長男の その後
自閉症スペクトラムの長男、寮生活でホームシックになった後の話詳細は省きますが、適応障害になって「希死念慮」というものに駆られるようになってしまいました。いわゆる、自殺願望です。早急に、退寮して、家に連れて帰り、学校も行ける精神状態ではないので休むことにしたのですが...それで、一安心とはいかず、帰ってきた当初は、食欲もなく暗い表情。即、心療内科へ行き、不安や不眠の薬などをもらって飲みつつ、(自室で一人にすると、自殺行為をしそうになるので)常に部屋の戸を開けて見守るようにしていました。それでも、少し落ち着いて笑顔も出てきたと思って、私が気を抜いていたら、目を離した隙に何度か、家から出て行き大きい川に入って死のうとしたり、大変でした。親としては、何としても、死なないように、必死になっていたのですが、どんなに、心配しても、どんなに励ましても、支えても、死にたい気持ちは、無くならないようで、そうなってくると、見守る方も、段々と諦めの気持ちに。「どんなに手を尽くしても、死にたい人は止められない」というのが、当時の実感でした。元気になるまでには、時間がかかると、改めて思い直し、毎日、一日ずつ生きていくことを積み重ねようという気持ちで、長男と家族で一緒に出来る楽しいこと、美味しいものを食べたり、買い物に行ったり、ドライブをしたりしました。それから、心療内科の先生にも、大変お世話になりました。この先生は、長男がとても信頼している、お医者様で、長男の話す、分かりにくい、まとまりのない話や、自己中心的な考えの意見なども、よく聞いて下さり、良いアドバイスをしてくださるので、長男も、厚く信頼していて、親の言う事よりも、先生のアドバイスの方を、よく聞くのです。この先生の良い点をもう一つ、意思決定は、本人や家族を尊重してくださるところ。我が家には、合っているなぁと思うところです。そんな感じで、不安の強い日や、落ち着いている日を、波のように繰り返しつつ、何とか、4月からお盆の頃まで生きながらえていました。そして、迎えたお盆休み、いつもの我が家ならば、混雑する遠出を避けて家に居るところ、今年は、夫の提案で、関西と九州へ帰省することに。帰省の道中の詳細は省いて、長男にとって帰省が良かった点を書きますと、私の実家に行った時に、ちょうど私の長姉が来ていました。この姉は、長男が小さい頃から、可愛がってくれていたこともあって、長男が会いたかった人。私はそれを知っていたので、姉には前もって、長男が適応障害で学校に行っていないことだけ、知らせていました。長姉は、息子4人を育てた先輩ママなので、男の子育児はベテラン。長男の話を聞いて、励ましてくれて、長男も楽しかったようでした。また、私の両親(父89歳、母85歳)の元気な様子も見られて、元気をもらって帰ってきました。この帰省が良かったのか、その後の長男は前向きな発言が多くなり、お盆明けに心療内科へ受診した時に「適応障害は治ったようだね」と言ってもらえました。適応障害の原因を考えてみたのですが、食事の出る寮と言っても独り暮らしに近い状況で、コロナ禍で3年間友達らしい友達もいない中で始めた生活だったこと。寮の食事も口に合わなかった事で栄養不足だったのではないかという事。学校の授業が対面式に戻って、授業中の情報処理が追い付かなくなったこと。寂しさや、授業についての不安から不眠になり生活リズムが昼夜逆転していたこと。など、他にもあるかもしれない、いくつかの要因が重なっての結果だったと思いました。今思えば、未然に防ぐ方法があったのかもしれませんが、長男本人も、そういう状況で、何がどうなっているかわからず、助けを求める方法も上手く見つけられなかったのかもしれません。ホームシックの電話の時には、落ち着いていて、これほど重症だとは思っていませんでした。あの日、朝の3時半、交番からの電話で『「1人でいると自殺しそうになるから、どうしたらいいかわからなくて来ました」と言って息子さんが来ています。迎えに来れますか?』と言われるまでは。迎えに行って、長男を連れて帰る車の中で、長男が交番に行った事を褒めました。そして心の中で、生きていてくれたことに感謝しました。まだまだ安心出来る状況とは思っていないのですが、一息ついた感じなので、危機感を忘れないために、覚え書き。