母の代筆です。


ご無沙汰しています。


母の希望で始めた、このブログですが…最近は、ピグなどで私(娘)の、おもちゃと化しています。



一応、年齢が年齢なので、死んだ?とか、ボケた?とか、思われて、心配されている方がおられると申し訳ないので、近況をお伝えしますと…。



徐々に老化と病気の進行(肺気腫)はありますが、辛うじて(?)ボケもせず、酸素ボンベかかえて、ある意味、元気は、元気です。


本人、戦中戦後と色々と難儀な経験も豊富なので、それを書くように進めてはいるのですが、どうも第三者にそういうことを打ち明けるというのも微妙に照れるらしく、おざなりになっています。


日常的には、正直、そんなに変わり映えのない暮らしですので、まあ~、本人、書くところも特にないといった感じでしょうか。


始めると言い出したころは、ちょうど長年の愛猫が亡くなったところだったので、人に話したい心境だったように思います。


私の方でも、特にせっついて「書け書け」と言ってないので、すっかり更新が滞っております。



すみません。



しばらく、更新がないかもしれませんが、また、どうにか機嫌のよさそうな時にでも何か促してみますね。


では、また。




しばらく、ご無沙汰してすみません。



3月11日の震災で、ありがたいことに私自身にも私の周りにも直接の被害はなかったのですが、津波の映像や被災地の皆様のご様子が衝撃的で、気持ちが昂り、テレビに釘付けになっていました。



私は、第二次世界大戦のさなかに青春を過ごしたいわゆる戦中派です。


今回の震災とは異なりますが、荒れた大地はまるで大空襲のあとにも似て、部分的には70年も前の恐怖と記憶を重ねてしまいます。


「欲しがりません、勝つまでは」


「不自由を常と思えば不足なし」


これらの標語が、あちこちに貼られ、これから何が起こるか分からない恐ろしさに私たち子供は、ただ、おびえました。


その中で、私の父は亡くなり、翌年に母が亡くなり、私たち兄弟はバラバラになって親戚の家に厄介になりました。


私は物のない時代の言葉通りの厄介者で、激しい空腹と寒さの中で成長しました。



それから、幾星霜…色々ありました。


豊かな世の中にしたい、豊かな世の中を作りたいと願い、働き、自分も豊かになりたい、子供たちも豊かになって欲しいと生きてきました。


長かったようで、短かった歳月です。



そして…この度の原発の故障は…


何が起こってしまったのでしょうか?


この歳になっても初めて聞く言葉が飛び交い、理解できないままに状況が変わっていきます。


得体のしれない魔物が、気がつかないうちに背後から忍び寄ってくるような、初めて体験する気味の悪さです。


難しいことは、私にはわからないのです。


ただ、私たちが豊かになりたいと願ってきた思いは、いつのまにか何か道を間違えてしまっていたのでしょうか。



言葉にはできない胸に迫る思いが交錯します。

ひとり、ぼんやりしていると、やっぱり家にいた黒猫のことを思い出してしまいます。


去年の11月に亡くなった小柄な猫です。



猫という動物の後姿には哀愁があるものです。


生後1カ月半の頃、我が家にいたあの子はもうすでに猫の形を成し、障子を開けた敷居の上に座って、黙ってじっと、外の枯木立を見ていました。


遠く離れた母や兄弟のことを思っていたのでしょうか。


なんとも寂しそうに背中を丸め、横顔を見せて尻尾をすーっと垂らしていたシルエットが、本当に素晴らしくて猫嫌いの私が本当に見とれてしまいました。


あれから、私はあの子のことを可愛がるようになったのです。


横顔の線は日暮れのせいか憂いが漂い、自然の造作とは思えないほど均整がとれて、誠に美しく見えました。



今では、15年近く前の、たわいもない思い出の話です。