「マイナスの思い」と「疑問や不安の思い」との違い
いつもブログをお読みいただきありがとうございます。
人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
創造主が創られた世界は、この地上で生きている人間、この3次元世界を包含する4次元以降の多次元世です。
永遠の生命として作られし神の子、仏の子が、4次元以降の実在界から転生輪廻のシステムでこの3次元地上界に転生してきているのです。
転生輪廻とは、永遠の生命としての個々の魂が、肉体に宿ってこの世と4次元以降の”あの世”を繰り返し転生していること。
なぜ、転生輪廻というシステムを創造主はつくられたのでしょうか。
人間は何度も生まれ変わって何を求める存在として創られたのでしょうか。
この点から人生の秘密が明かされます。それは、全ての人に明確な人生の目的、使命が設定されているということです。
転生の都度に、様々な時代、新しい環境、人間関係、仕事など、新しい経験を積みながら、魂の向上を目指す存在として期待されています。
この3次元世界は、その個々の人生を通して、心の修行、魂の修行、悟りの向上、6次元以降の高次元世界へ、魂個々の成長を通して、無限の向上を求められているのですね。
この3次元地上世界は、心の修行の世界です。
どうすれば、人間は成長できるのでしょうか。何を学び、どう生きればいいのでしょうか。
仏法真理は、人生の教科書です。今、すべての秘密が明かされています。どの経典を読んでも人生の問題、疑問に回答が書かれていいます。
人間の幸福とは何か。
心の修行、学校としてのこの地球上の人生から考えると、真実を知り、心の成長、魂が成長していることを感じることが無上の幸福である、そういう結論になります。
人間の本体は、魂です、魂の中心部分が心です。肉体ではありません。肉体は、魂の成長のために与えられた人生を生きるための機械のようなものです。
肉体の喜びを求めるのではなく、人生経験の途上で、日々、魂の向上、魂の喜びを求めてください。
それには、人生の使命が次のテーマととしてかかわってきます。
魂個々の個性に合わせた、使命。しかし、これには一つの方向性が提示されております。
その方向性は、利他、周りの人々を幸福にする。今世の心の修行として与えられている世界を幸福なものとする。ユートピアにするための方向性が示されております。
今日のブログ、仏法真理の一部をご紹介いたします。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
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Happylife-Happyhealth
Happy Science Q&A 『人生にどう生きるか』 より
” 「マイナスの思い」と「疑問や不安の思い」との違い ” をご紹介いたします。
【目 次】
1. 「疑問」には「探求心」と「猜疑心」の両面がある
2. 「素直な心」を取り戻し、「新しい出会い」を信じること
3. 「マイナスの不安」と「プラスに転じる不安」の違いについて
4. 他人も自分自身も生かさない思いが「マイナスの思い」
■「疑問」には「探求心」と「猜疑心」の両面がある
「マイナスの思い」というものも、いろいろなものを相当包含しています。いろいろな要素があります。
例えば、今、あなたは「疑問」というものを出しましたけれども、では、「疑問自体がマイナスかどうか」というと、これには両面があると思うのです。疑問には両面あります。
良いほう、プラスのほうで生かすとすると、「探求心の強さ」になると思います。
いろいろなことに対して素朴に疑問を感じるということは、そういうふうに感じる人ほど、素晴らしい才能を持っている可能性は強いです。
そうした疑問を感じる能力がないと、例えば、科学者などにはなれないと思います。哲学者にもおそらくなれないでしょう。あるいは、神学者、宗教家にもなれないかもしれない。
いろいろな人生の疑問に突き当たったときに、「探求していこう」という気持ちがあるからこそ、深いところまで行けるのです。
そういう意味における「疑問」というのは大事にしなければいけません。
ただ、「疑問」が悪く働く場合もあります。「これは疑問だ」と自分では思っているけれども、本当はそうではなくて、「猜疑心」になっているのです。
疑問と猜疑心は、本人が自覚しなければどちらか分からない面があります。
「疑問」というものは、それが素直であれば極めて透明感の強いものです。
ところが、「猜疑心」になると、「緑色の、蛇の目のようだ」とか、「猜疑心というのは緑色だ」とか、よく言われますけれども、そういう感じが出てきます。
それは何かというと、疑問というものは魂の生地からストレートに出てきて、「なぜだろうか。知りたいな」という気持ちになるけれども、猜疑心は、いろいろと人から害された経験に基づいているのです。
自分がそう思っているだけなのですが、人から害された経験が何度かあると、ほかの人を信じられなくなっているのです。
そして、また新しい人に出会うと「私を傷つけるのではないだろうか」と、いい話があると「落とし穴があるのではないか」と、そのように感じます。
あるいは、宗教もそうです。一つのところへ行ってこりごりすると、違うものが出てきても。「またこれも同じではないか」「自分は被害者になるのではないか」と、こういうように思うわけです。
すなわち、単純に「疑問」と思えるものも、その中には、明らかに「猜疑心」といわれるものがあるのです。
猜疑心は、その人が過去、傷ついた経験、自分が害されたという経験に基づいています。ゆえに、猜疑心の根本は何であるかというと、これは疑問というより「懐疑」です。
「うーん、どうかなあ」という、ネガティブに否定的に見ていく思いがそこにある。
そこには「他の人を生かす思い」がないし、「自分自身も積極的に良くなっていこうという思い」がありません。 “護ろう”としているだけです。
「とにかく世の中は悪いのだから、とにかく保護しておいて、入れないようにしておけば済むんだ」という思いですね。
これは発展的ではありませんし、どちらかといえば地獄に近い考え方だと思います。
疑問の内容を分けて、猜疑心に近いと思ったら、これは、やはり「素直さ」が足りないのです。
疑問のなかでも「素直な疑問」というものはあります。ですから、「素直な気持ち」ともっと取り戻すことです。
それと、「新しい出会い」を信ずることです。今まで自分は不幸であったかもしれないけれども、これからもそうであるとは限りません。
しかし、本当にいい人が現れたとしても、猜疑心の心で見たらみんな悪く見えてきますから、通り過ぎていきます。結局、自分は不幸を愛しているということになります。
ですから、素直な心を取り戻すこと、それから、他人に対する評価をいったん白紙に戻すこと、もう一回、新しい感覚で受けようとすることです。
■「マイナスの不安」と「プラスに転じる不安」の違いについて
それと、もう一つ、「不安」というものがありましたね。不安にも、やはり(「マイナス」と「プラスに転じるもの」との)二通りあると私は思います。
ただ、不安のなかには、やや、“否定的な部分” のほうが多いかもしれません。
やや否定的なものが多いというものはどういうことかというと、不安の多くが、実際は悩みを生じさせているからです。不安というものが悩みを生じさせている。
人の悩みというものは、本当は現在ただいまの悩みであることは少ないのです。現在ただいまではなくて、これから自分を迎えるであろう、漠然とした不安に怯えていることが多いのです。
たいていの場合、そうです。過ぎてしまえば何でもないことですが、これから起きることに対する不安感でいっぱいなのです。それが人間を苦しめるようになります。
例えば、主婦であれば、子供がいたら子供の将来に対する不安がある。ご主人の将来に対する不安がある。いろいろありますね。
これが取り越し苦労的に出てくると、だいたい「マイナスの思い」になります。
ただ不安のなかでもよいものもあります。よいものを二種類挙げてみますと、一種類目は、「自分が創意工夫を凝らす」という意味での不安の活用があります。
悪いことが起きそうだったら、「事前に手を打っていこう。何か工夫をしていこう。このままではいけない」ということです。
例えば、「このままだと、あと一年で会社が潰れるかもしれない」と。これは危機感ともいいます。こういう危機感という名の不安もあります。「一年ぐらいで潰れるかもしれない」。
ただ、「じっと待っていたら潰れるけれども、何とかしてこれを打開しなければいけない」ということで、みなが士気を高めて、「頑張ろう」ということになって、結局、乗り切ったとすると、この不安はプラスに転じます。
すなわち、みんなのやる気を高める、士気を高める意味での不安感あるいは危機感というものは、プラスに転じることがある。これが一つです。
それから、二種類目として、不安と思われるもののなかには、“愛の変形したもの” があります。「愛」の部分です。
例えば、「子供が学校に行くとき大丈夫だろうか」「帰り道は大丈夫だろうか。知らない人に声をかけられるのではないだろうか」とか、
いろいろとお母さんの不安というものがありますが、この不安の一部分は、やはり、“愛が変形したもの” です。
まだ自分自身の行動に責任が取れない者、自分自身で正当な判断ができない者、そういう弱い者、小さな者に対する愛が不安というかたちで表れることは当然あります。
ですから、こうした不安は必ずしも悪ではありません。幸福の科学の教えとしては、「心配性も悪だ」というふうによく言っています。
「心配性、取り越し苦労や持ち越し苦労も悪だ」というように言っていますが、悪ではない面もあります。それは、そうした「愛」の部分です。
親が子供に対して、ある程度、心配性であったり、ある程度、不安を持っているということは、これは愛です。そういう愛の思いで包んであげないと、やはり、何かのときに失敗する可能性が強いからです。
ただ、当然ながら、これも行き過ぎるともちろん悪になります。
■他人も自分自身も生かさない思いが「マイナスの思い」
このように、いろいろな物事には両面があって、それをよく見極めない必要があります。今、疑問と不安を挙げられたけれども、それ以外ものにも同じような考えがあります。
結局、どういうことかというと、他の人を生かさない、そして、究極的には自分自身も生かさない、こういう思いが「マイナスの思い」なのです。
Happy Science Q&A『人生をどう生きるか』 第二章自己変革へのアドバイス より
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。
今日のブログは、Happy Science 『人生をどう生きるか』 よりご紹介しました。
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