エル・カンターレが明かされた秘密:霊障にならないための「自己研鑽」―With Savior(救世主と共に)――

 

 

いつもブログを見ていただきありがとうございます。

あなたの「悩み」[苦しみ」「問題」の解決にお役に立てれば幸いです。

 

 

数回に分けて、人生を変える新しい世界観 『秘密の法』 をご紹介します。

 

 

 

どう生きたらいいのだろう?

人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?

 

 

その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。

あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。

 

神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

 

あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』 を贈ります。

 

 

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Happylife-Happyhealth、今日のブログはHappy Science人生を変える新しい世界観『秘密の法』 より “霊障にならないための「自己研鑽」 をご紹介いたします。

 

 

 

霊障にならないための「自己研鑽」

 

 

【目 次】

 

1.  重い霊障になると、肉体のコントロールができなくなってくる

 

2.  「霊聴」などが止まらないと、仕事や勉強ができなくなる

 

3.  規則正しい生活をし、体や知性・理性、意志の力を鍛える

 

4.  教学等を続ける態度が、霊の惑わかしを避けることになる

 

5.  そううつ気質のタイプは、理性を持って心を平らかにする努力を

 

 

 

 

■重い霊障になると、肉体のコントロールができなくなってくる

 

霊障も屋根の雪と同じなので、重くなってくると、“家ごと壊れてしまう” ところがあります。家ごと壊されてしまうと、もはや住処としては適しません。

 

魂として、なかに住めなくなるような状態になるのです。

 

霊子線が付いたまま、肉体から出たり入ったり、遊離しているような状態になって、その間に、ほかのものにズボズボに入られるようになってくることがあります。

 

こうなってしまうと、けっこう手強いのです。

 

やはり、本人の魂は、肉体に対して一番強い力を持っていなければいけないのですが、柱が折れたり、窓が破られたり、

 

屋根に穴が開いたりして家自体の機能が壊れてしまっているために、「魂の住処」として十分ではなくなっているのです。

 

霊子線でつながっているだけで、ほかのものがズボズボと入ってくるような状況になってくると、なかなか肉体のコントロールもできなくなってきます。

 

したがって、誰が言っているのか、何が言っているのか分からないし、ほかのものが入って話しているような状態になるのです。

 

話を聞いているときに、「聞いているのはその人ではない。ほかの人が聞いている」都いうような状態になると、「記憶にない、やった覚えがない」というようなことがたくさん起こります。

 

その人は、「聞いた覚えがない。やった覚えがない。なのに、みんなは『そうだ』と言う。世間はおかしい」というようなことを言い出すのです。

 

これは、医学的には「解離性障害」とよくいわれるものですが、本当に、「衝動的に殺人を犯したけれども、そのとき体に入っていたのは本人の魂ではなかった」

 

という場合があり、「殺人鬼のような魂が入っていて、刺してくるいる瞬間には本人の魂はいなかった」ということがあるわけです。

 

そのため、記憶にないのに自分が人を殺したと言われて、「分からない」という人もいます。

 

 

■「霊聴」などが止まらないと、仕事や勉強ができなくなる

 

それから、もう一つ、霊体質になり、「霊聴」といって、耳からいろいろな霊の声が聞こえてきたりすることがあります。

 

この霊聴が止まらなくなって、これを塞ごうとしても塞げず、いろいろなときに不用意に聞こえてくるのです。

 

これをコントロールできないと、仕事はできませんし、学生であれば学校の勉強ができません。声がたくさん聞こえてきて、

 

試験問題を解いていても声が聞こえてくると言う状態になったら、なかなか難しくなり、駄目になってしまいます。

 

最後には、もう、ヘッドホンをかけて、「正心法語」の音声を24時間流すようなことになる人もいると思いますが、けっこう厳しいだろうと思います。

 

こういう「霊の声が聞こえる」ということがあります。

 

あるいは、「幽霊のようなものが、いつも視える」という人もいます。これもきつい話です。

 

普通は、そのように視えたり聞こえたりはしないようにできているので幸福なのですが、そのせいで信仰心がなくなっている面もあります。

 

しかし、いろいろなものが視えすぎると、これもまた困る話です。

 

本当に霊が来ていて、それを確実に視ている場合もありますが、本人の恐怖心が呼び込んでいろいろなものが視えているという、妄想に近いものもあることはあります。

 

恐怖心がいろいろな幻影をつくり出し、視えているように感じている場合もあるのです。

 

これは、心が「平静心」を完全に失ってしまっている状態です。

 

視えたり聞こえたりしても、一般的には精神病棟に入れられるような状態になる場合があるわけです。

 

 

■規則正しい生活をし、体や知性・理性、意志の力を鍛える

 

それでは、そうならないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。

 

これも本当に大事なところですが、「できるだけ規則正しい生活をする」ということが、やはり一つです。規則正しい生活をするということです。

 

それから、「体の定期的な鍛錬」です。忘れずに体も鍛えないといけません。

 

馬でも走る訓練をしないと走れなくなります。ですから、体も鍛えなければいけないということです。

 

また、過密スケジュールでやりすぎている場合には、休むことも大事です。「ときどき休みを入れる」ということも大事なのです。

 

先ほど述べたように、霊の声がたくさん聞こえ、妄想が視えて、世の中が “モワッとして” いるような、何だかよく分からない感じになってくる人もいると思いますが、

 

そういう人こそ、やはり、「知性と理性を鍛える」ということがとても大事です。

 

「知性・理性」を鍛え、さらに。「意志の力」も鍛えていくことが大事です。急には強くなりませんが、毎日毎日、訓練していれば、強くなっていくものです。

 

私は本をずいぶん読んでいるので、「本をたくさん読んでいるから、霊言なんかもつくりものだろう」というようなことを言ってくる人もいます。

 

しかし、それは、「空の袋は立たず」と私が言っていることの意味が分かっていないのです。

 

もし、「中身が空っぽでも、霊が言うのだから、それだけで仕事ができる」などと思っている人がいた場合、その人は、いずれ霊に翻弄され、

 

自分自身を見失い、自分が何をしているのかも分からなくなると思います。

 

したがって、いろいろな霊がかかるようになってくると、やはり、中身がきちんとあること、あるいはバランサーが働いていることがとても大事です。

 

人間の考え方には幾通りかがありえますが、「どのような考え方があるか」ということを知っているのは大きなことなのです。

 

 

■「因果の理法」を知り、知性的・理性的であることが大事です

 

さらに、このような場合には、原因・結果の法則で普通はこのようになる」という、「因果の理法」を知っていることも、とても大事です。

 

それは「理性」にも当たるところだと思うのですが、基本的な「知性」のところで、まったくの迷信レベルで止まっていたら、霊の言うことをそのまま真に受けてしまいます。

 

「因果の理法」が分からない人は理性的ではないわけですが、こういう人の場合も、とんでもないことをしてしまうことがあるのです。

 

霊の声が聞こえてきて、「屋上から飛び降りたら楽になれるよ。もう天国に還れるよ」とか、「お前は天使だから、屋上から飛び降りても、天使が羽で支えて救ってくれるよ」とか言われたりします。

 

アメリカの精神系の病院では、“イエス・キリスト” の数がいちばん多いらしいのです。

 

有名人の名はよく出てくるのですが、“イエスの生まれ変わり” がいちばん多いのとのことなので、なかなか難しいものです。

 

霊が来て、「お前はイエスだ」という声が聞こえてくるわけですが、これは本当に際どい、難しいところだと思います。

 

それを信じたくなるのは分かりますが、「イエスとは、どういう人なのか」ということぐらいは知っておいた方がいいでしょう。

 

「そういう生き方をされた方で、どういう考え方をされ、『福音書』でどのように書かれている方なのか」ということを、よく知っておいたほうがいいでしょう。

 

「イエスなら、こういうときには、このようにしているはずだ」ということを知っているかどうかは大事なことです。

 

「そんなものは読まずとも聞かずとも分かっている。イエスなんだからイエスなんだ。イエスはイエスの業をするのだ」というようなことを言っていると、

 

その “空の袋” に何が入ってやっているのかが分からず、“空の袋” に “猫” が入って暴れているだけかもしれない状態がくるのです。

 

したがって、霊能力がついてきたら、逆に、知性的・理性的であることが非常に大事になります。

 

「霊能力が開けてくる」と言うのは感性や悟性が高いことを意味しているのですが、普通は、知性・理性のほうが強すぎると、霊感があまりなくなり、信じなくなってきて、はねつけるのです。

 

霊的にいろいろなものが聞こえたり、視えたり、感じたりするようになってきたら、今度は、やはり人間として、「もう一段、見識の高い人間」になるように、常に研鑽をしていかなければなりません。

 

そうでないと、自分の仕事が大きくなったり、影響力が増してきたりしたときに、力を超えてしまい、『キャパ超え』が起き、そのときに崩壊し始めます。

 

友達ぐらいの範囲に、「こんな霊が降りてきて、こんなことを言っているんだよ」と冗談で言っているぐらいならいいのです。

 

役者が、「ときどき小人が見える」とか、「旅に出て撮影していたら幽霊に会った」とか、そんな話を楽屋でしているぐらいならいいとしても、

 

それが常態化し、仕事と一緒になって全部混ざってくると、厳しいところがあるでしょう。

 

要するに、そういう霊体質になってきたら、知性・理性のところも同時に高めなければ護り切れないのです。

 

“防波堤” を破られてしまう可能性があるので、ここを高めていただきたいのです。

 

そして、その知性・理性に照らして、「これは、どう考えても、そういう原因・結果の法則はありえない」というようなものに対しては、

 

やはり、ズバッと、ビシッと切ること、小太刀で切るようにビシッと切ることが大事です。

 

「山の上から飛び降りたら、天使が救いに来るよ」と言われたとしても、「普通、そんなことを言うのは悪魔のささやきでしょう」と言えるぐらいのことは、知識として知っていなくてはいけません。

 

「自分はローマ法王だから、やはり、イエスのような力を持っていなくてはいけない」ということで、「これからプールの上を歩いて見せる!」

 

と言って歩いたら、たちまち水のなかにジャボンと沈んで終わってしまうことだってあるわけです。

 

このあたりは、「イエスと自分との違い」を、やはり知らなければいけないと思うのです。

 

奇跡が起きることもありますが、それについても、一定の冷静な目で見ることが大事であると思います。

 

 

■教学等を続ける態度が、霊の惑わかしを避けることになる

 

ほかに気をつけていただきたいのは、次のようなことです。

 

霊的に、目覚めたり、感度が高くなったり、影響を受けやすくなったりしたら、いろいろなものに人格を乗っ取られやすくなるので、

 

より良き人間になるように、人間としてより人格が向上して立派になるように、本当に努力しなくてはいけません。

 

言葉についても、人を傷つける言葉や乱暴な言葉を使わずに、良い言葉を使えるように努力することが大事です。

 

もちろん、暴力等を振るったりするのは、“神の制裁” といっても、やはり、おかしいと考えなくてはいけないと思います。

 

それから、人を積極的に騙したり、嘘を言ったり、ごまかしたりする人もいますし、もっとたちが悪くなってくると、

 

人を落とし穴に陥れようとして計画し、だんだん、そこに追い込んでいくようなことまでする人もいます。

 

瞬間的に嘘を言ったり、ごまかしたりするのではなく、相手を破滅させようとしたり、罠にかけようとしたりして、だんだんそこに追い込んでいくのです。

 

あるいは、「少し知性が “軽く” て、すぐに乗ってきそうな人」を騙してシンパをつくり、全体で、ある人を破滅させようとして追い込んでいくようなことをする人もいます。

 

いろいろなケースがありますが、やはり、知性的にも理性的にも、平均的に、相手の罠などを弾き返せるような力をできるだけ持ってほしいと思っています。

 

もちろん、神仏が救ってくださることもあります。しかし、「いつもいつも」というわけにはいかないと思うのです。

 

自分の存在と行動が招いている現象であるならば、やはり自分自身に跳ね返ってくるので、その辺りは強くなければいけないと思います。

 

霊的なものが開けると、「そんなもの、もう霊が話せば、そのまま100パーセントだ」というようなことを言う

人もいるのですが、そんなことではありません。

 

当会は仏法真理の本を出していますが、やはり、「教学等を続ける態度」を持っていただきたいと思うのです。

 

特に、あの世で長い間、地獄界とか裏側とかにいる人には、はっきりと勉強していない人も多いので、教学を続けている態度が、彼らの言葉や惑わかしを、ある程度避けることになるのです。

 

彼らの言葉のなかには、「はっきりと反対側」というのではなくて、微妙な “すり替え“ も入ってきます。

 

例えば、「愛は大事でしょう? だから、いかにしてその愛を実践するかということになると、どうやって誘惑するかが大事で、

 

相手をどうやって誘惑して陥れるかのテクニックを磨かないと駄目なのよね」という感じで来たりします。

 

あるいは、「やっぱり、お酒も一つの触媒なのよ」という感じでお酒を使ったりします。

 

また、やたらと、ほかの人を乗せていったり、嘘をついたり、いろいろなことをしてはめていき、自信喪失にさせたり、「自分は駄目な人間なのだ」と思わせようとしたりします。

 

 

■そううつ気質のタイプは、理性を持って心を平らかにする努力を

 

あるいは、そううつ気質で、「極端なS状態(サド状態)」と、自分をいじめたくなるような「極端なM状態(マゾ状態)」とが

 

ものすごく周期的に出てくるようなタイプの人は、霊障になりやすく、霊がもうズボズボに入ってきます。

 

そのくらい振幅があると、とても入りやすいので、やはり、「精神の安定」は大事だと思います。

 

ところが、自分でそれを放置して、「よいものだ」としていると、どうなるでしょうか。

 

例えば、人を徹底的に攻撃して、いじめ抜くのが習い性になれば、もう、それがその人の性格になってしまいます。

 

また、今度は自分をいじめ抜いて、「自分は駄目なのだ」ということばかりをたくさん実証して、毎日、“楽しんでいる感じ” になると、これも、もう救えない状態になることもあります。

 

したがって、霊的な人には嫌なことではあるでしょうが、できるだけ、一般的に見て、あるいは統計的に見て、「男性なら、女性なら、その年齢なら、

 

その学歴や職歴なら、その家族構成なら、普通、このようなときには、このように考えるだろう」というような理性を持つ努力はしてほしいと思います。

 

やはり、心の振幅が激しすぎる人は基本的には “危ない” ので、それをできるだけ平らかにしていく努力はしてください。

 

 

Happy Science 人生を変える新しい世界観『秘密の法』 より 

 

                                 

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---

 

                                               

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方はHappy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Science 人生を変える新しい世界観 『秘密の法』 よりお伝えしています。

 

 

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