現在「自分史」を12話連載で
書いています。
初めての方は
第1話から読んでいただけると
ストーリーがわかりやすいです😊
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▶第2話はこちら。
▶第3話はこちら。
▶第4話はこちら。
▶第5話はこちら。
▶第6話はこちら。
▶第7話はこちら。
▶第8話はこちら。
▶第9話はこちら。
▶第10話はこちら。
ここからさらに
衝撃の事実が明らかになって
いきます。
大切な人をいとも簡単に奪われ
嫉妬に狂う、というパターンは
お兄ちゃんにお母さんをとられた!
という感情体験の繰り返しだった
とわかりましたが
好きになった人には
敵わない相手がいる
好きになられると
気持ち悪くなる
という謎の恋愛パターンも
繰り返していました。
この本当の原因が
ようやくわかったのです。
なんと、、
好きになった人には母親
好きになられた人には父親
を投影していました。
父親は、昔から
ベタベタしてくるのが
すごく不快だったことは
覚えていました。
だから、生理的に
嫌な感じがしていたんです。
でも、父親のことは
嫌いになりたくないから
その気持ちにフタをしていました。
そうすると、父親以外の人で
その感情を繰り返すことになります。
だから
男の人が自分に注目して寄ってくると
無意識に父親を投影してしまい
本当は父に感じていた感覚を
再体験していただけだったんです・・
そして、母にはずっと
叶うことのない片想いを
繰り返してきました。
「敵わない相手」って
一体誰なんだろう?
この相談をした時
メンターに聞かれました。
「幼くして亡くなった兄弟はいない?
お母さんの流産はなかった?
誰か亡くなってる可能性があるね。」
流産、という言葉を聞いて
ハッとしました。
―――母の実母が、死産で
母が6歳の時に赤ちゃんと一緒に
亡くなったという話を
聞いたことがあります。
「じゃあそれだ。
敵わない相手は、お母さんの実母だ。」
「お母さんの意識は
永遠に亡くなった実母のほうを
向いていたんだと思うよ。」
・・・・・?
そんなことがあるの・・?

私は、敵わない相手が意外すぎて
言葉を失いました。
そういえば母に聞いたことがあります。
実母の死は、突然のことだったし
死因も聞かされず、遺影すらなかったこと。
すぐに新しい継母が来て
もう実母の話は口にすることさえ
許されなかったこと。
実母を突然失った悲しみを
感じることすらできず
なかったことにされた。
そのせいで、母の心の中に
永遠に実母の存在が残ることに
なったのです。
大切な人を失った悲しみは
しっかり感じきることができないと
乗り越えることができません。
前に進めなくなるのです。
母の大きな人格は、6歳のまま
止まってしまっていたのです。
母が、祖母のことをどうして
あんなに慕っていたのかもわかりました。
継母は冷たく、あまり家事も
しない人だったので
母にはずっと、まともな母親が
いませんでした。
結婚して祖母と同居するようになり
どんなに意地悪で厳しい人でも
母にとっては、料理などを
初めて自分に教えてくれた人。
祖母を母親代わりに思ってた
と思います。
実母を亡くした上
継母はネグレクトだったので
母にとって最も恐ろしいのは
自分の目の前からいなくなることと
無視されること。
祖母にどんなに意地悪されても
ボコボコに殴られても
いなくなったり無視されるよりは
うんとましだったんです。
だから、高校生の時
私より祖母を選んだし
祖母の晩年は、まるで
自分の母親かのように
最期までおばあちゃん、おばあちゃん
と一生懸命介護をしていました。
幼い時の母の記憶がないのは
放置されていたからだったんです。
心の交流がないと
母親が目の前にいても
いないのと同じなので
記憶に残らないのです。
母親が目の前にいるのに
無視される。
それは幼い子にとって
もっとも堪えること・・
私は6歳の時、母親を喪失
してしまったのです。
その時母の心の中には
永遠に敵わない実母がいました。
幼い子どもの感受性って
すごいんです。
6歳の私は、すべてを
感じとっていたんですね。
現実的にも
強力なライバルの兄
母にとって母親代わりの祖母
もいましたので
母にとって、私は一番最後。
(このパターン、
恋愛で繰り返してきたのも納得です。)
目の前にいる私をないがしろにしている
自覚はなかったかもしれないけど
なぜ母の意識が全く私に向かなかったのか
今ならよくわかります。
母は生い立ちがあまりにも
過酷だったため
自律神経が異常な状態でした。
ずっと交感神経が高すぎる
過緊張という状態。
気を抜いたら敵にやられるという
戦時中のような神経の状態。
この状態だと
不安なものにしか意識が向かなくなり
一旦「この子は大丈夫」と思うと
完全に意識の外になり
放置になってしまうんです。
お兄ちゃんのことは
ずっと心配してたけど
私のことは安心していたと
母は言っていました。
このままだと
ずっと放置されてしまう・・
生存の危機を感じた
7歳の私は、最後の手段として
歩けなくなるという症状を出し
母の意識をこちらに向けようとした
のでしょう。
じつは、母にとっても
私が歩けなくなった出来事は
実母を失ったトラウマ体験の
繰り返しだったんです。
「歩けない」
という症状の深層心理には
前に進めない
もう生きていたくない
というメッセージが隠れています。
私は、当時の母の深層心理を
「歩けなくなる」という形で
完璧に再現していたのです。
つまり、母が実母を失った直後
7歳の時の姿をそのまま
わかりやすく映し出していたのです。
こんなふうに
子どもって、お母さんが
過去に抑圧してきた本当の感情を
様々な形で表すものなんですよね。
だけど肝心の母は、私のお世話は
祖母にまかせきり。
働きに行かされていたと言うけど
家にいる時間くらい
大丈夫?と声をかけてくれたり
そばにいてくれてもよかったのに・・
母にとっては
私がどんなに寂しい思いをしてるか
わからないんです。
私の気持ちをわかろうとすると
実母を亡くした時の
強烈な悲しみが蘇るから。
その悲しみを決して
感じないように、固くフタをして
いたから。
自分のトラウマに
フタをしている限り
目の前の子どもに向き合うことは
決してできないのです。
こうやって
トラウマは連鎖していきます・・

6歳で母親を失う
という強烈な体験をした私は
その後の人生でも
12年周期で形を変えて
同じ体験を繰り返していました。
12年後、18歳。
うつになった年です。
この時私は
自分には何の価値もない、
もう生きていたくない、
という感情を感じていました。
この感情は、6歳の時と
全く同じだったんです。
お母さんが目の前にいるのに
自分を無視するというのは
それはもう、幼い子にとっては
死にたくなるほどのつらさなのです。
そして、その12年後。
30歳。
好きな人が突然死した年です。
今度は
大好きだった母親を失う、
というリアルな体験でした。
敵わない相手、新しい彼女は
母の実母だったんですね・・

もちろん、この繰り返しも
こうやってちゃんと気づいたら
終わらせることができるのです。
毒親って言って
親を恨んで責めるのは簡単かも
しれないけど
それだとずっと終わらないんですよね。
私は、親を恨むことよりも
仕組みを理解することに
エネルギーを注ぎました。
親の背景や連鎖の仕組みを
深く理解できるようになったおかげで
私はものすごく俯瞰して、淡々と
向き合うことができました。
だからと言って
感情を抑圧することもありません。
むしろ、思いっきり出せるのです。
悲しみ、怒り、恐怖・・
たくさんたくさん解放しました。
感情って
ちゃんと感じることができると
そのエネルギーは外に出ていくんです。
電池と同じで、使えば減る。
そしたら、もう二度と繰り返さない。
こうして私は
いつまでも目の前の現実に悩んで
同じようなループを繰り返していた
人生に、終止符を打つことができました。
✻ ✻ ✻
本当に、繰り返ししか起きてない・・
やればやるほど
同じことしか出てこなくて
ほんとにびっくりしました。
もう一つ驚いたのは
子どもの感受性、共感能力のすごさ。
7歳までの子どもは
私たち大人とは全く違う感覚・
意識の状態で生きている。
大人たちの深層心理まで
すべて感じとっている。
だからこそ
ものすごくつらいんです。
つらすぎて
忘れちゃうんですけどね。
でも、体には感情のエネルギーが残る。
だから、何度も繰り返す。
とてもつらい感情かもしれない。
強烈なトラウマ体験かもしれない。
それを見ないまま
繰り返しのループにはまって
一生を終えることもできる。
でも、感じることで
終わらせることだってできる。
私たちが、肉体を持ってこの世界に
生まれてくるのは、感じるため
なんです。
それがポジティブなものであれ
ネガティブなものであれ
感じたくて生まれてくる。
だから本当に
「感じる」と、人生が好転するんです。
感じた先の世界は
本当に素晴らしいものでした。
人生の闇がきれいに晴れ
希望に変わったところで
1年間メンターのもとで向き合った
トラウマ講座は修了。
次回はいよいよ最終話
「本当に、終わったんだ・・」
に続きます。。

