熱を、思い出す。
本当に必要なものについて考えている。
かれこれ10年くらい、まともな恋愛をしていないような気がする。
恐らく、僕自身に大きな問題があるからだ。
サイトとかやってるし、出会いとかあるでしょ?
それなりにモテるでしょ?と良く言われるのだけど、
特別モテるわけではない。
ただ、あれやこれやと、真面目にコツコツとやってきたら、ついに、
STREET SNAP STREETSNAPの検索ワードでついに7位に入ることができた。
これは素直にうれしい。
はいるものも居れば、去っていくものも居る。
通り過ぎていった、スタッフ達の功績が大きい。
感謝したい。
ビジネスの基盤になればと始めたサイトも、一年になる。
そろそろ何か新しいことをしていかなければならないと思って、いま準備している。
人は、目標をもって生きていくべきだと思っている。
ただ生きるだけ。
それほど意味のない生き方があろうか。
恋愛であれ、仕事であれ、夢であれ、大なり小なり、
何かしらの目標をもって生きて行った方が、
生き甲斐が生まれて、楽しみも増える。人生が充実すると思っている。
「生きる。」
という事も考えている。
先日、谷川俊太郎×松本大洋×ほぼ日の展示に行ってきた。
谷川俊太郎、松本大洋ふたりが作り上げた、
「かないくん」という、死をテーマにした展示だ。
▼死ぬとは?という問いに対するそれぞれの答え。

▼黒板に落書きをしてきた。

▼かないくんと、わたし

生きることは何かと、常に考えて、生きてきた。
それと共に、「死に方」について考えてきた。
ある時、愛を失った。
失った愛は取り戻す事がない。
人の気持ちは、一度失ってしまえば、それで、終わる。
愛は、終わる。
気持ちが離れた時点から、愛は、終わりへと、ゆっくり向かっていくものだ。
人間は、生まれ落ちた時点から、死へとゆっくりと向かっていく。
愛と、生の違いは、
生は一つだけということ。
愛は、次があるかもしれないということ。
一度、手にしたものしか、失うことはないけれど、
一度、愛を手にしなければ、失うこともないけれど、
やはり、愛はほしい。
人生において、ずっと、手にしたいと思っていて、
いまだに、安定した、なくすことがない、愛を、手にしたことがない。
愛
くりはらが、ひまこちゃん、是非読んでみて、というから、
川久保玲のインタビュー記事に目を通した。
最近、世の中では、「ノームコア」という言葉、ファッションスタイルがはやっている。
ノームコア。ノーマルコア。つまりは、「超普通」ということだ。
自然体でいること。かしこまっていないスタイル、生き方がトレンドらしい。
それに意を唱えるように、川久保玲は、述べる。
__「すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。
情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。
そんな風潮に危惧を感じています」
ぼくは、20歳くらいの頃、コムデギャルソンが大嫌いだった。
PLAY Tシャツを着て、リーバイスレッドをはくやつらが大嫌いだった。
「モード」を唱えるやつらが大嫌いだった。
体制が、流行が、大きな流れというものが大嫌いだった。
とにもかくにも、あれもこれも、大嫌いだった。
殺してやりたいほどに、打ちのめして、ひざまづかせて、地面に顔をすりつけてやりたいくらいに、
何もかもが、大嫌いだった。憎たらしかった。

▲怒りの産物。自分の遺影をイエ~イ!ってテンションで作る。反骨の精神を忘れてはいけない。
服というか、ファッションというか、
服を選ぶという事は、「生き方を選ぶこと」だと思っている。
いまも、そう思っている。
ファッションとは、その人間の内面性を如実に表している。
どう思われたいのか。
無意識にそれがでているのが、ファッション。
どう思われたいのか。自己表現によって、他者にどう感じ取られるのか。それによって、その人間の人生の大半は、決められる。
面がイイやつはやっぱり得だし、面が悪いやつは、やっぱり、イイやつと比べれば損だ。
外見にアドバンテージがあるというのは大きい。
人間は、外見で第一印象を掴み、そういう人間だろうと接する。
つまり、他人にどう思われるかの大半を決定する、ファッションとは、
服を選ぶという事は、「生き方を選択する」ということなのだ。

▲このNIKEの持ち主は、人生で初めて、ファッションとして、スニーカーをはいたそう。
__情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。
この言葉を見た時に、本質としては、似たようなことを考えていたのだな気付く。
何もせずに、現状に満足してしまっては、死んでいる事と、何も変わらない。
情熱を持つ。何に持つ。好きなものについて考える。好きなもののために行動する。
興奮。新しい価値観に興奮する。興奮を何かにぶつけ、表現する。
怒り。憤りをパワーに変える。行動力に変える。
現状の自分に満足しない。何もかもを受け入れてしまっては、その時点で、成長が止まる。
そのまま、ただ死へ向かっていくだけ。
死を受けれたら、あとは、肉体も、精神も衰えていくだけ。
生への、冒とく。
熱を、思い出す。
「アキレスと亀」という映画を見ている。
北野作品の中でも、特に好きな映画だ。

画家になるという夢を持たされた少年が成長し、
絵を描き、アートのためだけに人生を捧げるという物語。
献身的に、主人公を支える妻と、
画家になるためだけに、人生のすべてをかけて、絵を描きつづける主人公の話し。
篠原有司男を思い出す。


ボクシングペインティングが印象的なアーティスト。
妻のキューティーこと、篠原乃り子の作品も素晴らしい。
篠原有司男は、
完成された作品ではなく、
作り上げていく「行動」にこそアートがあると唱える。
愛すること、生きること。
それぞれに、アートがあると思うようになった。
芸術にはそれほど関心がなかったのけれど、
愛や、ファッションや、情熱を捧げ続けるものがなくなってくると、
アートくらいしか、心躍らせるものがなくなってくるのかもしれない。
アーティストとは、情熱的なようで、ある種、達観しているように思う。
何もかもをアートと括れるのは、少しばかりうらやましい。
ぼくは、おそらく、誰よりも、愛を求めているのだと思っている。
愛すること、愛される事を求めている。
愛がないから、違うものに情熱を注ぐようにしているだけだと思う。
愛を手にいれたら、今度は、その愛の素晴らしさを表現していきたいと思う。
智恵子抄のような、迷いなく愛を説き続けられるのは、ただただ、うらやましい限りだ。
くりはらが、自分が好きなものに気が付くのに、2シーズンほどかかってしまったと呟いていた。
ぼくも、本当に自分が欲しているものに、本当の意味で気が付くのに、
10年かかってしまった。
ウサギは寂しがりやではないのだよ、ひまこちゃんと。

ウサギは、一度セックスをし始めると、死ぬまでセックスし続けるくらい、絶倫だからって、
PLAYBOYのロゴはウサギなのだそうだ。
それを知った、高校時代、ぼくは、PLAYBOYがプリントされたZippoで、タバコに火をつけた。
ウサギは、寂しいから、ずっと離れたくないと、死をもってしてでも、愛を証明しているような気がする。

大人になってからタバコをやめた。一つ、トゲを失った。
子供の頃から憧れていたエンジニアブーツ。重たい、肉厚なレザーを用いた、カドヤのブーツ。
先日、ぼくは久しぶりに、重たいエンジニアブーツをはいた。
左には、ブーツストラップ。鋭い、今にも刺さりそうなほどのコーンスタッズがついている。
重いブーツでコンクリートの上、音を鳴らして歩く。ぼくは熱を、思い出す。

かれこれ10年くらい、まともな恋愛をしていないような気がする。
恐らく、僕自身に大きな問題があるからだ。
サイトとかやってるし、出会いとかあるでしょ?
それなりにモテるでしょ?と良く言われるのだけど、
特別モテるわけではない。
ただ、あれやこれやと、真面目にコツコツとやってきたら、ついに、
STREET SNAP STREETSNAPの検索ワードでついに7位に入ることができた。
これは素直にうれしい。
はいるものも居れば、去っていくものも居る。
通り過ぎていった、スタッフ達の功績が大きい。
感謝したい。
ビジネスの基盤になればと始めたサイトも、一年になる。
そろそろ何か新しいことをしていかなければならないと思って、いま準備している。
人は、目標をもって生きていくべきだと思っている。
ただ生きるだけ。
それほど意味のない生き方があろうか。
恋愛であれ、仕事であれ、夢であれ、大なり小なり、
何かしらの目標をもって生きて行った方が、
生き甲斐が生まれて、楽しみも増える。人生が充実すると思っている。
「生きる。」
という事も考えている。
先日、谷川俊太郎×松本大洋×ほぼ日の展示に行ってきた。
谷川俊太郎、松本大洋ふたりが作り上げた、
「かないくん」という、死をテーマにした展示だ。
▼死ぬとは?という問いに対するそれぞれの答え。

▼黒板に落書きをしてきた。

▼かないくんと、わたし

生きることは何かと、常に考えて、生きてきた。
それと共に、「死に方」について考えてきた。
ある時、愛を失った。
失った愛は取り戻す事がない。
人の気持ちは、一度失ってしまえば、それで、終わる。
愛は、終わる。
気持ちが離れた時点から、愛は、終わりへと、ゆっくり向かっていくものだ。
人間は、生まれ落ちた時点から、死へとゆっくりと向かっていく。
愛と、生の違いは、
生は一つだけということ。
愛は、次があるかもしれないということ。
一度、手にしたものしか、失うことはないけれど、
一度、愛を手にしなければ、失うこともないけれど、
やはり、愛はほしい。
人生において、ずっと、手にしたいと思っていて、
いまだに、安定した、なくすことがない、愛を、手にしたことがない。
愛
くりはらが、ひまこちゃん、是非読んでみて、というから、
川久保玲のインタビュー記事に目を通した。
最近、世の中では、「ノームコア」という言葉、ファッションスタイルがはやっている。
ノームコア。ノーマルコア。つまりは、「超普通」ということだ。
自然体でいること。かしこまっていないスタイル、生き方がトレンドらしい。
それに意を唱えるように、川久保玲は、述べる。
__「すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。
情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。
そんな風潮に危惧を感じています」
ぼくは、20歳くらいの頃、コムデギャルソンが大嫌いだった。
PLAY Tシャツを着て、リーバイスレッドをはくやつらが大嫌いだった。
「モード」を唱えるやつらが大嫌いだった。
体制が、流行が、大きな流れというものが大嫌いだった。
とにもかくにも、あれもこれも、大嫌いだった。
殺してやりたいほどに、打ちのめして、ひざまづかせて、地面に顔をすりつけてやりたいくらいに、
何もかもが、大嫌いだった。憎たらしかった。

▲怒りの産物。自分の遺影をイエ~イ!ってテンションで作る。反骨の精神を忘れてはいけない。
服というか、ファッションというか、
服を選ぶという事は、「生き方を選ぶこと」だと思っている。
いまも、そう思っている。
ファッションとは、その人間の内面性を如実に表している。
どう思われたいのか。
無意識にそれがでているのが、ファッション。
どう思われたいのか。自己表現によって、他者にどう感じ取られるのか。それによって、その人間の人生の大半は、決められる。
面がイイやつはやっぱり得だし、面が悪いやつは、やっぱり、イイやつと比べれば損だ。
外見にアドバンテージがあるというのは大きい。
人間は、外見で第一印象を掴み、そういう人間だろうと接する。
つまり、他人にどう思われるかの大半を決定する、ファッションとは、
服を選ぶという事は、「生き方を選択する」ということなのだ。

▲このNIKEの持ち主は、人生で初めて、ファッションとして、スニーカーをはいたそう。
__情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。
この言葉を見た時に、本質としては、似たようなことを考えていたのだな気付く。
何もせずに、現状に満足してしまっては、死んでいる事と、何も変わらない。
情熱を持つ。何に持つ。好きなものについて考える。好きなもののために行動する。
興奮。新しい価値観に興奮する。興奮を何かにぶつけ、表現する。
怒り。憤りをパワーに変える。行動力に変える。
現状の自分に満足しない。何もかもを受け入れてしまっては、その時点で、成長が止まる。
そのまま、ただ死へ向かっていくだけ。
死を受けれたら、あとは、肉体も、精神も衰えていくだけ。
生への、冒とく。
熱を、思い出す。
「アキレスと亀」という映画を見ている。
北野作品の中でも、特に好きな映画だ。

画家になるという夢を持たされた少年が成長し、
絵を描き、アートのためだけに人生を捧げるという物語。
献身的に、主人公を支える妻と、
画家になるためだけに、人生のすべてをかけて、絵を描きつづける主人公の話し。
篠原有司男を思い出す。


ボクシングペインティングが印象的なアーティスト。
妻のキューティーこと、篠原乃り子の作品も素晴らしい。
篠原有司男は、
完成された作品ではなく、
作り上げていく「行動」にこそアートがあると唱える。
愛すること、生きること。
それぞれに、アートがあると思うようになった。
芸術にはそれほど関心がなかったのけれど、
愛や、ファッションや、情熱を捧げ続けるものがなくなってくると、
アートくらいしか、心躍らせるものがなくなってくるのかもしれない。
アーティストとは、情熱的なようで、ある種、達観しているように思う。
何もかもをアートと括れるのは、少しばかりうらやましい。
ぼくは、おそらく、誰よりも、愛を求めているのだと思っている。
愛すること、愛される事を求めている。
愛がないから、違うものに情熱を注ぐようにしているだけだと思う。
愛を手にいれたら、今度は、その愛の素晴らしさを表現していきたいと思う。
智恵子抄のような、迷いなく愛を説き続けられるのは、ただただ、うらやましい限りだ。
くりはらが、自分が好きなものに気が付くのに、2シーズンほどかかってしまったと呟いていた。
ぼくも、本当に自分が欲しているものに、本当の意味で気が付くのに、
10年かかってしまった。
ウサギは寂しがりやではないのだよ、ひまこちゃんと。

ウサギは、一度セックスをし始めると、死ぬまでセックスし続けるくらい、絶倫だからって、
PLAYBOYのロゴはウサギなのだそうだ。
それを知った、高校時代、ぼくは、PLAYBOYがプリントされたZippoで、タバコに火をつけた。
ウサギは、寂しいから、ずっと離れたくないと、死をもってしてでも、愛を証明しているような気がする。

大人になってからタバコをやめた。一つ、トゲを失った。
子供の頃から憧れていたエンジニアブーツ。重たい、肉厚なレザーを用いた、カドヤのブーツ。
先日、ぼくは久しぶりに、重たいエンジニアブーツをはいた。
左には、ブーツストラップ。鋭い、今にも刺さりそうなほどのコーンスタッズがついている。
重いブーツでコンクリートの上、音を鳴らして歩く。ぼくは熱を、思い出す。

