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つれづれ映画ぐさ

忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

今回も前回に引き続き、ラクエル・ウェルチ主演の『マイラ』についてダラダラと書き連ねていきたいと思います。

 

前回、「マイラの主張とは?」と言う所で終えたので、今回はそこから始めたいと思います。

 

原作者ゴア・ヴィダルが小説の中で主張していた事の内、特にここを主張したいのだろう、と筆者が感じた部分が二つ有ります。

 

一つは、これ迄の所謂「男らしさ」「女らしさ」と言う古い考え方を捨てなさい、と言う部分。

 

もう一つが、男女の「性」の境界が取り払われる事が最も健全な形である、と言う部分。

 

今までの「性」に対する概念を無くす事が重要である、と言うゴア・ヴィダルの考えを、マイラの言動を通して主張したかったのではないか、そう思うのであります。

 

それ以外にも、色々と現代にも通じる問題点を突く様な指摘が有ったりして興味深いのですが、その辺りの事はここでは置いときます。

 

「男らしさ、女らしさ」「性の境界線」を取っ払う、と言う主張をないがしろにしてしまうと、マイラが、自身のお気に入りである「男らしい」ラスティを屈辱を与える形でモノにした後に、ラスティから冷たくされた恋人のメリー・アンに優しく言い寄り、おとそうとする辺りの行動原理が今一つ意味不明で、単にエキセントリックな人物で終わってしまうと思うのである。

 

男性の体から女性の体になったマイラが、逞しいラスティをディルドを付けて犯す、と言う辺りに前述の主張の一端が表れていると思うのだが、主張がサラリと流されてしまったので、単に「悪い女」の様になってしまっているのである。

 

昔ながらの「男らしさ」にこだわるラスティと、結婚して家庭に入り、子供を二人か三人産む事が「女の幸せ」と信じているメリー・アン。自分のお気に入りであるその二人の「古い」価値観を壊し、真の人間としての幸せを与えよう、そんな事をマイラは考えていたりするのである。余計なお世話っちゃあ余計なお世話だと思うけどね。原作でのマイラはその上、人間を超え男女全ての上に立つ、神の様な存在となるのだ、などとかなりトンデモナイ野心を持っていたりするのである。ん?やっぱりエキセントリックな人物か。

 

前述したマイラの主張は、映画の中ではサラリと語られるに過ぎない。しかしその主張に反対する様に、性モラルの低下や、LGBTQへの嫌悪も語られている。この辺りは勿論原作には無い。

 

原作者のゴア・ヴィダルは、バイセクシャルを公言していたのだが、そのゴア・ヴィダルが書いた脚本をプロデューサーは採用せず、マイケル・サーンに脚本を任せた辺りで、本作が原作の意図から外れて行くのは予想の範囲内だったと思う。

 

マイケル・サーンは、現場に入ってから、長い時では15、6時間も脚本を書き直していたと言う。恐らくマイラ=ゴア・ヴィダルの主張が理解出来なかったのだろう。そう感じるのは、マイケル・サーンは、それこそラスティの様に「男らしさ、女らしさ」にこだわりを持つ人物、と言う印象を受けるからである。

 

前作『ジョアンナ』で主演を務めたジュヌヴィエーヴ・ウェイトと、撮影当時付き合っていたマイケル・サーンは、『ジョアンナ』の撮影中、ジュヌヴィエーヴ・ウェイトに対して「生意気だから躾けるんだ」みたいな事を言って暴力を振るっており、その事を当時のインタヴューで悪びれる事無く語っていた様である。その様な人物には、マイラの主張は到底受け入れ難いものだったと思われる。

 

ここが、「その1」に書いた「本作の不評の原因がマイケル・サーンの起用に在る」と思う理由であります。スキャンダラスな内容の原作小説が大ヒットした理由の分析が、まるで出来ていなかったと思われるのである。

 

本作の不評により、二度とハリウッドから監督を依頼される事が無かったマイケル・サーン。折角のハリウッドメジャーからのオファーだからと、自分とは合わない企画を受けてしまったのだとしたら、少し可哀想な気もする。撮影現場での役者への態度が非常に悪かったと言う話もチラホラ聞かれるが、本人もイラついてたのかもね。まぁ、作品と共に、監督本人も不評なら二度と呼ばれなくても仕方ないかね。

 

しかし、マイケル・サーンにも褒める所が有ると思うのである。それは、「その1」で書いた原作からの変更点の二番目、「夢オチ」にした事である。

 

原作の最終章では、交通事故に遭ったマイラは、事故の影響で自慢のバストを失ってしまった後、性格も変わってしまい、ごく普通に「女性」を愛する「男性」に戻ってしまうのである。ヒゲも蓄えます。ただし、「女性器」を持つ「男性」である。

 

結果的に、マイラはより複雑な形で「性の境界」を取っ払った存在となった訳ですが、男性「マイロン」に戻ってしまった後は、事故以前の「マイラ」の考えや行いを、実に「異常な事」と考える様になってしまうのである。

 

原作小説を訳した永井淳氏もあとがきで、「終章のアンチクライマックスさえなければ」云々、と書いていました。確かに、「マイラ」の行いや考えを、最終章で全否定されちゃったらねぇ。

 

原作小説の最終章をバッサリ切って「夢オチ」にしたのは、まだ良かったのではないだろうか。

 

筆者としては、アカデミーの土地の半分と、共同経営権も手に入れたところで終わらせて、「マイラ、ハッピー」ってオチで良かったのでは、と思うけどね。

 

本作、内容や出来よりも、出演者の方に見るべきものが有ると言って良いと思う。

 

まずは、元女優でコーディネーター、レティシア役にメイ・ウェスト。1910年代から舞台女優として活躍、1930年代からは映画にも進出した、その当時の所謂「お騒がせ女優」である。本作撮影当時、御年77歳にして、若くて逞しい(主にアッチ方面での)男が大好き、と言う役柄は正に本人そのもの、と言った感じ。実に29年ぶりの映画出演だった。

 

そのレティシアのお相手を務めるマッチョマンの一人にトム・セレック。『ミスター・ベースボール』#7 で、我らが健さん、高倉健と共演した人である。本作が劇場用映画初出演。ほんのチョイ役だけどね。筆者としては『未来警察』#8 がお気に入り。こちらでは、ハードロックバンド「KISS」のメンバー、ジーン・シモンズと共演。ジーン・シモンズはこの作品で役者デヴューを飾った。メイクしていない顔をこの時初めて見ました。

 

そして、マイラがベタ惚れするメリー・アンに、まだデヴュー間もないファラ・フォーセット。テレビシリーズ『チャーリーズ・エンジェル』#9 で大人気となる前である。まだあどけない感じで可愛い可愛い。セミヌードも有ります。

 

そして、アカデミーの所長バック・ローナー役にジョン・ヒューストン。『白鯨』#10 等を監督した名匠。『白鯨』は、筆者も子供の頃に観て感銘を受けた作品です。この人は元々役者だった事もあってか、かなりの作品に役者として出演しているが、本作で演じたバック・ローナーは、毎日の様に所長室に出張マッサージ嬢を呼ぶスケベジジイである。原作とか全くチェックせずに引き受けたのだろうか?

 

他には、性転換手術前のマイラ=マイロンを演じたレックス・リード。当時人気の有った映画評論家。ゲイです。マイロンも映画評論家なので本人そのまま。

 

最後に、原題にもあるマイラのファミリーネーム「ブレッキンリッジ」について触れておこう。この「ブレッキンリッジ」と言う名は、実在の人物ジョン・ブレッキンリッジから採られている。このジョン・ブレッキンリッジと言う人は、司法長官や副大統領となった人を先祖に持つ名家の生まれながら、ドラァグクィーン(大雑把に言うと、女装して様々なパフォーマンスを行ったりする人の事)として舞台で活躍した人。まだ1920年代である。ゲイである事を公言し、尚且つ女装で舞台に立つと言うのは勇気がいると思う。しかも、この頃にフランスの伯爵家の娘と結婚し、子供ももうけていたりする。結婚生活は短かった様だけど。1954年には性転換手術をすると発表したものの、様々な事情で叶う事はなかった。1960年代に入り、本作の原作者ゴア・ヴィダルに伝記の執筆の許可を与えたが、結果として伝記とはならず、主人公のファミリーネームにその名を頂いた小説(本作の原作小説)が出来上がった、と言うのが極々簡単な、ジョン・ブレッキンリッジと言う人物の紹介になります。

 

おっと、一番重要な件を忘れていた。この人、映画にも出演している。サイテー映画として名高い『プラン9・フロム・アウタースペース』11 で、エイリアンのリーダーを演じていたのがこの人である。この映画の監督エド・ウッドも女装好きで知られた人物。ジョンの事は尊敬していたのではなかろうか。

 

本作、本来なら様々な事を考える切っ掛けを与えてくれる作品となってもおかしくはなかったと思うのだが、(恐らく)LGBTQについて理解の無い監督(兼脚本)のマイケル・サーンにより、単に一風変わった作品となってしまった気がする。

 

価値観の多様性を認め合う事が、より求められる様になった現代にこそ、マイラのメッセージは、やや極端ではあるものの、考えさせられるものが有るのではないだろうか。リメイクする勇気の有る映画会社、監督が出て来ないかなぁ。上手くやれば、結構面白くなると思うんだけど。

 

#7( 『 Mr. Baseball 』 1992年 アメリカ、日本合作 )

#8( 『 Runaway 』 1984年 アメリカ )

#9( 『Charlie's Angels 』 1976年~1981年 アメリカ )

#10( 『 Moby Dick 』 1956年 イギリス、アメリカ合作 )

#11( 『 Plan 9 from Outer Space 』 1957年 アメリカ )