以前にも何度も私はこの観光業界というのは外部リスクにとても弱い業界だといってきました。


その最大の事例が、あの思い出したくもないコロナ騒動です。


パンデミックという異常事態に、国民はただ、自宅で過ごすのみ、という生活を余儀なくさせられました。


そしてウクライナやイランでの戦争も大きな事態となっています。


特にイランでの海峡封鎖では日本のエネルギーの漸弱性を改めて問われました。


国内でのガソリンの影響は、政府の補助金もあり限定的でしたが、航空便の燃料代の高騰で、移動費も高くなっているやに聞いています。


先日、富士山の大爆発についての放送があり、特に関東圏では外出制限がかかった時のための日常品の備蓄を心がけることが必要とのことでした。


もちろん関東圏で影響があった場合、それはすなわち、全国への影響があることですし、モノ不足、水不足等、インフラを含めての大きな影響があるでしょう。


そうするとまた、遊んでいる場合じゃない、といって観光業界も大ダメージを受けるでしょう。


現在、中国とも関係悪化で来日中国人が減ったことが言われていますが、外交の道具として観光客を使うこともあるわけで、ほとんどすべての分野で観光はリスクを内包しているといえるでしょう。


そういった中で観光業界を安定的なものにするにはどうしたらいいのでしょうか。


私はそういった意味で、リアルな観光業界とは別にバーチャルな観光業界を作りたいと思い、HappyHolidayというサービスを始めた次第です。


現在、日本もオーバーツーリズムで観光業界も都市部を中心に活況のようですが、これが、いつまた、何かの変化で急減するかもしれません。


家庭であれば備蓄すれば済みますが、業界は常に需要がないと生きていけません。


需要の減少に対して、各企業は製品の改良や多角化だったり、努力はしていますが、観光業界での土産売店やホテルではその多角化があまりうまくいったことは聞きません。


特に零細観光土産小売りでは、多角化などは出来るわけもなく、経営者の選択肢としては継続か廃業かの2択です。


それでほとんどが廃業の選択をした結果、観光土産店は全国的に減少の一途です。


インバウンドがあるじゃないかという人もいますが、そのインバウンドも全国でいえばほんのわずかで、都市部や京都、奈良、それに宮島などの有名観光地だけです。


北海道さえ、インバウンドでそんなに賑わってはいないのです。


また、インバウンドも外部リスクの弱さは同じです。


むしろ国内よりはそのリスクは高いといえましょう。


つまり良い時も有れば、必ず悪い時もある、ということです。



いま、社会はリアルからバーチャルへの移行が急に進んでいます。


物販にしても、金融にしても、そして、現在は行政サービスなんかもネット化しています。


観光もいずれバーチャルの時代が来ることでしょう。


このバーチャル、ネット世界への移行も現在の天変地異の一つではないでしょうか。

先日ラジオで幸福の感じ方についての話を聞きました。


子供がいる人と子供がいない人の幸せの感じ方についてです。


数十年前までは、子供がいる方が不幸せだと感じる人の方が多かったようです。


ところか゛最近の調査だと、子供がいる方が幸せだと感じる人の方が増えたみたいです。


最近の結婚事情などを考えますと、なんだか逆のようにも思えるのですが、なぜ、今の時代、子供がいる人の方が幸せだと感じているのでしょうか。


子供がいると、いろんなことが起こります。


もちろん嬉しいこともありますが、逆に嫌なことや面倒なことも起こってしまいます。


ママ友などの付き合いの面倒さが話題になったドラマもありました。


もちろん、子供がいることは家計にも大きく響きます。


教育費なども家計に対しては負担になることもあるでしょう。


でも、子供がいることで、不幸を感じるとはどういうことでしょうか。


単なる金銭の問題なのでしょうか。


精神的負担?


それもあるかもしれません。


子供がいることは親にとって大きな責任をもたらします。


でも、現在でもそれは同じで、いえ、現在は以前よりも状況はより大きくなっていると思います。


ここで放送ではこんなことも言っていました。


現在での、子供がいる方が幸せだと感じているということは、話の順序が逆なのではないかということです。


つまり、子供がいるから幸せなのではなくて、ある程度幸せだと感じている人が子供を持っているということではないかということです。


そういうことなら、現在の状況と整合性もあると思います。


わたしもたぶん、そういうことではないかというほうに賛同します。


ただ、そういうことであれば日本の少子化傾向にとっては、とてもおおきな問題が生じていることになります。


経済格差も叫ばれている点で、幸せな人だけが子供を産むようなことになると、少子化の傾向はさらに進んでしまいます。


たしかに、子供の教育費、育ち盛りの食費、家族旅行などのレジャー費用等も大家族程負担が増えます。


ただ、子供は国の未来だということも事実です。


私の会社の周辺でも子供がかなり減っています。


以前にも書きましたが、近くの小学校、私の母校は去年の3月に合併、閉校してしまいました。


これで美東町の小学校は1校だけとなり、その1年生は、合併後でもたったの12名です。


現在、スクールバスで美東町ただ1校の美東小学校、美東中学校への生徒を通学させています。


町の過疎化は必ず子供の過疎化から始まります。


子供のいない町には活気もないし、当然、新しい産業も起こってきません。


子供がいる方が幸せだということは国としても、その国に住む人としても当然だと思います。


でも、子供を持つことを幸せだと感じない人が増えるのは、こういった過疎化する町をさらに増やすことにも繋がってきます。


子供のいる社会、子供の声が聞こえる社会は活気があるだけではなく、その国の未来への希望そのものです。

春になると社会活動も盛んになっていろいろなイベントが各地で開催されています。


ここ山口でもいろんなイベントが開催されていますが、とくに食と健康に関するイベントが多いように思います。


この中でも食は地域を盛り上げる有効手段になっているようです。


地産地消という言葉があるように地元でとれる食材を地元で活用、という取り組みもされていますが、それ以上に地産他消という風に地元のモノを日本全国、さらには世界に向けて拡販していく取り組みが必要なのではないかと思います。


地産地消は地元の食材をクローズアップするいいきっかけにはなりました。


地元の食材を育てる意味でまずは地元民での活用を、というのは理にかなっていると思います。


地元の給食で出したり、地元のスーパーで販売したりするのは地元民の認知向上に貢献していると思います。


ただ、地元だけの活用では農林漁業への波及は限定的でしょう。


地元民の認知が広まったら、それを活用した商品開発だったり、県外への販路拡大だったり、それを産業として広げていくことが必要でしょう。


そうしないと縮小する地方では産業自体が発展することは難しいからです。


県内のイベントはあくまでもこの地元民の認知が目的であり、その先の県外などへの販路拡大を画策しているものとは言えません。


何より大事なのは県内産業の育成であり、産業が伸びることにより、それに従事しようとする人が増えることです。


地方再生とはそういうことであり、地元民が集まって、イベントをすることではないはずです。


コロナの時に、一時都会からの人口が地方に流れましたが、再び地方の人口は減り続けています。


地方がもっと魅力を増すためには何よりその地方独特の何かが無ければなりません。


何か、とは文化でもありますし、また、産業でもあります。


この文化は一朝一夕に育てることは難しいですが、産業は政治でも買えられますし、何より一つの食材が大きく貢献することだって可能です。



現在、山口県は全国に有名なものはフグしかありません。


各生産者や事業者が様々な取り組みをしていますが、これが今の現実です。


フグと言っても山口県でトップなのは天然フグの取扱量だけです。


実際に漁獲高で1位なのは北海道ですし、石川県、静岡県なども多いです。


フグの王様といわれるとらふぐも、6割は静岡での水揚げのモノで、これらが山口県の下関に送られています。


つまり、フグといえば下関、というイメージで下関の取扱量が1位になっているということです。


ということで、下関のフグも実はとても微妙なバランスでネームバリューを保っているということです。


そろそろ山口県もフグ以外の銘産品の開拓に本腰をあげなければ、山口を代表する名物が無くなってしまうかもしれません。


山口といえば明治維新が最も有名な時代もありました。


萩への修学旅行が多かったのも歴史教育の一環でしょう。


ただ、その萩の修学旅行もすっかり勢いがなくなり、明治維新という遺産はすでに食いつぶされてしまっています。


同じようなことがフグにも起こればフグの本場は石川県となるかもしれません。


そもそも、フグ自体が名産としてはとても弱い性格をもっています。


フグは冬のモノという意識、それに高いフグでは広く大衆に味わってもらうことも少ないです。


フグは淡白な味のため、加工品の原料としてもあまり適しているとは言えません。


山口県もそろそろフグに続くものを作っていくことが必要になっています。


私たちもそのような危機感を味わって新たなものを開発していく使命を痛感しています。

日本は四季がはっきりしている国です。


そのため、四季折々の趣があり、それぞれの良いところを味わえる、という特徴があります。

現在、春も真っ盛り、桜はもう散ってしまいましたが、春の花はこれから町や郊外の様々なところで、楽しむことができます。


ここ山口県でも春になると花の祭りが多くの場所で催されています。


桜の時期では岩国の錦帯橋や山口市の一の坂川、美祢市の市役所でも多くの近隣の方が押し寄せていました。


今の時期は萩市郊外のむつみ地区のフラワーロードで、菜の花祭りが開かれると聞きました。


約4ヘクタールの田に600万本の菜の花が乱舞する光景はとても見ごたえがあります。


菜の花はその昔、どの田園地帯でもふつうにみられていた光景です。


かつて、昭和の時代に菜の花を植える理由としては、田んぼの有効利用として米の栽培をされない時期の裏作として行われ、主に菜種油の採取として行よれていました。


それと、菜の花自体を食料としての意味もあり、郊外の田んぼでは、当たり前のように菜の花を見ることができました。


菜種油は食用や灯りの燃料として使われていましたが、現在その需要はあまりなくなり、それよりも菜の花自体を食料として利用する方が高くなりました。


ただ、現在、その利用もあまり高くなく、現在の菜の花栽培は、もっぱら観賞用としての位置づけとなっています。



春といえばタケノコもシーズンを迎えています。


岩国の方では、四方竹という四角形のタケノコが取れるそうです。


おもな産地は四国の南国市らしいですが、この岩国でもまだ取れているらしいです。


岩国と竹との関係は深く、日本三大美竹林の一つに岩国の錦川沿い、錦帯橋近くの竹林があげられています。


三大美竹林とは京都の嵯峨野、岐阜県の揖斐川沿岸と、ここ岩国の竹林です。


昨今の竹林事情にたがわず、岩国の竹林も荒れていたようですが、最近はボランティアの方々の努力で徐々に整備されてきています。


竹の小径というところもでき、岩国のあたらしい観光資源になればいいと考えています。


竹は森のギャングともいわれるように、昨今ではとかく厄介者扱いをされていますが、整備をされると、とてもすばらして景観を見せてくれるものでもあります。



春は芽吹きの季節です。


地面を下からむっくりと押すタケノコは、とても春らしい雰囲気のあるものであり、また、日本らしさを象徴する建材や日用品の材料でもあります。


この岩国の竹林もぜひこれから岩国の名物になってほしいものです。


また、食料でいえば春といえば山菜ですね。


わらび、ぜんまいなどのほかにフキノトウ、タラの芽などは日本料理にも欠かせません。


山中に入っていって山菜摂りなどもこれからの楽しみの一つでしょう。


春の気もち良い日に山菜と取りなどは田舎ならではの楽しみといえます。


ただ、春の山はかなりの危険とも隣り合わせです。


一番は昨年も話題になった熊ですが、そのほかにも有害な動物がかなりいます。


冬眠明けの蛇や蚊やムカデなどの対策も十分にしましょう。


山に行くととても癒されますが、同時に危険もあることも知っておかなければなりません。

春になると、人間は行動的になりますが、人間以外のモノも同じく行動的になってきます。

動物に限らず、植物も同じです。


皆、同じように春を迎えています。


全ての動植物が上手に共存できるように、私たち人間も十分な配慮をしていく必要があるのだと思います。

この数年、モノの価格が上がっています。


私の会社でも、お土産の値上げ通知がほぼ毎週のようにやってきています。


昨今の時世柄、値上げは仕方ないのかもしれませんが、私たちのようなお土産業界は、決して必要不可欠のものというわけではなく、値段が上がると、買い控えることも多いのが現実で、値上げは業績にも直接響くこととなっています。


これを価格弾力性と呼びますが、観光土産に限らず、観光業全体は価格弾力性が高い業界です。


価格弾力性とは違いますが、あのコロナ禍でも観光業界は大きなダメージを受けました。


こんな大変な時にわざわざ観光しなくてもよい、ということだったのではないかと思います。


これは価格弾力性になぞらえて言えば、リスク弾力性とも言えるでしょう。


いずれにしても観光業界は外部の要因に大きく左右される不安定な業界であることは事実です。


前にラジオで聞いた事がありますが、日本は食べ物の争奪戦で他国に負けているということです。

高市総理のホームページでも食料安全保障を一番目に政策と掲げています。


食べることは生きることです。


健康に安心して生きることは十分な食べ物があってこそ出来ることです。


必要にして十分な食料の確保こそが、豊かな国を続けることの第一歩です。


現在生きている方の多くは、飢えた経験のない方たちではないでしょうか。


それが数年後には飢えで苦しむ社会になったとしたらどうでしょうか。


マグロが食べられない、ウナギが食べられないくらいは我慢できるとして、野菜がない、肉がない、魚も何にもない時代は想像したことがあるでしょうか。


飽食の時代で、食品廃棄の問題がある現在の状況では考えられないかもしれませんが、そういった時代はすぐそこにあるのかもしれません。




食料は今たまたま値上がりしているのではなく、この値上がりが今後も常態化する、ということも言われています。


現在、世界での飢餓人口は7億人を超えているらしいです。


いまはアフリカや西アジアが多いようですが、これが東アジア、日本へと広がっていかないという保証はありません。


世界の食料品を確保することは当然必要ですが、日本国内としてまずは今ある食料を大切にする、ということが大切な気がします。


いま、日本は先進国の一角にあるといえます。


当然民主国ですから、人権を何よりも大切にしています。


その日本での食品廃棄は年間500万トン近くにもなっています。


家庭での食べ残しや企業での廃棄、主に賞味期限切れのモノです。


いま小売り大手では賞味期限の基準がとても厳しく、1/3ルールだとかは食品メーカーにとっても大変厳しく、食品廃棄の大きな原因ともいえるでしょう。


実際、家庭で消費期限を切れたものを廃棄していることはあまりないと思います。


消費期限を過ぎたものは、まず食べてみて、変な味がしなかったら食べてしまう人も多いのではないでしょうか。


実際、冷蔵庫に入れさえすれば、後は消費期限のことなど忘れる方も多いのではないでしょうか。

日本の食品衛生はこの数年、大きく厳しい方に変わってしまっています。


つまり、製造者や流通業者にとてもきびしい条件を増やしています。


何か事故があった場合の国民の安全を考えての対処だとは思いますが、それは食品がいつも十分にあるという前提で作ったものではないのか、甚だ疑問に感じます。


テレビのドラマなどで戦中、戦後を取り上げたものでは必ず食糧難のシーンを描いています。


ほんの80年前のことです。


もう一度、食料は有限で、とても大切なもの、ということを認識すべき時代に入っているのではないでしょうか。


おいしいウナギを食べたいということも大切ですが、空腹を満たす、お米やパンを食べることの方がもっと大事だと思います。

孤独というとどんなイメージがありますか。


ボッチ、孤独死、独居老人、等々


言葉だけだと、あまりいいイメージが無いのではないでしょうか。


ひとり飯、なども最近ではあまり抵抗なくなってきましたが、ちょっと前だと、一人でレストランに入るのも気が引ける時代がありました。


最も最近では家族構成も一人家族が増えてきたせいで、「おひとり様歓迎」などの張り紙がある店も増えてきています。


ただ、休みの時に、ふと「今日は一回も言葉を出していないな」などと感じるときは少し寂しい気になったりしないでしょうか。


こんな1人での生活が、現在はどんな風になっているかを考えてみたいと思います。


最近の都市部では多くの人が一人暮らしをしているために、一人で生活するのがとても便利になって来ています。

先ほどのレストランの話でも、かつては一人で行くことに抵抗があった焼き肉店でも、一人用のテーブル、カウンターが設置されていて、現在ではほとんどすべての外食を、1人で利用できます。


旅にしても、相当昔だと、一人旅の客は何かと不審がられている雰囲気がありましたが、最近ではそのようなこともありません。


酒を飲むにしても、立ち飲みは本来一人の利用の方が多いくらいです。


こういったおひとり様の生活がとても便利になったことは、良い点もありますが、逆にデメリットもあります。


それは結婚へのハードルが上がったことではないでしょうか。


1人で生活できるのにあえて人生のパートナーを作らなくてはいけないことに抵抗がある人が多くなった気がします。


先ほどの孤独死、独居老人、などは歳をとってからの問題なので、若い人がそれほど切実に考えているとは思えません。


結婚するとあたらしい人間関係ができてしまいます。


それを煩わしいと考えるか、それともあたらしい家族が出来ることに希望が持てるかは、その人の考え方次第です。


まして、現代は子供を育てるのがとても大きな仕事です。


人によってはそれを煩わしいと考える人もいるでしょう。


昨今の少子化には、このような背景があるとも考えられます。


現在の日本でも、孤独というものがあまりネガティブには捉えられないようになっています。


でもまだわずかですが、いつも一人でいる人はボッチという風に呼ばれ、あまり人望がないひとだと捉えられることもあります。


他の国では、ひとりでいることは自立できていると考えられるところもあります。


1人でいるときには何かしかを考えています。


多くの人といるときには自分の考えを考えるよりも、他人と同調できることばかりを考えていることも多いです。


この日本特有の、場の空気というものが多くの人といるときには何よりも重要視されます。


そのため、このようなことを嫌う人にも1人でいることを好む人も多いみたいです。



その昔、一人でいるときにはやることがなんも無い時代もありましたが、現在では食生活も楽しむことも、何でも自由にできます。


1人の方が生きやすいと感じる人が増えているのも、納得できる時代になってきました。


子は国の宝、などといわれた時代もありましたが、子供を産んで育てた挙句かつての家族制度時代が今の時代には大きく変わってしまっています。


それなら子供を産んで国を栄えさせることよりも自分の生活を充実させたいと考える人が増えたのでしょう。


生物の本能として子孫を残す、ということがありますが、現在の人間にはそのような動物的本能が薄れてしまったのかもしれません。


ただ、子孫を残す、家系を守る、だけでは子供を育てるモチベーションとしては少なくなってきたのかもしれません。


日本は世界にも類のない生活しやすい国だと思います。


とてもいい国です。


その国をこれからも存続させるために孤独も良いですが、子供を増やすことにも気を使って行きたいものです。

世の中は健康ブーム、ブームと言うより一種の信念のようになっているのかもしれません。


健康のために毎日運動しましょうとか、


健康のためにジャンクフードは控えましょうとか、


健康を一番に考えすぎてしまうと、なんとなく生活しずらくなってしまう感じがします。



確かに毎日カップ麺だけを食べ続けていると、栄養不足になるのかもしれません。


だけど、たまには体に悪いものも食べたくなる時ってありませんか。


それらを我慢し続けていると、体は健康になるかもしれませんが、心の方はなんだか鬱憤がたまって不健康な状態になりそうです。


たまにはジャンクフードも食べたくなる時もあるでしょう。


ただ、こういった健康に対する生活の仕方に対して確実なのは、習慣を変えるということです。


毎日カップ麺やコンビニ弁当に頼り切ってしまうのではなく、自分の健康のために食生活なり、運動なりを習慣化してしまうことがとても大切な気がします。



一度習慣化してしまうと、カップ麺などを食べたいという気があまり起こらなくなるものです。


そしてたまに食べたくなったとしたら、その時は罪悪感を感じる事なく食べたほうが心の健康のためには良いのです。


習慣化というのは継続するための一番効果的な方法です。


だけど、「その習慣化ができないんだよ」


という方も多いでしょう。


確かに習慣化する最初は、かなり我慢や努力が必要かもしれません。


毎日、野菜や肉を1から手料理で食事の支度をするのは毎日かなりの努力が必要てす。


そうした、何かをする習慣化、というのは確かに努力などが必要です。


運動などもこれに当たりますね。


運動しやすい季節ばかりではないので、炎天下や氷点下の場合は外に出るのさえ決意が必要です。

ですので、何かをする習慣化より、何かをやらない習慣化の方が続けるにはずっと楽です。


私は今、16時間ファスティングをしていますが、これは早い話が夕食を抜くだけです。


ただ、昼食から次の朝食まで、水分以外のモノは摂れないですが。


この夕食を抜く、夕食をしない、というのは自分でもかなり負担が減る気がしています。


1週間に2回ほど夕食抜きの日を作っていますが、これはかなり自分への負担を減らしてくれています。


育ち盛りの人にはもちろん進められませんが、高齢となった自分には、たまには内臓に休みをあげるためだとも思っています。


そもそも、現代人は食事量が多い気がします。


健康のために大切なのは過食を防ぐこともあると思います。


いっぱい食べることが良いことだ言う意識がまだ日本人には残っているのではないでょうか。


量を減らすとダイエットという無駄なこともせずに済みます。


内臓の中でも肝臓や腎臓、大腸等への負担も軽減されることでしょう。


そして、間食をやめること、これも「しない」習慣化です。


たまに食べたい時があれば、その時はファストフードでも何でも食べればいいのです。


ただ、その食べるを習慣化しないことには注意が必要です。


健康のためといってもあまりに管理してしまうと、とても疲れてしまいます。


間食をすることだって、たまには習慣化をお休みするだけです。


何でもかんでも健康のためといって、自分に制限を与えることはとても幸せな人生だとは言えないのではないでしょうか。

私は学生時代、間借りという形で生活していました。


一般家庭の空いた一室を借り、そこで生活するのですが、あくまで一室を借り、寝るだけで食事や風呂などは外部で済ますのです。


昔は銭湯なども普通にあり、風呂に入ることはあまり問題はなかったのですが、食事だけは苦労しました。


間借りなので当然キッチンはついていません。


ですので、できる事といえば、電気コンロ(昔はニクロム線でお湯を沸かすものがあったのです)でインスタントラーメンを作るくらい、冷蔵庫などもちろんありませんので、具材は当然ありません。


そんな中で生活するので、楽しみもインターネットはもちろんテレビもまだそういう学生にはない時代です。


そんな中で1人で生活するのに楽しみというものがほとんどなかった時代です。


唯一あったのが貸本。


中古の本を1日借りたりするところで、まあ、図書館のちっちゃい奴だと思ってください。


本も専門書などではなく、漫画や雑誌などの簡単に読めるものが中心でした。


まだ、Book・Offも漫画カフェもなかった時代のことです。



1人で自分の部屋で楽しみを見つけるということはとても大変な時代でした。


そんな時代に出来ることといえば、ギターなどの楽器を弾いたり、もちろん小説や、お金のある人は映画などに言ったりもしたでしょう。


だけど日常でちょっと楽しむ方法が少なかったのは事実です。


そういった時代だからこそ、若い人も趣味を持つことが多かったのだと思います。


先ほど言ったギターなどの手間のかからない楽器だったり、鉄道雑誌で鉄道を趣味にしたりした人が多かったのだと思います。


時代は変わり、学生でもテレビを持つことは当たり前になり、映画に行けなくてもレンタルで映画を見たり、行くのがはばかられていたポルノ映画も簡単に見られる時代になっていきました。


ちなみにポルノ映画というのは当時の映画会社の日活が名付けた日活ロマンポルノのように成人用映画のことで、現代風に言えばAV(アダルトビデオ)のことです。


こういった楽しむことが容易でなかった時代ですので、大学にも多くの趣味同好会のようなものが存在していました。


サイクリング部だったり、私の参加したのは、自動車部、これは免許まで取る指導をしてもらえるので、大変ありがたい部でした。



こういった時代の学生生活も一人では孤独を感じる事が少なくありません。


休みの日は誰とも話をすることはありませんし、人の声を聴くことさえありません。


孤独というのはこういった人とのコミュニケーションだけでなく、人の声が聞こえない状況でおきるものだということが実感された体験でした。


ただ、現在では全く様相が異なります。


テレビは各戸というより各人も持つ時代ですし、何よりテレビは無くてもスマホやPCでSNSでのコミュニケーションは取れます。


テレビなどの一方通行の媒体だけでなく、SNSでは双方向のコミュニケーションも取れます。


こういった時代はあまり孤独を感じる事が少なくなってきたのではないでしょうか。


SNS以外でも様々なコミュニティが各地で募集されていますので、その気になったら話し相手はいつでも探せる状況にあるわけです。


もちろん、こういった環境では良くないことをたくらむ輩も出てくるので、、詐欺等には十分注意することは必要です。


インターネットでこういった孤独に関係するものは一変しました。


マッチングアプリなどは直接的に孤独から人を助けるサービスです。


でも、このマッチングアプリにも弊害は存在しています。


便利になったり、悩みを解決するものは常に出ていますが、そのマイナス面はしっかり考慮が必要です。


現在はネットフリックスなど、一人でも映画三昧の生活はできますし、休みの日に孤独を感じる事は少なくなったのではないでしょうか。


時代は激変したとも言っていいと思います。


まだ、これからも大きく変わってくることでしょう。


一人一人が楽しく幸福を感じる時代がやってくるのかもしれません。


でも、格差社会も確実に深刻になっていますので、その幸せが一部の人だけな享受されるものでないことを祈らずにはいられません。


世の中が便利で快適になればなるほど、そういった格差も広がっているように感じられる今日この頃です。

3月は年度替わりの、とても忙しい月です。


現在の27日となると、役所など多くのところが年度末で大変お忙しい日を過ごしていられることでしょう。


学校も春休みで最近は子供の元気な声を聴くことができません。


とても忙しい年度末ですが、この春休みは学生さんたちにとってはとても開放的な休みなのではないでしょうか。


というのも春休みには、あの嫌な宿題が無いからです。


と言っても、それは私の時代の過去の話ですが、現在ではどうなっているのでしょうか。



そして学年の終わりで、新年度にはクラス替えもあったりと、新しい学生生活が待っているというとても大きな変化の中の休みです。


特に小学校から中学、中学から高校へと変わる人にとっては生活自体が変わることも考えられます。


高校から大学に進学する人は住む場所も変わる人も多いでしょう。


そして大学から就職する人にとっては長かった学生生活ともお別れの時期でもあるわけです。


そんな大きな変化のこの時期はとてもたくさんの人があたらしい未来に希望と不安があるのではないでしょうか。


そういう季節の今はとても人生で思い出になる時期だと思います。


1年というのはただ、単に時間が過ぎているのではありません。


その時によって昨日と変わらない日であったり、昨日とはかなりかけ離れた日であったりします。

そういった日の積み重ねが1年であり、毎日がそういう気持ちでいなければ昨日と同じ今日がやってくると勘違いしてしまいます。


学生時代のように強制的に変わるのが感じられればいいですけど、社会人になったら、そういう変化に敏感に感じ取る意向を持つことが必要でしょう。


そうでない人は今日は昨日と同じで、明日も今日と同じだと勘違いしてしまいます。


社会人になって特に気を付けなければならないことは、先生がいなくなることで、自分の方向は自分で考えなければ何も変化が起きないということです。


特に新社会人は全く新しい生活が待っていますので、まさに忙殺ということが考えられます。


忙しい中で考えることを止めてしまうことが、とても自分の人生には大きなマイナスだということです。


新年度は何をするのか、いったん立ち止まって、自分の人生を総括することも必要なのではないでしょうか。


で無ければ、惰性の人生、他人まかせの人生になってしまう危険さえあります。


社会に出たら友達ができないとか、趣味を楽しむことができないという人も結構多いです。


そういう風に感じてしまったら、それこそ忙殺の人生に陥っている可能性があります。



先日ドラマで「帰らないおじさん」というのがありました。


3人の中年のおじさんが毎週木曜日のアフター5に3人で好きな遊びを楽しむという、他愛のない内容です。


でも、このドラマはとても素敵だと思いました。


人生が深まるほど子供の時のような遊び心、単純に今を楽しむということも必要なのではないでしょうか。

2月にアメリカのオークションでポケモンのポケモンイラストレーターが約25憶3000万円で落札されました。


これはトレカ市場でも最高額で改めてポケモンの世界的人気を証明してしまいました。


現在キャラクター業界でも日本のキャラクターの人気はトップクラスで、1位はポケモン、2位はいまだハローキティで上位10位までに日本のモノが5つも入っています。


上記以外のモノはアンパンマン、マリオ、さしてなぜか少年ジャンプの3つです。


10位以降にもガンダム、ドラゴンポール、ワンピースと名だたるキャラが上位を占めています。


こうしてみるとコミック、アニメ、ゲームの世界では日本のモノは世界的にも人気で、やはり、コンテンツの世界では日本のコンテンツは世界的にも評価されていると感じます。




日本の成長戦略の中の17分野にコンテンツも含まれていますが、これは現在の強みをもっと磨きをかけていくことだといえるでしょう。


このコンテンツの人気は現在のインバウンド人気への影響もあると思います。


日本のコンテンツの魅力で○○の聖地巡礼が話題になることも少なくありません。




コンテンツといえば先日のWBCもビッグコンテンツです。


この放映権をネットフリックスが取って、日本のTVでは視聴できなかったのは大きな出来事と言えるでしょう。


もはやTVで何でも見れる時代も終わってきたのだと実感した出来事です。


今後、コンテンツビジネスも大きく変わる時代になるでしょう。


日本のテレビのコンテンツといえばドラマがありますが、そのドラマも原作は最近ではコミックのものがほとんどです。


このコミックが最近の人気コンテンツの土台だともいえるでしょう。


コミック→アニメ→ドラマ(実写)→グッズという流れが主体なのではないでしょうか。


もちろんゲームが元だというものもあります。


先述のポケモンなどはこれに当たります。


いずれにしても昭和の時代の、小説→ドラマ、という図式はあまり見られなくなってきました。


こういった背景には漫画家を目指す人は多くても小説化を目指す人が少なくなってきたという背景があると思います。


小説は1回で完結することがほとんどですが、漫画は何十巻も続けて出すことができるので、作家も1つヒットすればそれだけで人気作家になることができます。


最近の例でいえばワンピースの尾田栄一郎氏もそうでしょう。



ワンピースにはいろいろなキャラが多く登場します。


多少多すぎる感はありますが、それでも多いということはグッズ化や版権などの販売チャンスも増えるわけです。




現在はまだ漫画家志望の若い人がいますが、今後この若い人をひきつけ続ける仕組みづくりをしなければ、日本のコンテンツの基本が失われることにもなりかねません。


コンテンツ産業も製造産業とそう変わりはないと思います。


業界参入者をいかに多くしておけるかで今後の成長も大きく変わってくるでしょう。


最近の動向は良く知りませんが、漫画家志望の人は自分の作品を懸賞に出したり、出版社に持ち込んだり、数多くの努力をしていますが、それがかなえられるのはわずかな人たちだけです。


こういった漫画家志望の人数を増やすことも成長戦略には必要なのではないでしょうか。


日本の農業が廃れていったようなことはしてはいけないことだと思います。


せっかく現在では世界の評価が高いのですから、半導体や、家電のように他国に奪われることの無いようにしていただきたいものです。