離婚は、私が申し立てをして、調停で決まった。

慰謝料、養育費は、前もって話し合いで決まっていたので、調停は一回で終わった。

呆気なかった、と言う感じ。


私が望んだモノは、「正式な文書」と言うこと。

離婚に異議は無かったけど、息子の将来もかかっているので、

口約束だけでは承知できなかったのです。

正式な文書、公正証書にしてくれるように頼んだが、

元夫は、「信じられないのか」とか、「金か!!」と逆ギレした。

そして、私と息子は、放っておかれた、1ヶ月ばかりだったけれど。でも、もどかしい1ヶ月だった。


私は、ちょうど仕事も決まり、そして息子は保育園に通うことになった。

新しい生活を始めるに当たり、私はキッパリ区切りをつける事にしたです。

離婚調停という区切り。

もうすでに、夫へは気持ちはなかった。

強がりではなく、この2年間、子供を育ててきたのは私だ。

夫は、要らない・・・。

父親が居ない子供にしてしまうのだけは、不憫だった・・・。




新しい環境での生活に、私は慣れていくのに、

夫の外泊は増えていった。

外泊って言っても、仕事が忙しく、通勤時間も結構かかるので、会社に泊まり込んでいたのである。

夫も、大変だったのだとは思う。会社で眠るなんて、休まらないと思うし。

それでも、どんなに忙しくても、夫は週末だけは帰宅していた。

週末、つまり、会社が休みの日は帰宅していた。

会社が休みの日には帰宅するって事が、とても肝心なこと。

これが、休日も帰宅しないとなると・・・・絶望的。


私と言えば。

ご近所とのお付き合いやら、家事、そして子供の相手をするだけで、

1日はアッという間に過ぎていった。

愛しい子供との生活に夢中だった。とにかく、可愛い。

実際、一番可愛い盛りだった。

ハイハイして、たっちして、そして時には転んで大泣きしたりして。


そんな時、一大事が起こった。

義父、つまり夫の父親が急死したのだった。

乳飲み子を抱えての私は、お葬式という場では役には立たなかった。

でも、やっぱりショックだった。身近な人を亡くすのは初めてだったから。

この時、私は、何も分かっては居なかった。

一番ショックだったのは、夫だったのだろう。

厳格な父親の死。

それが、その後の運命を決定してしまったのだと思う。


もし、義父が生きていれば、きっと、結婚生活が終わることはなかったと思う。




家族三人の生活も始まった。

どこにでも有る、普通の生活だった。

私の望んでいた、ありふれた家族の生活だった。きっと、この頃が結婚生活の中で、一番の幸せの時期だったと思う。


同じ街の中だったけれど、タイミング良く、新築の団地の募集も始まり、なんと、祝当選(*゜▽゜ノノ゛☆。

団地で暮らすのに不安がないわけではないけど、新築と言うことで同じく移り住んできたご家庭ばかりだったから、

同じような年齢、子供の歳も同じくらい、って事で、

ご近所関係も良好だった。

でも、せっかく新築に入居できたというのに、

ちょうどその頃から、夫の仕事も忙しくなり始めた。

朝早くから夜遅くまで仕事をし、通勤に時間も掛かる。

となると、あまりに遅い日は、会社に泊まり込む事が出てきた。

実際、仕事を終えて帰宅すると、睡眠時間が極端に少なくなってしまうことが有ったので、

仕方ないか・・・と思っていた。


でもね、やっぱり、夫婦なのだから離れて暮らしてはいけないと思う。


この時はまだ何も起こってはいない。

でも、確実に破局への道を下り始めたのです。