エル・カンターレが明かされた秘密 : 与える愛が広がれば世界は平和になる

 

 

いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

 

人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです

 

 

人生は一冊の問題集、あなたにとって、「魂の学校」としての今日の学びは何でしょうか。

 

今日があなたにとって、魂の飛躍となることをお祈り申し上げます。

 

 

 

どう生きたらいいのだろう?

人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?

 

その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。

 

あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。

 

神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。

 

 

・Happy Science 『2022年コロナ戦争の行方 バイデン守護霊/習近平守護霊の霊言』

 

 

・Happy Science 『聴くワクチンー信仰心を高め、コロナウイルスと戦う力を強める音楽』

 

 

 

Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『幸福の法』より ”与える愛が広がれば世界は平和になる” をご紹介いたします。

 

 

【幸福の原理】 ついては、『幸福の法』 に詳しく書かれています。

 

要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。

 

 

 

【目次】

 

1.愛には発展段階がある

 

「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」という段階です

 

2.動植物にも魂があり、もう一段の魂の進化を求めて魂修行をしている

 

人間への道のりは長いけれども、根本的には同じようなものが動物のなかにも宿っているのだ。彼らのなかにも、人間と同じ喜怒哀楽の心は宿っている

 

3.愛の原理が広がれば世界は平和になる

 

キリスト教では、愛の教えが説かれていながら、足りないものがあるため、争いが絶えません。そこへ、仏教的な部分を加味した愛の教えが入り、慈悲の教えに転化すると、争いがやんでいく

 

 

 

◆愛には発展段階がある

 

さらに、その教えには幾つかの段階があることを、私は『太陽の法』などの著書で説いています。「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」という段階です。これは、難しい哲学的な議論のように見えるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

 

最初の「愛する愛」は、自分の隣人への愛、隣人愛です。家族や友人など、日々、接する人への愛です。これは、低級な愛のようであって、低級ではありません。

 

この段階を超えられたら、みんな天国に入れるのですから、非常に大きな法門です。まず、愛する愛を実践しなくてはいけないのです。

 

次に、天国に入れる心境であることを前提に、「生かす愛」という、一段高い愛の教えが出てきます。これは、ちょっと厳しい面もある愛であり、智慧を使わなくてはいけない愛です。指導者、導く者としての愛です。

 

たとえば、教師の愛、学校の先生の愛は、子供を甘やかすことだけではないでしょう。もちろん、子供としては、ほめてもらえばうれしいし、優しくしてもらえればうれしいでしょうが、人を教育する際には、それだけではいけません。

 

やはり、𠮟るべきところは叱り、直させるべきところは直させることが必要です。本人にとっては苦しくても、「いま努力しなければ、あなたには道が開けない」ということを教えてあがなくてはいけないところもあります。

 

そのような、智慧を使い、優しさと厳しさを兼ね合わせた愛が、生かす愛です。

 

この段階まで行けば、この世的には、けっこう立派な指導者になれると思います。

 

その上に、「許す愛」という宗教的境地があります。さらに、もっともっと深い愛がでてくるのです。

 

自分の自我、自分のなかの自分、人とは別の独立した自分というものを考えているうちは、生かす愛ぐらいまでが限度だと思います。

 

ところが、もう一段、宗教的境地が高まると、自分が自分であって自分ではないような感じがしてくるのです。「仏の大きな手のひらの上に生かされている。

 

その手の上に乗っている」という感じがしてきて、さらには、「その仏の指の一本として、この世で生きている。その指の一本として、この世で活動しているのだ」という感じが分かってきます。

 

「自分は自分であって自分ではない。仏の使命を果たすために選ばれ、その一部として、この世でいきているのだ」という深い人生観が出てくるのです。

 

こういう深い人生観が出てくると、非常に慈悲に溢れた、ものの見方ができるようになります。すべての生きとし生けるものがこの世で魂修行をしている姿に、感動するようになります。

 

そのため、どのような悪人のなかにも、善なる光、仏性の光が見えるようになります。

 

「この人の心のなかにも仏性はあるのに、いまは、こういう間違った考え方や間違った心により、間違った行為をして苦しんでいる」ということが分かるようになるのです。

 

こういう心になると、罪びとに対しても、愛の心、慈悲の心が起きてきます。

 

「何とかして、この人の仏性を光らせることはできないだろうか。たとえ、他の人はこの人を愛することができなくても、自分は、この人のなかの仏性、仏の光を愛してあげよう」という気持ちになるのです。

 

 

◆動植物にも魂があり、もう一段の魂の進化を求めて魂修行をしている

 

それから、この世の生きとし生けるものの姿に感動します。草花たちの生きている姿にも感動し、動物たちが一生懸命に生きている姿にも仏の光を感じるようになります。

 

そして、動物たちにも魂の修行があるということが分かってきます。

 

動物たちも一生懸命に修行をしています。食料を求めて知恵を巡らしたり、敵から身を護るために必死になったり、子育てに努力したり、冬の雪の日には、凍え死にそうになりながら、なけなしの草を探したり、一生懸命に努力し、生きていくために苦労しています。

 

彼らも、もう一段の魂の進化を求めて、苦労しながら努力をしているのです。

 

「人間への道のりは長いけれども、根本的には同じようなものが動物のなかにも宿っているのだ。彼らのなかにも、人間と同じ喜怒哀楽の心は宿っている。

 

『これから、長い長い転生の過程のなかで、やがて人間になっていきたい』と、みんな願っているのだろうな」

 

動物たちの姿が、そのような目で見えるようになってきます。

 

「生きとし生けるもののなかにある、仏の生命が見えてくる」という、この悟りの段階が、許す愛の世界なのです。

 

この段階に来ると、生かす愛までの段階では、まだ充分に見えていなかったものが見えてきて、許す愛の気持ちになってくるのです。

 

もう一つ上の「存在の愛」は如来の愛です。これは大きな大きな境地です。ただ、この愛については、まだあまり考えなくてもよいでしょう。

 

まず、愛する愛、生かす愛、許す愛の実践に、一生懸命に取り組んでいけばよいと思います。

 

「その人の存在自体が時代精神となって世を照らしていく」という、存在の愛の境地は、自分から求めるものではないかもしれません。

 

それは、世の人々が言うこと、後世の人々が言うことであって、自分から求めることではないのです。

 

しかし、「願わくは、全生命に命を投げかけている太陽のようになりたい。

あるいは、水に飢えた山川草木に干天の慈雨を降らす雨雲のような、ひび割れた大地をサーツと潤していく、水をたっぷり含んだ雨雲のような、そういう慈雨の塊になりたい」という気持ちは、存在の愛への願いです。

 

それは、「自分の近くにいる人だけでなく、多くの人を照らしていきたい」という気持ちです。

 

幸福の科学も伝道活動を行っていますが、この世的な活動には、まだまだ限界があり、ベストセラーを出しても届かない人がいます。講演をしても届かない人がいます。

 

法話のテープやCDを出しても届かない人がいます。翻訳した外国語版の本を出しても届かない人がいます。そういうたくさんの人がいます。

 

しかし、「できるだけ多くの人に真理を伝え、幸福になってもらいたい」という気持ちはあります。その大きな大きな仕事をしたいと思っていますし、幸福の科学に集っているみなさんも、そう思っていることでしょう。

 

その大慈悲、大悲の心から見れば、「家族で仲よくする」「友人と仲よくする」というような愛は、確かに小さなものかもしれません。

 

最初に述べた、「身近な人たちを愛していく」というのは、小さなことかもしれません。しかし、その一歩から始まって、大きな大きな慈悲に成長していかなくてはならないのです。

 

このように、愛には発展段階があります。

 

もちろん、それぞれの愛の段階には、共通したものが当然あります。愛する愛のなかにも、生かす愛は一部入っていますし、生かす愛のなかにも、愛する愛がありますし、許す愛もあるでしょう。

 

また、小さな存在の愛にも誰もがなっているでしょう。まず、家庭のなかで存在の愛にならなくてはいけません。

 

父親は父親として光輝き、母親は母親として光輝き、子供は子供として光輝くことです。そして、学校で照らし、あるいは地域で照らすことです。そういう小さな存在の愛は誰にでも可能性があるでしょう。

 

各段階の愛は、それぞれ別のものでありながら、同じものでもあるということです。

 

それは、「愛の現れ方に、どういう段階の差、発現の差があるか」という見方であって、それぞれ、どの面も、あることはあるのです。「どの面がいちばん強いか」というだけのことなのです。

 

そのように、悟りの段階と愛の段階を兼ね合わせた、「愛の発展段階説」というものを説きました。

 

 

◆愛の原理が広がれば世界は平和になる

 

愛の原理は、「『奪う愛』をやめて、『与える愛』に生きなさい」ということであり、これを守るだけでも天国に入れるのですから、ありがたいことです。

 

ただ、「与える愛」の実践に智慧が足りないと、失敗することもあります。人を甘やかして堕落させたり、悪いことをしている人をほめて、それを助長したりすることも、たまにあるので、そういう局面が出てきたら、智慧を使わなければいけません。

 

そういう意味で、智慧を使って、ときどき、心ならずも叱らなくてはいけないときがあります。厳しい面、厳しい父親のような面を見せて、導かなくてはいけないところもあります。そういう生かす愛も勉強しなければいけないでしょう。

 

ただ、生かす愛が強くなると、善悪の目がはっきり出てきますが、善悪を分けすぎると、本来の仏のこころから少し離れるところもあります。

 

それを超えていくものは、やはり、許す愛なのです。生きとし生けるものに対する深い慈悲の心、これで超えていけるのです。

 

さらには、「自分の今生での数十年、あるいは百年の人生を、最大限の光として遺したい。多くの人に光を与えたい。闇夜の法灯のように、できるだけ光を照らしたい。港にある灯台のように、できるだけ遠くまで光を届けたい」という気持ちを持たなくてはいけません。

 

そういう愛の発展段階があるということを、修行者はみな、心のなかに銘記しておかなくてはならないのです。

 

しかし、現実には、最初の出発点からつまずくでしょう。「存在の愛の実践をしよう」と思っても、夫婦げんかや親子げんか、兄弟げんか、友達とのけんか、職場での上司とのぶつかり合い、同僚の嫉妬など、いろいろなものがあって、うまくいかないものです。

 

したがって、「この段階が終わったから、自分の修行はもう終わった」というようなものではないのです。いつも原点はここにあり、くり返しくり返し出てくるものであって、常に点検し、修行しなくてはいけないものなのです。

 

これが愛の原理です。ここだけでも押さえていただければ、世界は平和になりますし、もう一つ、キリスト教の愛の教えの足りない部分を補うことができます。

 

キリスト教では、愛の教えが説かれていながら、足りないものがあるため、争いが絶えません。

 

そこへ、仏教的な部分を加味した愛の教えが入り、慈悲の教えに転化すると、争いがやんでいくところがあります。

 

したがって、当会の愛の教えが世界に広がるだけでも、人類はかなり幸福になると思います。

 

 

Happy Science『幸福の法』 より

 

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---

 

                                                 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。

 

今日のブログは、Happy Scienceの 『幸福の法』 よりお伝えしています。