なんです。痛みを抱え、心に傷を負っている今のこの状態が、ありのままの私自身なんです。私は、この心の痛みを抱え続けることにもう恐れはありません。痛みはきっと癒えていき、少なくなるでしょう。でも私の人生から、消えてしまうことはないと思います。この不完全だけど一生懸命な私が私を私自身として受け入れることができたんです。痛みをたくさん経験してきたからこそ、人の痛みを分かち合えます。痛みがわかるから、強くなれるし、優しくなれる。私は5年の月日をかけてその事を学びました。
長文にも関わらず、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。次回は、セックスレスについて、話が脱線してしまうかもしれないけど、書いていこうと思います。応援よろしくお願いいたします。
