ゆるみ処こもれび、高橋あつこです。
以前学んだ数秘を
コラージュワークショップに
組み入れてみようと考え
卒業レポートを載せてみました!
私が学んだ数秘は、
1~22まで全ての数を読み解くもので
33は読みません。
卒業レポートは手塚治虫さんの
伝記を元に人物像や人生を
数秘に照らし合わせたものです。
ワークショップにご参加下さる方の
参考になりますように♪
次は、ヒストリー編です。
手塚治虫
1928・11・3~1989・2・9
<History>
【若年期 11-2】
秀でた洞察力と感受性を持つ11。
豊かな自然に囲まれ育った子供時代。
目に映るものを描写し、頭の中で思い描く言葉を使ってストーリーを作る。
11という数の特性をいかんなく発揮し過ごします。
治虫氏の実家は、比較的裕福な家庭だったため、映写機で繰り返しミッキーマウスを見続けました。
恵まれた環境の中、治虫少年は、湧き上がるアイデアや芸術性を伸び伸びと育てていったと思われます。
【1941年13才 20-2】
サイクル2は、種が発芽に至る成長の時期にあたります。
自分の身における変化、変容を受け入れていきます。また、学びの数でもあります。
中学に入学し、クラスの担任でもある美術の先生がその才能を見抜きます。
美術部への入部を勧められ、喜んで勉強を始めます。
【1942年14才 21-3】
3は、2で成長した芽が開花する時です。
また、その開花を楽しみ更なる創造力の発展をさせていきます。
太平洋戦争が始まり、日本中が、その波にのみ込まれていきます。
そんな中、変わらない自然が残る雑木林に出かけ、友人と昆虫採集に熱中し手作りの甲虫図鑑を作成します。
治虫氏は、ペンと絵具で実物大の甲虫を約300種類描きます。
思うような赤色が出ない時には、自分の指を傷つけ、血を絞り出し使いました。
この時、一緒に図鑑を作成した友人、林久雄氏は、のちに昆虫学者となります。
【1944年16才 5】
5は、変化していく時期です。
変動の中で、臨機応変に対応していく事が大切になります。
この年、兵器工場での強制労働が始まります。そんな中でも、ペンとノートを持ち、限られた時間の中で長編漫画を描き続けます。
その作品は、行員と学生専用トイレに毎日貼り付けられ、みんなに喜ばれます。
みんなに見てもらい、喜んでもらわないと満足できない治虫氏でした。
【1945年17才 6】
6は、内面の成長を目指す時期です。
また、本質に向かう教育を受ける時でもあります。
「どうせ戦場に行くなら、人を助ける軍医になって行きたい」
と医学部を目指し、合格。医者としての勉強を始めます。
【1946年18才 16-7】
7は、内面の成長をステージアップさせる為にも、内省し、コンセプトや計画をより深める時です。
そして、精神性の充実が図られる事で、更なる才能の開花へと繋がります。
戦争が終わり、医学部の勉強と同時に、時間を見つけては漫画を描き続けます。
そんな中、新聞社に勤める人のつてで、4コマ漫画の掲載が決まり、漫画家としてデビュー。
また、戦争で中断していた宝塚歌劇が再開、歌劇の機関紙にルポ漫画を描くことになり、歌劇団に出入りするようになります。
そこでの経験から、のちに「リボンの騎士」が生まれます。
【1952年24才 22-4】
22は、大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう時になります。
医師国家試験に合格。
しかし医者への道には進まず、本格的に漫画家として仕事を始めます。
また、仕事場を関西から東京に移し、多くの連載漫画を抱えます。
この年「鉄腕アトム」の連載が始まります。
【1958年30才 19-1】
1は、始まりの数。
新しい事へ挑戦するのに適している時期です。
治虫氏原作の漫画が、長編アニメ「西遊記」として製作されることになり、共同演出として制作に参加。
そこで、自分のアニメスタジオを作る計画を練り始めます。
更に、医大の研究室に入り、医学博士号取得という挑戦も開始します。
【1961年33才 22-4】
再び22の年です。
更に大きなビジョンを描き、開拓をしていきます。
また、4は、コツコツと努力してきたことを形にする数です。
そして物事の基盤作りとなる時期。
今まで努力を重ねてきたことをここでスタートさせると、のちに大きな成功をもたらします。
念願のアニメスタジオが建てられ、アニメの制作が始まり、自主制作した第1作目のアニメは、3つの賞に輝きました。
【1963年35才 5】
形になったものが、更に活発に動き出します。チャレンジの時期です。
1月から国産アニメ第1号の「鉄腕アトム」が放映開始されます。
アトムの人気は日本だけに留まらず、アメリカにまで広がり「アストロボーイ」というタイトルで放映されます。
治虫氏は思います。
「ディズニーは見てくれるだろうか。じかに感想を聞いてみたい」
そして、この願いは叶うのです。
【1964年36才 7】
精神的部分を大切にしていく事で、更なるステージアップが可能となる時期です。
ニューヨーク開催の世界博覧会に特派員として訪れた会場で、偶然ディズニーを見かけます。
思い切って「アストロボーイを作っています」と声をかけた治虫氏に
「知っています。良い作品です。これからの子供達は、宇宙に目を向けなければなりません。実は私もアストロボーイのような物を作りたいと思っていますよ」
と答え立ち去りました。
次はもっと時間をとって話したいと思いますが、この2年後、ディズニーはこの世を去り、その願いが叶うことはありませんでした。
研究や学びを深める7の時に、憧れ続けたディズニーに会った事で、一層仕事に励み、ステップアップを果たします。
日本初のカラーアニメ「ジャングル大帝」が放映開始されるのです。
【1980年52才 5】
革新、冒険というキーワードを持つ5。
より多くの事を体験し視野を広げる時期です。
日本の「まんが大使」としてアメリカを訪問します。
そして国連で「まんが文化」について講演を行いました。
その後も世界中を周り国際交流に尽くし精力的に活動していきますが、1989年、60年という短い生涯を閉じます。
世界中を見て周るうちに
地球全体を見るようになった治虫氏。
宇宙飛行士の視線で見た地球を見て、こんな言葉を残しています。
「私は、未来の子供達に期待しています。
宇宙ステーションや月面で生まれ育った子供達は、人間というものは、ちっぽけで力を合わせなければ生きていかれないことを知っているでしょう。
また、人間が特別偉いものではなく、地球に生きる動物も植物も、人間と同じように生きて、子孫を生み続けていく生命体であるのだと、まっすぐに受け止めることが出来ると思います。
その時こそ、人類はガラスの地球を救い、やっと宇宙の一員になれるのかもしれません。」
by atsuko
何にも知らない専業主婦が飛び込んだ
数秘の世界。
半年間、とことん自分と向き合い
とても辛かったけれど。
あの時があるから
今があるのかもしれませんね。
人生、何が起こるか分かりません!
コラージュワークショップでは、
ヒストリー編で読み解いたように
ご自分の数の流れを見る予定です!
サクッとですけど。
数が持つ特性を知って
流れを掴む一助になればと思います。
コラージュでヒントを見つけて
人生の流れをざっくり読んで
(ざっくり位でいいんです!)
これから始まる自分のストーリー
探っていきましょうね
楽しみにしています!!
コラージュワークショップは、
こんな感じで行っています。