8月から続いて、横浜時代にお世話になった方々3人の

訃報。


8月末、あと数日で日本に一時帰国という日、横浜時代、以前

書いたことのあるトロピカーナで、よく一緒に飲んだEさんの訃報が

届きました。


今思うと、タイに来る前の横浜時代の私はひとりで寂しくて、

そんな時、トロピでいつも元気で陽気なEさんと会うと、とても

楽しい気分になったなぁ、と懐かしく思い出す。

今でも陽気な話し声や笑顔が鮮明に思い出せます。

活動的で面倒見の良かったEさん、お通夜、告別式に来た

人の数が、お坊さんがびっくりするほど多かったのだと、

後から聞きました。



横浜時代、ある事がきっかけで、外国人労働者を支援する

ボランティア団体で、ボランティアをしていました。

最初にこの団体に連絡を取って、説明会に行ったときに、

対応してくれたのが、Kさん。


10月はじめ、Kさんの訃報を知りました。

Kさんはこの団体の中心メンバーのひとりで、外国人

労働者の人権を守るために、活動していました。


旅行好きで、バンコクでも何度かお会いしたけど、いつでも

今外国人のこんな案件を抱えてます、とお話していたのを

覚えています。

Kさんもとても面倒見の良い方でした。

ご家族の方が、世界中にこんなに沢山の友人がいて慕われて

いたのかと、驚かれたそうです。



そして、2日前、T.Kさんの訃報。

T.Kさんは、私が横浜で仕事をし始めてすぐに知り合った

方で、歳は30以上上だったけど、音楽を通じて今までずっと

お友達のようにお付き合いしていただいた方でした。

事業をされていて、お忙しいのに、私が日本に帰ると、

いつも会おう!と言ってくれる、本当に優しい方でした。


9月に日本に帰った時も、私が横浜にいたときに、

中華街のジョージさんの店で待ってるね!と言ってくれた

のだけど、私は終電で帰らなくてはと、その日会うことができません

でした。


来年の帰国の時は会おうね、と言っていたのに。


年に1度だけ帰る日本で、何で終電で帰らなきゃなんて、

何であの時会いに行かなかったんだろう、と後悔しています。



Eさん、Kさん、T.Kさん、笑顔ばかりが思い浮かびます。

皆さん、面倒見の良い方でした。


どうもありがとう。


もう会うことは出来ないけど、私の心の中にみなさんがいます。



ものすごい偶然から、この世で出会えた人との時間を本当に大切に

しなくては、とあらためて思いました。



そして、私も、いつまでも面倒をみてもらう立場でなくて、

今度は今まで自分がしてもらったことを、年下の人たちに

して、返していかなくてはいけない歳になってきたのだと、

思いました。