おはようございます。
秘書アシスタントの岡田知子です。
今朝は、ことわざのお話。
「隣の芝生は青い」
国語辞典で引くと、
他人のものはなんでもよく見えることのたとえ。
隣の花は赤い。隣の糂汰味噌(じんだみそ)。
と書かれています。
…糂汰味噌が何か分かりませんが(笑)
諺があるということは、
昔から人間というのは、人のものを見ては羨ましく思っていたわけです。
「あいつの庭の芝生は青いなあ。それに比べて家は…」
「あの子の家の花は赤いなあ。うちの花はあまり綺麗じゃないのに…」
「お隣の糂汰味噌は…」
糂汰味噌が何か分からんから例えが作れないけど(笑)
多分味がいいとか発酵が上手い具合とか、そういう感じですかね。
(Google先生に聞けばいいのだけど、この手間を面倒臭がる私。許して)
人と自分を比較して、自分にないもの、自分より優れてる(と思う)ところを見て「羨ましい」と感じる。
「妬み」「嫉妬」という気持ちを持つ。
わざわざ諺が作られちゃうぐらいだから、人間の中に元々インストールされた感情なんでしょうね。
「ないものねだり」なんて言葉もありますよね。
例えば、
身長の高い女の子と、身長の低い女の子。
「いいなぁ、背が低くて。かわいくて」
と背が高い子が言えば、
「いいなぁ、背が高くて。かっこよくて」
と低い子が言う。
背が高ければ、洋服をかっこよく着られるし、
身長制限のある職業にも就ける。
元々人間にインストールされている感情だから仕方がないのだけど、
隣から見たら、あなたの芝も目が痛いぐらい青いんだよ。
ということを忘れないでね。
そう言うと、きっと、
「いや私の庭なんて、半分枯れてるし」とか
「草ぼーぼーだし」とか、
絶対反論する人がいると思うんだけど。
(私のことだね。)
青いから。
私から見たら、どの庭もまばゆいくらいに青いから。目痛いから。マジで。
秘書アシスタントの岡田知子です。
今朝は、ことわざのお話。
「隣の芝生は青い」
国語辞典で引くと、
他人のものはなんでもよく見えることのたとえ。
隣の花は赤い。隣の糂汰味噌(じんだみそ)。
と書かれています。
…糂汰味噌が何か分かりませんが(笑)
諺があるということは、
昔から人間というのは、人のものを見ては羨ましく思っていたわけです。
「あいつの庭の芝生は青いなあ。それに比べて家は…」
「あの子の家の花は赤いなあ。うちの花はあまり綺麗じゃないのに…」
「お隣の糂汰味噌は…」
糂汰味噌が何か分からんから例えが作れないけど(笑)
多分味がいいとか発酵が上手い具合とか、そういう感じですかね。
(Google先生に聞けばいいのだけど、この手間を面倒臭がる私。許して)
人と自分を比較して、自分にないもの、自分より優れてる(と思う)ところを見て「羨ましい」と感じる。
「妬み」「嫉妬」という気持ちを持つ。
わざわざ諺が作られちゃうぐらいだから、人間の中に元々インストールされた感情なんでしょうね。
「ないものねだり」なんて言葉もありますよね。
例えば、
身長の高い女の子と、身長の低い女の子。
「いいなぁ、背が低くて。かわいくて」
と背が高い子が言えば、
「いいなぁ、背が高くて。かっこよくて」
と低い子が言う。
背が高ければ、洋服をかっこよく着られるし、
身長制限のある職業にも就ける。
(スッチーとかモデルとかね)
背が低ければ、気にせず高いヒールが履けるし、
可愛らしい格好ができる。
それぞれに良いところがあるわけです。
それを踏み倒して、ないものばかり、自分が持ってなくて人が持っているものばかりに注目してしまう。
背が低ければ、気にせず高いヒールが履けるし、
可愛らしい格好ができる。
それぞれに良いところがあるわけです。
それを踏み倒して、ないものばかり、自分が持ってなくて人が持っているものばかりに注目してしまう。
どちらが優れてるという訳でもないのに、勝手に人が持ってるものの方が「良い」と思って、羨んでしまう。
元々人間にインストールされている感情だから仕方がないのだけど、
隣から見たら、あなたの芝も目が痛いぐらい青いんだよ。
ということを忘れないでね。
そう言うと、きっと、
「いや私の庭なんて、半分枯れてるし」とか
「草ぼーぼーだし」とか、
絶対反論する人がいると思うんだけど。
(私のことだね。)
青いから。
私から見たら、どの庭もまばゆいくらいに青いから。目痛いから。マジで。
疑うなら、一度隣から見てみるといいよ。青いから。ほんとほんと。
てな感じで、週の中盤水曜日。
疲れを溜めず、かろやかにまいりましょう♡