第50回衆議院選挙の結果が出揃った。
新聞には落選した自民党議員のコメントは
「有権者厳しかった」
「私の至らなさ」
「初心にかえる」
「経験したことのない逆風」
「……」
日経新聞の一面には政策報道ユニット長奥村氏の書いたものの冒頭に「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙を、政治家(ステーツマン)は次の世代を考える」という文を引用している。
まさに数年に一度の就職活動をしている議員(市町村議員、県議会議員そして国会議員)が多い。
当選後4年間の間で、目の前で動いている議員を見ることは市町村議員は3割にもみたない。県議会議員は1割程度,県内選出の国会議員は一人も見たことが無い。
議員を「先生」と呼ぶ人たちもいまだいる。彼らは先生ではない、国費から活動費を全額支出している人達なのだ。彼らを先生と呼ぶ人は自らを「生徒」と認識しているのだろうか…
国会議員の選挙チラシやポスターに国の次代を考えている言葉は少ない。
「〇〇(県名や地域名が入る)のことを一番に考えます」なんてフレーズにはガッカリ。それは県議か市町村議が言う言葉。「〇〇ファースト」もガッカリ。当たり前のことを当たり前に一番に言葉にするのは「主張」が無いということを自ら発信している。
「〇〇ファースト」は現在選挙期間中のアメリカで言われ始めたこと。一気に全世界に広まった。
私はアメリカが大国の道を諦めたのだなとこの時思った。
「マニフェスト」に至っては小学校の児童会役員選挙でも使われる。本来の意味を理解して使っているとは思えないが、それを容認する文化には先行きに怪しさを感じている。
次の世代を考える政治家がいない日本は経済力や技術力では世界に名をあげても、行動力と発言力は二流のままをなのかもしれない。