【吉方位の旅】館山、洲崎神社。潮風と安房の神様に触れながら。② | ハッピースピリチュアル!桂子のオフィシャルブログ

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●【吉方位の旅】館山、洲崎神社。潮風と安房の神様に触れながら。②

館山、洲崎神社、安房神社の参拝ブログです。


かすみが晴れると、この一の鳥居から富士山が望めるようです。洲崎神社の正面から海側にまっすぐ歩いたところにあります。



鳥居を抜けて少し歩くと、御神石がみえてきました。遠くから見ると丸かったのですが、



かなり大きくて変わった形をしていました。



解説のある石は、塩で少し白くなっています。




こんなに大きいんです。隕石のようだねと話しました。こんな隕石に出会う私たちは宇宙人なのかも。そんなことを思いました。

御神石からのぞめる景色はこんな感じ。




そして、振り返るとこんな景色。写真中央に小さな白い鳥居があり、富士遥拝所なのですが、「ちいさー!レゴみたい。」といそさきさん。本当ですね~



このあと、ゆっくり本殿まえまで戻り、バス停へ。ちょうど2時間に1本くらいしかないバスの時間、15分前にバス停につきました。時間ぴったり。その空き時間に隣にあったお寺へ向かいました。




こちらのお寺の龍の彫り物、龍神様が気になりました。さっとお参りをして、バスで館山へ向かいました。


洲崎神社に祭られる天比理刀咩命(アメノヒリノメノミコト)、安房神社に祭られる天太玉命(アメノフトダマノミコト)のお后様です。安房神社とは夫婦の関係にあるお宮です。

そのため、洲崎神社は、昔から「結婚・恋愛」「家内安全」「夫婦和合」「縁結び」のご利益があると言われています。

そして、洲崎神社は「リベンジの神様」とも呼ばれています。

源頼朝が、1180年に伊豆で挙兵したとき、石橋山の合戦で敗れ、海路で安房の地へ避難していたのだそうです。

家臣数名に支えられ、辛くも逃げのびた安房の地で、頼朝は「もう一度チャンスを!」と再挙を期して参拝をされました。

この時にむかったのがこの洲崎神社だそうです。

その後、頼朝は平家討伐を成功させ、見事に願いを叶えることになるのですが、このお礼に洲崎神社に「神田」の土地を祀ります。

頼朝からすれば、天下統一の願いを聞き入れくれた神様となります。

この話が多くの武士の心の勇気をもたらし、語り継がれてきました。中でも、江戸城を築き上げた大田道灌は洲崎神社を勧請して、城の鎮守(今の神田明神)にしたと『永亨記』(室町以後の東国情勢を記した軍記)に記されているそうです。

神田明神も関係があったと知り、あの何とも言えない懐かしいような、それでいて神聖な、清められる独特の感覚がしてきたことに納得しました。

(写真は3月に撮影した、神田明神です。)

私を母が生んだのはお茶の水。そのときのそばにあったお宮は神田明神でした。

母のおなかの中から飛び出した小さな私は、人一倍大きな声を出しながら、母とともに大変な思いをして、この世界に生まれてきました。

この世界にはじめて出てきたときにその時間をともにしたのは当たり前ですが、母でした。

この日はちょうど母の日、帰りの足で母にカーネーションを渡しにいきましたが、母というものは、本当に私のどんな小さな変化もわかり、離れていても一つな存在だといつも思います。

何かとても癒される日となったのは、間違いがないと思いました。

このあとに来たバスは、ちょうど東京への直通便。一足先に安房神社へ行っていたいそさきさんは、東京へ。私は館山から安房神社を目指すことにしました。

続きます。