この1月、2月は観光業界にとって、一番売り上げが少なくなる時期です。


スキー場や雪まつりなどの冬ならではの観光は別ですが、外が寒くなり、あまり外出したくなる時期であることが大きな原因でしょう。


それと、年末年始で旅行や帰省などでお金を使ったので、その反動もあると思います。


それにしても最近はあまり地方でお土産を多く買うことは少なくなってしまいました。



お土産というのは、日本の文化の一つです。


旅行したからといって周りにお土産を持って帰る習慣は海外ではあまりないのではないでしょうか。


これは日本人が地域コミュニティを大事にする文化が育っていたからと思います。


向こう3軒両隣、という言葉は今はあまり使われませんが、昭和の時代にはお土産をあげる相手しての存在でもありました。


現在は、家族以外でお土産をあげるのは、せいぜい職場くらいかもしれません。


向こう3軒どころか、となりの住民と顔を合したこともない、という人も多いいでしょう。


こういう時代だからこそ、お土産というのはとても大事なコミュケーションツールになるべきだと思います。


向こう3軒の話でいうなら、昔は引っ越してきた場合に手土産として近所にお菓子などを配っていた時代もありました。


まだ、やっている方も多少いるかもしれませんが、現在ではそういう文化も徐々に減ってきました。


つまり、プレゼント自体の文化が徐々に日本でも減ってきているのですね。



現在は一つの行動をするにしても、なかなかそのあとの反応がわからない場合もあります。


先ほどの引っ越しのプレゼントなども、善意の押し付けにとられないか、積極的に相手にモノをあげることに抵抗が出てきた側面もあると思います。


こういった日本の風潮の変化からも、お土産自体の購入目的も徐々に変化が見られます。


つまり、プレゼント目的ではなく、自分用のお土産購入が圧倒的に増えてきたのです。


もう一つの傾向として、お土産を買う理由に観光や仕事で旅行した際に買うのではなく、仕事やプライベートで出かけるときに買う、ということが増えてきました。


わかりやすく言うと帰る前に買うか、行く前に買うかの違いです。


観光土産は圧倒的に帰る前に買うものでした。


でも、今はどちらかというと行く前に買う場合の方が多いように感じます。


この行く前に買う土産のことを、私たちは手土産と表現しています。


観光土産よりも、手土産需要は今後も伸びる可能性はあります。


それに手土産での副次効果がもう一つあります。


それは手土産をもらった人に対して地元の紹介をしていただけるということです。


お土産が観光宣伝になるということです。



私たちの一番の懸念点は観光が衰退することです。


地元に人が来てもらえなくなることです。


この懸念を払しょくするためには手土産は大いに活躍してくれると考えています。


観光地は地方の大きな産業の一つです。


この観光が伸びるためには「土産が村おこし」という発想も大切なのではないでしょうか。

いまマスコミは選挙報道でいっぱいです。


今回の衆議院選挙は、26年続いてきた自公連立が解消し、お互い与党と野党の対決の選挙となりました。


長い自民1強が壊れたのは2024年の衆院選挙での自民与党の過半数割れでした。



世界の潮流として、現在は2大政党時代から多党自体へと変化しています。

アメリカだけはまだ2大政党が続いていますが、これは選挙制度の違いがあるためです。


小選挙区制だと、2大政党化しやすく、中選挙区制だと多党化しやすいと言われています。


ではなぜ、日本では小選挙区なのに多党化しているのでしょうか。


それは選挙制度よりも国民の考え方が多様化しているのが大きく影響しているのだと思います。


2大政党と多党化、どちらが良いのかは一概に言えませんが、多党化だと政権が不安定する傾向はありそうです。


また、小選挙区で2大政党になっても、衆議院、参議院でのねじれも起きやすくなっているようです。


これも国民の考え方の多様化が影響しているのでしょう。



このねじれと全く関係ない国も多く存在します。


中国やロシアなどの共産主義、独裁国家です。


独裁国家は当然、国民主権ではないですから、国民の考え方の多様化などは関係無いのです。


こうしてみると政権が多少不安定でも、国民主権のある国に生まれてよかったと考えるべきでしょう。



最近の高市内閣は高い支持率を誇ります。


こうした高い支持率は特に若者層からのモノです。


逆にリベラルに賛同するのは主に高齢者層です。


高齢者層にはまだ共産党ドリームが続いているのでしょうか。


北朝鮮はこの世の楽園、というのは1950年代から1980年頃に北朝鮮の喧伝したフレーズです。


この言葉に騙されて実際に北朝鮮に渡った在日コリアンの方は船を降りたときに騙されたと感じたようです


これほどのことがあったのになぜまだ、共産主義体制を支持する勢力は無くならないのでしょうか。


1970年代まではまだ学生運動が盛んで、共産主義は理想の社会だという風潮が日本に漂っていました。


それは高学歴の方の方がその風潮が強く、大学教授などの多くも共産主義信奉者でした。


現在は共産主義の欠陥や問題点はほぼ理解されていますが、まだそれらが認識していないのが高齢者等の中にはいらっしゃるようです。


共産主義の良い点はスピードが速いことです。


民主的な手続きが不要なのですから、当然といえば当然です。


その代わり、決定権者に権力の集中が起こり、その結果、過度の不平等が起こりやすくなります。


共産主義の言う、階級のない社会、平等な社会とは真反対のことが起こるのが実態です。


今回の選挙はこの民主主義を続けていくのか、それともリベラルという名のもとの共産主義を日本に持ち込むかの選挙だともいえるでしょう。


新しい政党、中道改革連合、というのができました。


あえて、中道という名を冠したのはリベラル色を少しでも消したいという意図があるようにも感じます。


日本の幸福度ランキングは50何位くらいであまり高くはありませんが、これは自己申告でのランキングです。


世界的に見ても日本の実質の幸福度はかなり上位だといっていいと思います。


これは日本人の国民性とともに、民主主義の国として発展した来たからだともいえます。


日本の治安は世界すら見ても評価されていますし、日本人のやさしさも日本独特のモノでしょう。


もちろん例外も多々ありますが、全体として日本は、小学生を1人で通学させることのできる安心な社会です。

この社会をいつまでも続けられるかどうか、日本のかじ取りがいま決まろうとしています。

歳時
1月は行く


年が明けて早いものでもう1ヶ月が過ぎようとしています。


1月は特にこれといった行事は無いのですが、とにかく、あわただしく過ごしていくうちに1ヶ月が経ってしまいました。


昔から1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、と言われていますが、この1月から3月の時間の過ぎ様はとても早く感じます。


2月は他の月に比べると実際に日数が少ないのでわかりますが、他の月はどうしてこう早く感じるのでしょうか。


1ヶ月という時間の過ぎ様も早く感じるのですが、その前に1週間がとても早く感じるのは私だけでしょうか。


日曜が来て、あっという間に土曜が来るような気がします。


この時間の過ぎ方の感じ方は歳と共に変わっていくようです


つまり、年を重ねるほど1年が早く感じられるのです。


以前に書いたかもしれませんが、これは1年とその人の一生の比率に関係しているようです。


例えば10歳の人にとって1年はそれまでの10分の1ですが、80歳の人にとっては80分の1にしかならないのです。

10才の人にとっては5歳以下の記憶などないでしょうから実質5分の1くらいです。


そのため、70歳、80歳の人にとっては1年があっというまに過ぎるように感じるというのです。


そのほかにも最近は便利な世の中になって人の行動がスピーディになっている事も上げられます。


例えば九州の人が東京に行く場合、昔は列車でゴトンゴトンゆられて、東京に行くのに10時間以上かかっていました。


それが最近ではほとんど飛行機で2時間で東京につきます。


当然日帰りの人だっているでしょう。


距離感が短くなっているのです。


距離が短いと当然その時間も早く感じられます。


1日にやれる仕事も多くなってきます。


昔の10時間かけて東京に行ったときなどはその時間の長さをじっくり感じる事が出来ました。


ただ、現在では東京に行くのと地元のスーパーで買い物をすることとの境界がかなりあやふやになっています。


それにまして、ネット社会が普及したことでさらに時間を感じる事が急減していきました。


最近の生成AIなどはその極地です。


かなり凝ったイラストがたった数秒で出来るようになってきたのです。


こうして時間をあまり感じることなく仕事をしてきましたから、たまの休みも同じように時間をあまりかけない過ごし方をするようになりました。


最近のタイパという言葉もこういった背景からとにかく時間をかけない生活重視の傾向が見て取れます。



タイパというのは仕事をするうえではとても大切なことでしょう。


生産性が上がるのは確かです。


ただ、プライベートの生活ではタイパというより、時間を楽しむことも必要なのではないでしょうか。


昔のような鈍行列車で旅をしたり、あまり人に知られていない場所を旅したり、そういう行動が私生活をし充実させるうえで大切なこともあると思います。


先日、Youtubeである動画を見つけました。


姫路の田舎にある太陽公園という場所の動画です。


この太陽公園は20世紀の終わりに作られ、世界の有名な観光施設を再現したもので、かなり大掛かりな施設です。


100億くらいかかっているみたいです。


ドイツのノイシュヴァンシュタイン城や中国の天安門、パリの凱旋門などのほか、モアイ像やピラミッドまで存在します。


ただこの施設は現在とても閑散として、あまり多くの人が行っている様子はありません。


運営主体は社会福祉法人で、ご高齢の方が実際に海外に行くことは難しいので、そのような方に世界旅行を楽しんでもらいたいとの思いで作られたそうです。


ただ、現実はとても人気の観光スポットとは言えず、かなり荒れた場所にもなってしまいました。


姫路には2つの白い城がある、ということで、姫路城のほかにノイシュヴァンシュタイン城を作ったみたいです。


派手なテーマでなく、ロケーションも悪いというので、最近ではあまり集客できていないようですが、私は一度行ってみたいと感じました。


USJなどの人が多いところはあまり行きたいとは思わないのですが、テーマがあまり押し付けがなく、逆にそれが少し気になったのが事実です。


最近は時間が最大の財産だという人もいます。


その時間をゆっくり使うことが今の最大の贅沢かもしれません。

明日から衆議院選挙に突入です。


2024年の衆議院選挙から1年と数か月で再び選挙に入ります。


この間、国政選挙がこれで3回目、地方選挙もいろいろあるので各自治体は大変忙しいようです。


自治体と同様に各メディアの方も大変情報集めに大変でしょう。


ただ、選挙期間中になると報道規制が入りますので、メディアの方は選挙期間前後の方が忙しいのではないでしょうか。


もちろん選挙期間中も様々な情報収集に大変だとは思います。


一方で選挙期間中もSNSでは活発に情報提示がされています。


候補者だけではなく、一般の方も多く情報を発信し、選挙期間中はメディアからの情報よりもSNSからの情報を集める方が多くなるかもしれません。



選挙も昭和時代とは様相が変わってきました。


昭和時代はもっぱら電話で投票のお願いをしていたにのですが、最近では当然SNSの方が多いようです。


特にZ世代(死語?)にとっては電話でお願いする機会なんてほとんど期待できないと思います。


つまり、これからの選挙はネットが主導していくことになるのは間違いないでしょう。


発信力の差が、直接票につながる時代になるのです。


ただ、一つ気になるのが、誰もがSNSに夢中でいるとは言えないということです。


SNSを全くやっていない方もそれ相当にいます。


かつての隣近所の人づきあいがメインの方だって、まだ田舎の方には多いと思います。


そういう方には、いまだにドブ板選挙の方が主流かもしれません。


ただ、これからどんどん時代が変わって、かつてのしがらみのない時代になっています。


以前は職場などで特定の候補を推すことが当たり前でしたが、現在ではそういうことをするとパワハラ扱いされかねません。


労働組合も同様で政治カラーをあまり出し過ぎると組合員数の低下につながってきます。


選挙権も18歳からになりましたし、80歳の人と18歳の人の行動パターンは全く違っていると思いますし、考え方も大きく変わっています。


選挙とは政治の根本ですし、政治とは生活そのものです。


18才だろうと、80才だろうと、生活は同じように存在します。


特に若い方たちのお金で老人の保険を賄っているわけですから、お互いが敵対関係になることは全体としてよろしくおりません。


団塊の世代はどうしても反政府が良心だと若い時に刷り込まれていますので、どうしてもリベラルに流れがちです。


そして、昭和の時代、右翼といえば大変怖い存在で、反社組織のようなイメージを持っていました。


そんな感じで左翼は善、右翼は悪、というイメージを持っていたのが昭和の時代のイメージでした。


ただ、現在、そんなイメージは全く変わってきています。


世界的に見ても主要国ではナショナリズムの方が勢力を増しているのが現状です。


アメリカも現在共和党が政権を握っています。


右翼というと言葉のイメージが悪いですが、自国中心の考えは世界の潮流となっています。


世界の大国、特に軍事大国は覇権主義的な動きを加速しています。


以前にも書きましたが。帝国主義がまた勢いを増す時代に突入しているといえるでしょう。


トランプ大統領からもG2という言葉が出たほどです。


こんな大変な時代を背景にした選挙が今回の選挙です。


この日本に大きな変化をもたらす大切な選挙になることは必至だと思います。

世界中の情勢がまたきな臭くなってきました。


中国は相変わらず日本の国会討論にまで反発を強めています。


そもそも、国会の審議中の内容に他国がとやかく注文することではないと思うのですが、これが中国の全人代の発言に日本が異議を申し立てたとしたらどんなことになるのでしょうか。


中国、それとベネズエラ、イランと世界は力のあるものが強い影響を持つようになってきました。


ある人はこれを帝国主義の復活だという人もいますが、まさに力の無い国は何も発言できなくなる時代になっているのかもしれません。


アメリカの66の国際機関からの脱退報道が国際機関の崩壊を示しているように思えます。


もともと国連というのは、かつての大戦の戦勝国連合でできたもので、敗戦国の日本がその主役になることは多分無理でしょう。


もともと常任理事国の拒否権なんてものがある以上、公平な組織でさえないのが現実です。


では、帝国主義の復活というようなことになれば、再び世界戦争が始まるのかといえば、それは別問題です。


戦争は景気の上昇も伴うかもしれませんが、それ以上に以前よりもはるかに大きなリスクも伴います。


いくら大国といっても、現在は世界の協力なしでは発達していくことは難しいでしょう。


経済の仕組み、金融の仕組み等が発達し、1国だけで国民を養っていくことが無理だという事はどんな指導者もわかっているはずです。


世界との縁を切っているように見える北朝鮮でも外貨獲得のために海外での活動や、果ては戦争のお手伝いまでしているのが現状です。


圧倒的な軍事力の前には小国は属国化してくことはあるかもしれませんが、それを世界中が指をくわえてみているだけ、という事態にはならないと思います。



では、こんな時代に何を信じて゛生きていけば幸せな人生が待っているのでしょうか。


圧倒的な権力による支配をする独裁国家と、民衆の力を発揮する民主主義では、どちらが幸せなのでしょうか。


現在民主国家にいる日本人なら当然後者を選ぶと思いますが、現在世界の7割が独裁国家に住んでいるという統計もあります。


残念なことにこの独裁国家の割合は増えているのが実態です。


選挙もあり、自由な言論が保証されているのは日本、韓国、それと欧米各国くらいです。


こんな世界でもめずらしい自由な国、日本に生まれて生きている私たちはそれこそ、先人たちに感謝するしかありません。


インターネットの時代になり、AIが発達し、重労働はロボットがやる時代になっても、それを享受できるのはわずか3割の人類だけです。


このような急激な変化の時代に現在の私たちは生きていると思っています。


こんな時代にどう生きていくのかは他人を蹴落としても自分の利益を追求していくのか、他人との共存を願うのか、自分の生き方も再考すべきところです。


独裁国家が増えていく現状、自国も力を備えていくことは当然考えなければいけませんが、力を備えて、さらに日本人らしい全体調和の心も備えて生きていきたいと思います。


国連という機構もいずれ今のままでは機能しなくなることと思います。


新しい世界がどのようになるのかは誰も正解を語ることはできません。


ただ、そのような時代に生きていることを自覚することは必要なのではないでしょうか。

1月16日は藪入りの日です。


現代において藪入りなんて言葉はあまり聞かないのですが、落語や時代劇では時々気耳にする言葉です。


藪入りとは商家などに住み込みで奉公していた奉公人や女中などが年に2回、小正月と盆に実家に帰ることが許された休日のことです。


1月15日の小正月と7月15日の盆の日の翌日がこの藪入りに当たりますが、奉公人たちにとってはたった年に2回の休日なわけでとても大切なイベントだったようです。


現在の働き方改革の時代からは考えられない労働環境だったわけで、たった2日だけどこの日の楽しみのために1年がんばって働いていたのでしょう。


現代では住み込みの奉公という形態がほとんどなくなったため、制度としての「藪入り」は消滅しました。


しかし、お盆休みや年末年始の帰省ラッシュといった形で、その精神は現代の日本人に引き継がれています。



藪入りという名前の由来には諸説あります。


実家が田舎の藪深い場所にあったため、「藪の中に入る」という意味で呼ばれたという説。


「宿入り(実家に帰ること)」がなまったという説。


この時期は地獄の釜の蓋が開くと言われ、亡者も休む日であるため、生身の人間も仕事を休むべきだとされた説。



いずれにせよ、厳しい労働環境にあった人々にとって、この日は解放感に満ちた特別な日でした。



藪入りの前日、主人は奉公人に対して、実家への手土産や新しい着物、そしてお小遣いを渡すのが慣習でした。

奉公人たちは、久々に親や兄弟と再会し、地元の名物を食べたり、近況を報告し合ったりして過ごしました。


また、実家に帰るだけでなく、江戸などの都市部では、仲間と一緒に浅草などの盛り場へ出かけ、見世物小屋を楽しんだり、芝居を観たりするのも大きな楽しみの一つでした。


また、1月と7月の16日は「閻魔賽日」と呼ばれ、地獄の閻魔大王を祀るお寺に参拝する習慣もありました。


これは、日頃の不義理を詫び、これからの無病息災を願う行事として定着していました。



こういった文化は現在ではほとんど誰も知らなくなり、あと、10年もすると藪入りという言葉もほとんど知らない人ばかりになることでしょう。


藪入りという言葉以前に、藪という言葉自体も知らない人が増えているのではないでしょうか。


裏の竹藪、と言ってもすぐに言葉が通じなくなる時代ももうすぐかもしれません。


日本人としてのアイデンティティはこういった古い時代の言葉やしきたりから生まれてくることも事実です。


年に2回とは言え、休みがあったのは事実です。


これが欧州などの奴隷制度とは格段に違う点です。


奴隷制度のなかった日本、これに感謝する意味でも過去の風習を伝えていくことが大切ではないでしょうか。

成人の日といえば、ニュースで見られるのは荒れた成人式の様子でした。


一部の若者が成人式の日に派手な衣装で大声を出したり、爆竹を鳴らしたりして式典を妨害・騒動を起こす現象のことですが、
最近ではあまりこれらの報道もなされなくなってきました。


思えばZ世代という言葉が話題になったころからこれらの荒れる成人式が少なくなってきたように思います。



荒れる成人式、とは若者の承認欲求が高じたものだということが原因だということが言われていますが、このZ世代には承認欲求というものが少なくなってきているのでしょう。


Z世代とは1990年代半ばから2010年代前半の人たちのことで、価値観の多様性、社会貢献への関心が高く、いわゆるデジタルネイティブな人たちのことです。


企業等の知名度よりも自分の価値感を重要視して、あまり目立った行動がとくいでないようです。


そういった人ですから、当然承認欲求も高くなく、人は人、自分は自分と考えている人が多いと思います。


一見すると冷めている人、と見られがちですが、これもSNS等で培ってきたスキルなのではないでしょうか。


それに2020年に勃発したコロナショックをまともに受けた年代でもあります。


学校が休校になったり、リモート学習や、卒業式、入学式等のセレモニーの廃止、いろいろな制約の中で青春時代を過ごした人たちなのです。


こういった人たちが今の若者の中心にいるわけで、当然昭和の時代のような特攻服での成人式に憧れるわけがありません。



ただ、荒れる成人式が無くなったのは良いことですが、冷めた人生観というのはちょっと危険な気もします。


戦後復興の原動力となった昭和時代の企業戦士はただ、豊かになりたいという欲求を持っていました。


これは食べられる家族でいたいという原始的な欲求だったと思います。


これが現代では誰もが食べられる環境にあるというのが実態で、冷めた人生観はその現れともいえるでしょう。


それゆえ、途上国にはこれらの欲求で追いかけてくる人たちがいて、日本の社会にはスタートアップ企業が少ないという欠点を持っています。


いま、日本も空前の格差社会が始まって、数パーセントの大企業の社員と給与をあげられない中小企業との差があります。


ただ、その中には将棋の藤井聡太氏のようなとんでもない天才ともいえる人が現れたりします。


経済界にもそのような天才が現れるのでしょうか。


格差がさらに広がって貪欲な層が大きくなってくるとそのような人が現れるかもしれません。


国として大事なのは経済ばかりではないかもしれませんが、国力となると一番影響を持つのが経済力だと思います。


今年の成人式、本来は18才から成人なのですが、たいていのところは20才から、20歳の集い、と称して行っているようです。


20歳は節目としては良いかもしれませんが、昔からの成人式であるなら18歳からするのが本筋だと思います。



現在、テレビのニュースショーでもほとんどが事件や事故、スポーツ情報と天気予報です。


日本の経済について述べているのはテレ東くらいでしょう。


そのテレ東でも若者の起業支援についてはあまり力を入れていないみたいです。


日本の若い人がもっとビジネスに興味を持ってもらえるように社会を変えていけたらと思うこの頃です。

旅行代理店の大手JTBによりますと、今年2026年の正月は国内旅行が前年対比102%、海外旅行は131%と、いずれも前年を上回っています。


特に海外旅行が前年の76万人から100万人とコロナ禍前の水準に達しているのがとくに注目されます。


100万人というと日本の人口の0.8%が海外旅行をしたということです。


当然物価高に悩む多くの方ではなく、ある程度の富裕層の方が中心であるのは確かでしょう。


現在の円安の状況を考えてもこれほど海外旅行の数が伸びたのは大企業中心の所得の増加がその理由だと思われます。


一方国内旅行は102%と微増です。


その数も3900万人足らずで国民の32%程度です。


国民の1/3が国内旅行をしているということで、この中には当然帰省客も入っていると思われます。


旅行以外で出かけるところといえば、初詣、近隣の初売りセール等がならび、どこにも出かけないというのが40%近くもあるのが特に目を引きます。


正月は家でマッタリしているほうがお金もかからないし、疲れないという人が多いのでしょうね。


現在では映画等に出かけなくても家のテレビで映画も見られるし、新春スペシャルや再放送での過去の映画等も盛んにやっています。


家から出ないと使うお金もないですし、寒い思いをしなくても済みます。


お隣の中国では2月の春節に向けた帰省がすでに始まっているようです。


今年の春節は2月17日なのですが、すでに都市部の農民工の方たちは仕事がない人は田舎に帰ったほうがお金がかからないということで、はやく帰る人も多いのが今年の傾向らしいです。


中国ではこのように春節という日本の正月イベントがまだかなり浸透していますが、日本ではこの正月がイベントでは徐々になくなってきているのが実態でしょう。


20代の方の実家に帰るという人はわずか12%ですし、初詣も23%と日本人の1/4にも満たなくなっています。


その反対にハロウィンなどでは多くの若者が街に繰り出しています。


古(いにしえ)からの行事ごとよりも現在SNS等で話題になっていることの方に興味が移っていくのは仕方ないことかもしれませんが、行事ごと、というのは昔からの日本の文化そのものです。


その文化を失ってしまうのはとても残念なことです。


年末年始に食べる料理も年越しそば、お雑煮、お節のうち、年越しそばが一番多いそうです。


簡単で、町に出て食べられるものだからなのでしょうか。


その反対にお雑煮やお節などは手間がかかったり、お金がかかったりします。


まして、餅つきをする家庭もほとんどなくなってしまった間ではないでしょうか。


お餅などもお雑煮以外で食べる習慣はほぼなくなってしまいました。


そのお雑煮さえも無くなってしまえばお餅というかつてのソウルフードも無くなってしまいます。


年末年始は日本のこういった文化を見直すいい機会ではないでしょうか。

今日5日は多くの企業の仕事始めではないでしょうか。


正月も以前のような国民すべて休日といった様相は影を潜め、多くの人が元日から仕事しているようになりました。


そのせいか、昔のように正月用に多くの食材を購入する必要もなくなってしまいました。


元日からスーパーも開いていたり、レストランも開いているのが普通になってしまいました。


年始の挨拶もめっきり少なくなってきて、唯一残っているのが初詣に参拝することでしょう。


ただ、この初詣も国民の6割程度しか行っていないのが現状みたいです。


テレビなどではNHKの紅白歌合戦の後に行く年くる年、という番組で全国の寺社の様子か映し出されていますが、このように深夜から行く人も一定数以上いるみたいです。


でも、今日5日からは気持ちを切り替え、仕事モードに入っている方も多いでしょう。


かつてのように正月は故郷で、という人も減ってきたみたいで、正月は近隣で遊ぶ程度の人が増えてきています。


正月はハワイなどの海外旅行で、というのも昭和の時代の話になってきたようです。


仕事始めをして、長期間の休みボケに悩む人もいるでしょうが、現在は昼と夜の境界がぼけてきたように休みと仕事の境界もあいまいになって来ているようです。


リモートワークなどで自宅で仕事をしたり、そもそも、会社に行ってする業務ではない人も多くなっています。


そういった方には仕事始めという言葉もすでに死語になっているのかもしれません。


この近年多様化(ダイバーシティ)という言葉がよく使われます。


仕事始めも多様化で一斉に5日からというわけでもなさそうです。


こういった多様化の時代でも、1年の計画を立てることは必要ではないでしょうか。



1月にこの1年の計画を立て、それを細分化して1月には○○を、2月には△△を、というように計画を立てるには区切りの良い1月が最適のようです。


企業は4月からは新年度というところが多いみたいですが、個人ではやはり、日本人のDNAとして1月を起点として考える方がほとんどでしょう。


今年はいったいどんな年になるのでしょうか。


明るく、幸せな年になることを祈っています。

あけましておめでとうございます。


激動ともいえる2025年が終わり、あたらしい2026年が始まりました。


今年はいったいどんな年になるのでしょうか。



そういった意味で、最近SNS等で話題になっているザ・シンプソンズというアニメを知ってますか。


このアニメはいろんなことを予想して、それが的中しているということで有名になっているものです。


例えば、トランプ大統領の誕生だったり、9.11のテロ、さらにはコロナウィルスの大流行なども当ててきたというのです。


このザ・シンプソンズというのは1989年から始まったアメリカ最長のテレビアニメで、その制作者には経済学やエンジニア系のスタッフもいて、ただの娯楽コメディとは考えられないと思っている人も多くいます。


日本で初めての女性総理の誕生や中国の今後についても暗示めいた表現があります。


こういったことは都市伝説的なことかもしれません。


未来予想など確率的に言えば一定のことかあたるのは当然です。


かつてのノストラダムスの大予言も結局そのようにはなりませんでした。


では、このような未来予想など全くあてにならないかといえばそういうものでもなく、一定の割合で当たることも多いです。


このシンプソンズも当たらないこともあるが当たった場合もあります。


中国が崩壊するとかアメリカ経済が破綻するとかいうことは起こらないかもしれませんが、中国経済は現在もあまりよくないわけですから、その最悪の場合も可能性がないわけではありません。


そして、これらの極端なことを言うほうが人の興味を引くには有利な結果をもたらします。


現在、これらの都市伝説的なことはSNSでの発信が主でしょうから、再生回数を稼ぐには多少大げさな表現をすることもあるでしょう。



でも、これらの未来予想はほとんどネガティブなことが多いのはなぜでしょうか。


30年後には世界中で飢えている人がいないなるとか、戦争がない世界になるという未来予想かあまりないような気がします。


これは勘ぐるに、ネガティブな方がひとの興味を誘うのに有利だからと思ってしまいます。


古い昔から噂話というのはネガティブなことの方が主で、ポジティブなものは拡散力が弱い傾向にあります。


人間の、もしかすると日本人の特徴なのでしょうか。


人の不幸は蜜の味、という古いことわざもあります。


それに加え、身の危険を感じる情報の方が良く大切な情報だと考える人が多いのでしょうか。


でも、今年こそ、戦争が無くなってほしいものです。


ウクライナとイスラエル、この大きな潜像が終わればいいと思っています。


そのほかにも各地で紛争や内紛なども起こっていることでしょう。


戦争のない世界、そんな世界への1歩になる年になればいいと思います。