エル・カンターレが明かされた秘密 : あるべき姿
いつもブログをお読みいただきありがとうございます。
人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです
人生は一冊の問題集、あなたにとって、「魂の学校」としての今日の学びは何でしょうか。
今日があなたにとって、魂の飛躍となることをお祈り申し上げます。
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。
あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。
神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。
あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
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Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『幸福の法』より "あるべき姿” をご紹介いたします。
【幸福の原理】 ついては、『幸福の法』 に詳しく書かれています。
要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。
【目次】
1.あるべき姿とは、まず「信仰」を持ち、さらに、「愛」に生きること、そして愛ある世界をつくること
2.愛に生きることが、仏の子であることの証明
3.悟りを高める、心こそ魂の本質
4.人間の本質は、自由自在に思いを変え、決める力
5.この世において菩薩の心を持って生きた人が、死後に行く世界は ”菩薩の世界”
6.仏の偉大なる計画、地上をユートピアに
7.多くの人々を救うためにこそ、仏法真理を伝える
■太陽の時代における、あるべき姿
太陽の時代における、あるべき姿とは、まず「信仰」を持つことであり、さらに、「愛」に生きることです。
愛のある世界をつくらなければなりません。
これは、2000年前のイエスの時代にだけ言われたことではないのです。
根本的に、仏や神といわれる偉大なる存在が持っているものは、愛あるいは慈悲の心です。
その心が人々を生かし、導いています。
したがって、仏の子である人間もまた、愛、慈悲に生きなくてはいけないのです。
ただ、ここで間違いやすいことは、愛というものを、多くの小説などにあるような、奪う者、「奪う愛」として考えることです。
愛というものを、「人から貰えば、奪えば、幸福になるが、貰うことができなければ、不幸になる」というように理解し、
「いかに自分が愛されるか。いかに自分が貰えるか。いかに自分が人からして貰えるか」ということばかりを考えている人が数多くいます。
そして、欲しい人ばかりで、自分から差し出す人がいません。そういう世の中です。
お互いに助け合うことさえできれば、幸福に生きることができるのに、奪い合うばかりで、幸福になれないのです。
残念な世の中です。観の転回、思いの転回さえなせば、幸福になれるのです。
■愛に生きることが、仏の子であることの証明
愛とは、人から奪うことではなく、人に与えることです。
それは、人間がそもそも仏の子であり神の子であることに根本があります。
仏や神は愛と慈悲に生きています。
したがって、「愛に生きる」ということが、仏の子であり神の子であることの証明なのです。
それは与えきりの世界です。ちょうど、あの太陽のように、一円も取らずに与えきりなのです。
常に、人のためによかれと思う生き方をしなさい。常に、人々に与えなさい。
「自分が何をしてもらえるか」ということではなく、「自分が何をしてあげられるか」ということを、心に思い描くことです。
そこに地上天国が現れてきます。
愛のなかには、難しい理論がたくさんあります。しかし、いちばん簡単なことが、いちばん大事なことなのです。
「奪う愛」は、仏教で言う「執着」、とらわれにしかすぎません。
「奪う愛」ではなく、「与える愛」なのです。
「人をいかに愛したか」ということです。
「自分がいかに愛されなかったか」ということを考えるのではなく、「自分がいかに人を愛して生きてきたか。
あるいは、これから生きていこうとするのか」ということを考えることです。
それが、来るべきユートピアの原動力になるのです。
■悟りを高める、心こそ魂の本質
「愛」という基本原理について語りましたが、もう一つ、どうしても知っていただきたいことは、「悟り」ということです。
「悟り」というと、その仏教的な響きにとらわれて、「宗教のなかの一つの考え方だ」と思う人がいるかもしれません。しかし、悟りは、やはり大事です。
悟りというものを簡単に言えば、あるいは無霊魂説のように捉える人もいますが、そういう人も、「仏教は人間に心がないと説いている」と考えているわけではないでしょう。
「仏教は無我説である。無我だから魂はない」などと言っている人も、「心はない」とは言えないでしょう。
その心なるものこそが、実は魂の本質部分なのです。
あの世に持って還れるものは、その心だけです。
魂というものを、3次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。
「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。
その考える姿、考える機能だけが、あの世にいくのです」ということです。
魂は、あの世でも、まだ人間的記録を持っているあいだは、人間のような姿をとりますが、
人間的記憶が薄れていくと、そういう姿をとらなくなります。
考え方としてのみ、思いとしてのみ存在するようになるのです。
人間は、ぜんまい仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。
しかし、実際はそうではありません。人間は、さまざまに考えることができます。どのように選ぶこともできます。
自分で考え方を決めることができます。思いにおいて自由自在です。
■人間の本質は、自由自在に思いを変え、決める力
自由自在に思いを変え、決める力、それが人間の本質なのです。
その本質が、肉体が滅びたあとも、あの世に存続しているのです。
「考えや思いは遺るのだ」ということです。
「魂」という言い方をすると、現代では、受け入れない人もいます。
しかし、過去、何百年前、何千年前に亡くなった人であっても、その人が行なった偉大な行為に伴う思いは、偉大なる大霊界において存続しています。
崇高な行為をした人の、その魂の輝きと思いは、いまだに遺っていて、多くの人に影響を与えつづけているのです。
たとえば、イエス・キリストという人が33年の人生を生きました。
彼の活動は、肉体を失ったときに終わったのかといえば、そうではなく、
その思いは、いまも活動しつづけているのです。
釈尊は2500年前になくなりました。
現代の日本人から見れば、釈尊は縄文時代の人であり、「縄文時代の人に、どれほどのことが言えるであろうか」と思う人もいるでしょう。
しかし、その慈悲と悟りの心は、いまも遺っています。それが霊界の神秘です。
そのように、人間は霊的存在であり、心が自分であると思うこと、
それも、迷いの心ではなく本質的な心を自分だと思うことが大事です。
そうした自己観の転換が必要です。
自分についての見方を転換し、自分というものを違った観点から見なければいけないのです。
■この世において菩薩の心を持って生きた人が、死後に行く世界は ”菩薩の世界”
さまざまな教えに説かれているように、その心は、「いかにして仏に近づいていくか」
ということにおいて努力し、修行することによって、高度化し、純化され、輝きをますようになります。
そして、その心の到達度は、この世に生きている人間でありながら、死後に行くあの世の世界とまったく同じなのです。
この世において菩薩の心を持って生きた人が、死後に行く世界は、菩薩の世界です。それ以外の世界ではありません。
天国に行くか地獄にいくかというのは、死んでから分かることではなく、生きているうちに分かることなのです。
みなさんが、毎日毎日、考えていること、あるいは、この一年、この十年、考えつづけていることは、どのようなことでしょうか。
その思いの程度を見れば、みなさんは、どの世界の住人となるのか、あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということがわかります。
したがって、「悟りを高める」ということは、より良き未来設計そのものでもあります。
来るべき自分の人生を決めることであるし、自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。
それは非常に大事なことです。
「愛を与える」という実践の原理と、「自分自身を知る。自分自身の本質を知り、それを高める」という向上の原理を、大事にしなくてはなりません。
■仏の偉大なる計画、地上をユートピアに
人間は、「愛」と「悟り」という2つの大きな武器を持って、この地上をユートピアにしていく必要があります。それは物質的なユートピアではありません。
私は、この世の利便性を否定するつもりは決してありませんし、食べ物や着る物、住居、その他のものを否定する気もありません。
そういうものもまた、人間の幸福感に寄与するものであることは、充分に理解しています。しかし、主と従とを間違えてはいけないのです。
「心の修行のために生きているのだ」という、主なるものを忘れてはいけません。
そういう心の修行の便益のために、この世的な、さまざまな文明の恩恵があるのです。この主と従を間違わないことです。
結局、どのような生活形態、社会形態のなかにおいても、人々が愛と悟りを求めて生きているような、そういう心の社会を建設していくことが大事なのです。
私たちが求めているユートピアは、目に見える姿でのユートピアでは必ずしもありません。
「こういう建物があり、こういう道路があり、こういう政治理念、経済理念で、こういう形態で生活すれば、それがユートピアである」というようなものではありません。
人々が、変化するもののなかにあって、変化しない方向性を知り、向かうべき方向を知り、その高みを知ること、
そして、この地上世界を、菩薩や如来の世界、天使の世界に近づけていくことが大切なのです。
この修行のために、大勢の人々が、長い長い年月、この世において魂修行をしているのです。
これが仏の偉大なる計画なのです。
■多くの人々を救うためにこそ、仏法真理を伝える
こういう話は、学校や実社会で勉強した知識だけから見れば、荒唐無稽にも思えるかもしれません。
しかし、この世を去って、あの世の世界へ旅立ったときに、それが100パーセント真実であったということを、みなさんは一人残らず知ることになります。
「それは死んでから分かることであるから、そのときに知ればよいではないか」と言う人もいるかもしれません。
しかし、一日も早く知っておくことが、みなさん一人ひとりにとっても、他の人にとっても、よいことなのです。
この世で共に生きている人々が、仮にも、地獄といわれる暗い世界で何百年も苦しまなくても済むように、助けていきたいものです。
同じ世界で、同じような情報を共有しながら生きているのに、なぜか間違いを犯す人が出てくるのです。
間違った生き方というものは厳然としてあります。それを教え、助けてあげる必要があります。
それは、あの世の天使の仕事でもありますが、やはり、この世に生きているうちに教えてあげるべきだと思います。
ユートピアづくりの大きな原動力は、また、伝道の力でもあります。
伝道は愛です。それを忘れてはいけません。
多くの人々を救うためにこそ、伝道活動が必要なのです。
その意味において、一人でも多くの人に真理を伝える必要がありますし、
一人でも多くの人に私たちの仲間になっていただきたいと考えています。
まだまだ、信じる人の力が弱いように思います。
もっともっと多くの人が信じるようになれば、ある水準を超えたときに、
ほとんどの人がそれを真理だと思う瞬間が来るのです。
その日が一日も早く来ることを願いつつ、
『太陽の法』という一冊の本が、一人でも多くの人の手に届くように、
そして、まだ真理に出会っていない人たちの導きとなり、
彼らにとって、真実の世界が開かれ、目から鱗が落ち、
仏の子としての新しい人生が始まるように、祈りたいと思います。
Happy Science『幸福の法』 より
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。
今日のブログは、Happy Scienceの 『幸福の法』 よりお伝えしています。