エル・カンターレが明かされた秘密:人間の幸・不幸を分ける「心の法則」

 

 

どう生きたらいいのだろう?

人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?

 

その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。

あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。

神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。

 

 

Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『幸福の法』より "人間の幸・不幸を分ける「心の法則」 "をご紹介いたします。

 

 

【幸福の原理】 ついては、『幸福の法』 に詳しく書かれています。

要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。

 

 

 

人間の幸・不幸を分ける「心の法則」 

 

【目次】

 

1.「心の法則」人間が幸福になるには法則がある。不幸になるにも法則がある

 

人間の多種多様な生き方のなかで、一定の『心の法則』というものがあり、その法則に則って生きれば幸福になるが、その法則から外れると不幸になる

 

2.ほんとうの意味での「正しさ」とは

 

幸福になる心のあり方を、「正しき心の探求」と呼び、「正しさ」とは、「大宇宙を創っている根本仏の理法に添った心のあり方」のことを言っている

 

3.「幸福の原理」としての四正道

 

人間を幸福にする方法はたくさんあり、溢れているのですが、幸福の原理を要約すれば、「愛」「知」「反省」「発展」の4つの原理になる

 

この4つの原理を常に念頭に置いて、「正しき心の探求」に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、まず天上界には還れるでしょう。光の天使になるための修行ができることになるでしょう

 

 

 

 

人間の幸・不幸を分ける「心の法則」

 

これまでの、私の講演や法話を何百回したか分からないぐらいですが、1回も同じ話はしていません。毎回、違う話をしています。その意味で、みなさんも学びにくくて大変でしょうが、私から言えば、これは説法する側の良心なのです。

 

新しい作品をつくるようなつもりで、一つひとつ丁寧に、新しい説法を重ねていっているのです。

 

「一つ残らず勉強していただきたい」ということで、人間が悟りを得て幸福になるために必要だと思われるテーマを、一つひとつ押さえていっています。「これも必要だろう。あれも必要だろう」と思って、やっているのです。

 

その予想は当たっているようで、みなさんが、法のなかでどの教えに反応してくるかは、人それぞれなのです。

 

ある本に感動する人もいれば、また別の本に感動する人もいます。同じ本でも、違う箇所に反応し、違う箇所で救われます。

 

そのようなことがあるので、「こんなことは必要ないかな」と思いつつも、「万が一、こういうことが救いになる人もいるかもしれない」と思って、言っておくと、それが、ぴたっと当たる人がいるのです。

 

「まさか、こんなことは要らないかな」と思っても、やはり数十人か数百人には当たる場合があります。

 

私の説法を聴いている人たちには、「これは自分のことを個人的に言われている。自分の間違いを指摘されている。怒られている」と思う人が多いのです。

 

しかし、別に、個人的に顔を知っていて怒ったりしているわけではありません。

 

法というものは、そのように、多くの人に当たるものなのです。多くの人の心の間違いに当たって、励ましを与えたり、人生の再建を呼びかけたりする内容になっているのです。

 

それは、私が、大勢の人の心の動きをずっと見ながら、「普遍性のあるもの、法則性のあるものとは何か」ということを、いつも探求しているからです。

 

そして、「人間の多種多様な生き方のなかで、一定の『心の法則』というものがあり、その法則に則って生きれば幸福になるが、その法則から外れると不幸になる」ということを、私はいろいろなかたちで説いています。

 

「どこかで法の機縁に接してほしい。どこかで悟りの縁に触れてほしい」と考えて、いろいろなことを説いているため、私の説法の内容は多岐にわたり、いろいろな分野にわたっていますが、それでいて、一本の「心の法則」は貫いています。

 

私の思いは、いつも「心の法則」に向いているのです。

 

人間が幸福になるには法則がある。人間が不幸になるにも法則がある。

 

その心の法則とは何であるか」ということを、あるときは、個別の具体的な例から帰納的に導き出す場合もあり、あるときは、「仏の心、神の心はこうなのだから、このように生きれば幸福になれる」というように、演繹的に言う場合もあります。

 

その両方をやってきていますが、中心には心の法則があるのです。

 

 

■ほんとうの意味での「正しさ」とは

 

そして、その心の法則のなかの、幸福になる心のあり方を、最初のころから、「正しき心の探求」と呼んできました。

 

正しき心の探求というものを一言で言うのは難しいのですが、私たちが求めている「正しさ」とは、結局、「大宇宙を創っている根本仏の理法に添った心のあり方」のことを言っているのです。

 

この正しさのなかには、宗教でなければ、近づくことのできない、アプローチすることのできない、信仰心というものが、当然ながら含まれています。

 

その意味で、この正しさは、この世的な正しさとは必ずしも一致しないかもしれません。

 

この世的に「正しい」と言われている者のなかには、たとえば、科学の領域での、いろいろな定理や仮説、学説などがあり、「科学的にはこうだ」と言われています。

 

しかし、学説や仮説というものは一つの意見であって、真実性の証明は必ずしも充分にはなされていないのです。

 

いくら、科学者が、「人間は何万年前に生まれた」「何十万年前にこうなった」「人間は4百万年前にチンパンジーから分かれた」など、いろいろなことを言っても、私は信じていません。それを正しいとは思っていません。

 

ただ、学校でそのように教えている以上、学校の試験では、それを正しい答えとするのはかまわないと思います。

 

そういう教科書はかならずしも正しいわけではありませんが、現時点では、文部科学省から学問として認められているのでしょうから、その範囲内のことについては、とやかく言うつもりはありません。

 

当会の説いている正しさは、そういった科学の研究結果や学問の成果などと必ずしも一致するものではないのです。

 

ただ、それをあまり強引に言いすぎて、学校などでトラブルが起きてもいけないので、「学校のことは学校でやり、学校外のことは学校の外でやればよい」と思っています。

 

かつて、イエスがコインを見て、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と言ってように、この世にはこの世の法則があるので、この世でうまく回っているものについては、あまり細かいことは言わないつもりです。

 

しかし、ほんとうの意味での正しさというものは、仏神の存在を前提とした正しさであり、霊界観を前提とした正しさなのです。その意味において、教科書には書かれていないものです。

 

科学といわれているものにおいては、霊の存在さえ、まだ、ほとんど実証できないでいます。

 

また、生老病死の疑問を解くために、釈尊は2500年以上も前に出家しましたが、医学は、いまだに、人間が生まれてくるほんとうの理由を解明できていませんし、「死とは何か。死後の世界とは何か」ということも解明できていません。

 

2500年たっても、まだ解明できていないのです。したがって、宗教の世界は、まだ根強く必要性を持っていると言わざるえないと思います。

 

そういう意味で、科学や医学、それから教育などにおいての正しさも、完全なものだとは思っていません。それについて、この世での生存や生活が成り立たなくなるほどの議論をするつもりはないのですが、ただ、やはり、信仰の世界においての正しさというものを基軸に持っていただきたいのです。

 

この世で生活する上での方便というものはあるでしょう。

 

たとえば、医者のなかにも信仰心を持っている人はもちろんいるでしょうが、医術として行う範囲内では、薬を使ったり、悪い部分を切除したりするような、唯物論的なアプローチをすることがあるでしょう。

 

それ自体は、医学における方便として許されることです。ただ、根本的な部分、魂の部分についての認識が足りないところについては、「足りない」と、はっきり指摘するつもりです。

 

これは憲法や法律などについても同じです。憲法も、神がつくったわけではありません。作ったのは人間です。

 

法律も、国会で多数決によって決まるものなので、その時々の政党の議席数によって結論が違います。どの政党が多数を取るかによって、結論が変わってくるものです。

 

そういう意味で、絶対的な正しさではないのです。裁判官や弁護士などの法律家もいますが、彼らの正しさも、根本的には信仰の世界の正しさとは違うものだと私は理解しています。

 

ただ、当会の初期、霊言集の時代にも述べたことですが、当会で言う正しさとは、「これしかない」というような正しさではないのです。

 

高級霊であっても、個性の違いによって、やはり意見の違いはあります。それは、いま刊行中の『大川隆法霊言集』で証明しているところです。

 

もちろん、「内容が一定レベルであり、人間を幸福にする考え方の一つである」という点では、天上界の条件をクリアしているのですが、ただ、そのやり方、あるいは考え方には相違があるということです。

 

どれが、より人間を幸福にするかということは、個別の人間に関して、やはり違いがあります。

 

全体として、どれが、より正しいか、あるいは信じられるかということは、宗教の勢力を見れば分かりますが、いろいろな考えがあるということは、それだけのニーズがあるということなので、それを否定するわけではありません。

 

したがって、正しさというもののなかにも、幾つかの多元性があるということは認めています。ただ、多元性がありながらも、唯一の仏の心、神の心に向かっているのだということです。そういう正しさなのです。

 

 

■「幸福の原理」としての四正道

 

私は、この「正しき心の探求」の具体化として、「幸福の原理」を説きました。「正しき心の探求とは、どういうことか」という問いに対しては、「それは幸福の原理の探求なのだ」ということです。

 

幸福の原理とは、「これを中心に追及し、努力すれば、人は幸福になれる」という原理です。そして、この幸福の原理は、独立した原理ではなく、他の原理をなかに包摂した考え方なのです。

 

その中の1番目が「愛の原理」、2番目が「知の原理」、3番目が「反省の原理」、4番目が「発展の原理」です。

 

もちろん、それ以外の原理についても私は話をしていますし、人間を幸福にする方法はたくさんあり、溢れているのですが、幸福の原理を要約すれば、「愛」「知」「反省」「発展」の4つの原理になるのです。

 

これを私は「現代的な四正道」と呼んでいます。四正道と言ってもよいのですが、言葉の響きがよくないので、四正道と言っています。

 

「この4つを守っていきましょう。この4つの原理を常に念頭に置いて、正しき心の探求に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、まず天上界には還れるでしょう。それから、光の天使になるための修行ができることになるでしょう」という趣旨で説いたのです。

 

したがって、当会の信者には、「仏性の探求」とも言うべき「正しき心の探求」をしつつ、具体的な目標としては、幸福の原理である「愛・知・反省・発展」の四原理の探求を、日々実践していただきたいのです。

 

幸福の科学の基本的な教えは何かといえば、次のようなことになります。

 

正しき心の探求の具体化、実践編として、幸福の原理を唱導しています。その幸福の原理は四つの原理に分かれています。その四つとは、愛の原理、知の原理、反省の原理、発展の原理です。

 

これを守れば、幸福の科学の信者としては合格です。これを忘れずに、いつも念頭において、教学をし、反省や祈りをし、伝道活動等をし、あるいは、会社生活等、社会人としての生活をすれば、大きく外れることはないし、信者として、日々、精進していると言えるでしょう」

 

こういう組み立てをしたのです。

 

 

 Happy Science『幸福の法』より

 

                                   

 

真実を知ることであなたも幸せになれる---With Savior(救世主と共に)---

 

                                                 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。

 

今日のブログは、Happy Scienceの 『幸福の法』 よりお伝えしています。