忙しいと言い訳をしている間に、とうとう今年も残すところ
今日を含めて2日となってしまいました・・・

箱根へ行ったのがもう1か月以上前、
高校の遠足の話が四半世紀以上前・・・
この記事はかび臭くなっています(笑)

来年からはフレッシュを心がけていきたいと思いますので
今日はかび臭さをこらえていただきたいとおもいます。


そう、箱根の七曲を過ぎたあたりでバスを降ろされ
芦ノ湖まで下りとはいえ、案外距離は長く
道は当然舗装されていない山道。

記憶は定かではないけれど、1時間くらい走ったような気がします。
江戸時代の旅人じゃあるまいし、途中までとはいえまさか山を走って下るとは
夢にも思わず・・・


それにしても、恐るべし高校生の体力!!




孝明天皇第二皇子睦仁親王は慶応3年(1867年)正月9日、御年16歳で天皇となられ、翌、慶応4年東京遷都を仰せられ、江戸を東京と改め9月8日4明治と改元、9月20日京都を出発、東海道を通り、東京へ向かわれました。

宿場沿道の人々は喜んでお迎えし、箱根山中では笈の平でご休息をとられました。天皇が箱根を超えられたことは有史以来であります。

総員2500人の行列は畑宿、湯元、小田原、大磯、藤沢、神奈川を経て東京に入り、10月13日、午後1時ごろ皇居西の丸にご到着、実に24日間を要しました。

天皇は、箱根連山の男性美に満ちた大自然と、浮世絵に見るような狭い山道の旧街道を通られ、
非常にお喜びになり、のちに建てられた箱根離宮もこの感激があってのことと伝えられています。





ここが笈の平でお休みになった茶屋。
現在残っているこの茶屋の隣にあります。


そんな旧東海道を走って下り、芦ノ湖の駐車場までたどり着くと
運転手とガイドは同じままで、別のバスが到着していました。

バスに乗り込むと、ガイドが一言。

「出発の時間をだいぶ過ぎています。」


全員がカチンと来たに違いない!!!

そもそも朝、30分遅刻してきたのはバス会社のほうで、
あたしたち約500人は千川通りという比較的交通量の多い通りで朝っぱらから
30分待ったことに加えて
坂の途中で事故を起こし、さらに途中で降ろされ
お弁当を食べる暇も、もちろん芦ノ湖の遊覧船に乗る時間もなく
バスについたら出発時間が過ぎてるってさー、

クラスの半分が
「ふ・ざ・け・る・な!!!」
と、思ったはず。

誰も何も答えず、黙ってお弁当を食べ始め
そして、バスは岐路につきました。

帰ってから先生に
バスは値切らないように要望を出しました(笑)

そして、解禁になった箱根。
今も硫黄の匂いが強いかどうかはわかりませんが
1か月前は、途中黙々と湯気のような煙が上がり
匂いも強く、山が活動しているのを感じました。

ゆで卵の腐ったようなにおいの硫黄より賞味期限が切れて腐って臭う記事を
最後まで読んでくださって、ありがとうございました^^