母の日。【私から母へ】 | Spirit【魂】Life.

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色々あった人生でした。でも本当に「全ては自分次第」だった! パニック障害完治.5感6感フル活用して発達障害パートナー.JK•JC双子三姉妹.老犬と共に好転人生楽しく創造中♪ 魂の声にそって自分を大切にする。それだけできればみんな大丈夫!魂軸で生きるHSPな主婦の活動報告ブログ。




おはようございます。


肌寒い朝です。


今朝はママ横の気分のボクです🐾



でもピッッッタリ
張り付きスタイル。笑






今日は


私の母の事を話したくなったので
話してみようと思います。


長くなると思います。


私が私を知っていく上で


母の存在や、在り方は
切っても切れない存在となります。


良くも、悪くも…。





昔からね


ずっと疑問でした。


「なんでこの人は
こんなに苦労ばかりして、
幸せそうじゃないんだろ?」って。


私を見つめる作業と共に、
母の事も紐解きながら
見つめてきています。


母は4月で67歳になりました。





東京、立川に産まれ
裕福ではないが
優しい両親と兄の元で育ちました。


しかし


10代の頃に
お父さんを亡くし、
(脳梗塞とかだったと思います。)


お母さんが突然失明します。


きっとこの後
とてもとても苦労したと思います。


自分の事は二の次で
お母さんの目となり手となり
足となっていたと思います。


横浜のデパート丸井に就職し、
鹿児島から上京してきていた
父と出会い社内恋愛ののち、結婚。


専業主婦になり


24で姉を産み、2年後兄を産み、
その7年後に私を産みます。


私が幼少の頃の母を思い出すと


笑顔が素敵で


よく動いて


私が小学生になったら
2年程仕事もして


みんなに頼られてて


母も楽しそうで
イキイキしていた様に感じます。


しかし


徐々に陰りが見え始めます…


父は仕事人間でした。


でも役所勤めだったので
飲み会以外の日は帰宅早く、
九州男児の上、亭主関白。
(まぁ、そんな時代でもありましたが。)


多くは語らず、偉そうにしている。
(子供の私が見た感じ。
でもユーモアがある人でした😊)


家事育児も手伝わず。
(お風呂は毎日一緒に入っていました😊)


父が帰ってくる時間に合わせて
私たちのご飯とは別に
毎日晩酌の準備をしていました。


そして母も一緒に晩酌。


今思えば、父と母の


もっと言えば母にとっての


かけがえのない時間だったのでは
ないでしょうか。


しかしよく喧嘩もするようになります。


ちょっと何か言うと
すぐに父が怒り出すので
母は相当色々と我慢してたと思いますが
(父も父で、
たくさん我慢してただろうなと
今なら思える。)
我慢しきれなかった時が…もう大変。


お皿やコップ飛ぶ


張り手のし合いしてる
(プロレスラーか。笑)


姉兄はもう大きくて
バイトや遊びでいなかったので
小学生の私、ただただ1人で
泣きながら耐えてました😢


今思い出しても怖い。

(私はインナーチャイルドを癒しました。)


その頃から
父の浮気疑惑があったみたい。


といっても
飲み屋のお姉ちゃんとか
スナックのママとか


相手はそういう感じだったと思う。


お気に入りとかがいて
お母さんがそれにヤキモチを焼いて
嫉妬に狂っていた。


父が帰ってこなくてねー
(外泊は無かったと記憶。遅いだけ。)


母はイライラして
唇噛みしめて
モンモンとしてるわけですよ。


壁にコップ投げつけて


私に当たるんですよ。


小学生の子供相手によ?


よくやるわって思う。笑




母は「女>母」だったんですね。


(そこで私の持論がうまれました。

母親には2タイプあって、

①「女母」タイプ 
②「女母」タイプ。

①の母は、
夫やパートナーが軸。

DVを受けがちな人や、
子供虐待のニュースの容疑者で
「内縁の夫」が多いのは
お母さんが①タイプで
恋愛モード強めな為、
これを止められないのではないかと思う。

②の母は、
子供や自分が軸。
夫やパートナーがおかしな動きをしたら
即座にそちらを切り離し
(色々方法はある)、
子供や自分を守る。)



そして心を病んでいきます。


更年期障害からの、鬱病。


本人も、家族も
「更年期障害が中々治らない」って
ずっと思っていたので
鬱に気付いてあげるのが
とても遅くなってしまいました。


何年も母から笑顔が消えて


「死にたい」って母の口から聞いて
初めて、これ鬱だ。


と判明。


それから父が
少しずつ変わっていきます。


今まで一切しなかった


掃除、洗濯、簡単な料理、
(自分のつまみを自分で作る。)
猫の世話、母の世話をするように。


飲み屋のママから直接聞いたのですが
飲み来ると、帰るときは
「お母さんが家で待ってる」と言って
帰って行ったそうです。涙




ここで母が
その愛に気づいて
それをしっかり噛み締めて
今までを許して
癒されていってくれたら
よかったのですが。


完全によくなる事は無く
(鬱はよくなったり
また戻ったりを繰り返します。
本人も家族も辛いものがあります。)


私が長女を産んだ頃、
アルコール依存症に。


しかるべき施設に入院もしました。


ここがドン底ポイントでした。




そして


お酒の抜けた母は一旦元気になります。


花が大好きで、花屋で働き始めます。
(まだ更年期だけの頃にも
少しやっていて、違うお店で再び。)


笑顔も戻りイキイキして
私が幼少の頃に見た
母の顔をしていました✨


ここで鬱の薬を手放したり
何かもう一歩踏み込めればよかったですが
そこは依存体質の母、


止めたら戻ってしまいそうで嫌だと
鬱の薬は飲み続け…


次第に
お酒も少しずつ、復活。


もうドン底までには落ちないまでも
やはり鬱病を
完全には手放しませんでした。


その頃
私は双子を産み


3歳になった頃。



父の癌が発覚し
半年で死に至ります。

(この辺りで精神を病むバトンが
パニック障害という形で
私にも回って来ますが、
少しだけ味わったのち
「私にはいらん!」と立ち向かい
今に到っています😊)




それから5年。


現在の母は


相変わらず鬱は手放さず


お酒も手放さず


昔からのお友達や、
父が亡くなってからできた
老人会のお友達(男性も😁)と
なんだかんだで
楽しくやっている様です。


子供や孫もみんな近くにいるので
友達と予定がなくて寂しくなると
ちょっかいを出してきます。


「食欲がない。病気だ。」

「胃が痛い。胃癌だ。」

「口内炎できた。舌癌だ。」

「おしっこが泡立つ。病気だ。」


っていちいち騒いで


「病院行ってきな」って言われて


病院行って安心して。


「なんでもなかった。」って
報告してきて


「よかったね😊」って言われて。




子供みたいに、それを繰り返す。





母はそうやって


母の前からいなくなった人たちからの


足りないと思い込んでる
愛情を


今できる形で
確かめているのだなと
感じます。



そう思ってないと


本当になくなっちゃう気がするから。


ひとりぼっちになっちゃう気がするから。



なくなっちゃう気がするって事は


あるって事なのに、ね。




側に、たっくさんね😊




私なりの前向きな考えを
母に吹き込みながら
母はみんなに愛されてるよを伝えながら
ほどほどに相手をしています



しかし


こんな母に
真面目に付き合ってた
目覚める前の私よ




ま・じ・で






ナイス
ファイト。笑



いやもう


完全に


ずーっと
母がしたくてしてるコントなのに。


途中で周りが何言っても


薬やめろーお酒やめろーって
どんなに言ったって


たとえ父が亡くなったって


止めるわけがないのよ。


だって

母が
味わいたい人生だもの。


母以外には

母の人生は

創造し得ないのですもの。



私もそうであるように。



これに気付けなかったらね


まだまだ私の力で
母をどうにかしてあげられるって
思って生きていたからね。


ここまでどうにもできてないのに。


ずっと頑張っていたでしょうね😊



でもそれは


私がそれを
経験したかった

からなわけでね。


仕方ないよね


経験するために、産まれてきた。


みんな


誰もが


どんなことであっても。



ま、ここからは
またスピリチュアル的になっていくので
今日はやめておきます。




ただ


ひとつ確実に言える事は



お母さん
私を産んでくれて
ありがとう!



あなたがいて、私がいる😊


それは感謝すべき事実。





お母さんがどうかはわからないけど
それは私にはどっちでもよくて



私は


今とても幸せ!!♪