こんにちは。

アセンションの時期に突入していることもあって、私自身も様々な記憶から来るメンタル的な痛みや苦しみを体験中なのですが、一番の課題はやはり家族のことです。

我が家では、私以外の人間はスピリチュアルな事柄というか、目に見えない物事については、一切信じる気配すらなく、当然私が日々奮闘していることについても一切理解していません。 そういったスピリチュアルな事柄に関心がない人でも、ホ・オポノポノの理論であれば、理解し易いかと思って、一度話したことがありますが、残念ながら、無理でした。

それ以来、本当に家族の中でも一人、また、周囲にそういった事が理解できる人が一人もいない環境をなぜかわざわざ選んで孤軍奮闘しているので、その大変さというのは、本当に大変だ、と感じてもいます。

今までは、家族の課題については、そういった様々な問題のある家族を選んで、自ら望んでこの家庭に生まれてきたのですし、環境についても同様に私が選んでいます。 そこまでは知ってはいますが、やはり霊的な、あるいは先祖からの因縁であるとか、自分自身の過去生から来ているものだけでなく、この家系全体の持つ何かや、環境に対して先祖代々の人々が行ってきた不徳のような事柄については、まだまだ自らリーディングできたりする訳ではないので、

悩んだりすることも多いです。
そこで、「愛しています」と言ってみたり、ブルーソーラーウォーターを飲んだりしてみたり、クンルンで瞑想をしたり・・・といろいろトライしているのですが、私の中では、どうしても家族とのしがらみについては、乗り越えられそうもない、というのが、本音で感じていることなのです

まあ、そういった泣き言もクリーニングを続けていくしかないな、とも感じますが、やはりもう何十年もその記憶から離れられずにいると苦しいと感じるのが、人間として当然なのかもしれません。

家族については、自ら選択してきたのだから・・・・と、あくまでも私がこれから先も家族を背負っていこうと思い続けていました。 でも、ふと、その思いこそがもしかしたら神様からみたら、全く違う方向へ向いてしまっていたのかもしれない、と思ったのです。

世間一般から見れば、家族を健康な私が面倒を見ていくのはすごく当然のことであるし、そうしていかなくてはならない、という逃れられない宿命的な義務感のようなものが、私の中から家族のことを手放せないようにもさせていたと思いますが、それを選択し続けていたのも、私です。

でも、神様見れば、そういった頭で考えることには限界があり、真実もまた常識の中にはないことも多いんですよね。 家族の面倒をこれからも見ていくことが、魂の道として与えられている人もいるだろうし、そこをあえて断ち切って、自らの道を歩むことが本来の道である人もいると思います。

自分がはたしてどちらの道を歩むべきか、全く分かりませんが、今までのやり方や考え方のままでは、今までと同じ繰り返しとなるのですから、もしかしたら私の場合は、あえて家族とのしがらみを一切断つことが、本当の自分としての魂の道を歩むことになるのかもしれないな、と思ったのです。

今でも、全く自信はありませんが、どこか頑張っても堂々巡りをしているだけのような人生から抜け出すためにも、一度トライしてみる価値はある、と思いました。

まずは、家族から離れてみる、ことからスタートしたいと思いますが、そういう時に限って経済的な課題も残されていて、すぐには無理・・・なんですよね。  でも、すぐには行動に起こせなくても、そういう道を行ってみようと決めて、これから動いていこうと思っています。

とにかくどこから手を付けてよいのか・・・・と思うし、不安もたくさんありますが、もう残されている道はこの道しかないように感じているのです。  やはり「きょうだい」として生きている者の最大の人生の課題なのかもしれませんね。 生物学上の家族との問題って・・・・。

考え方としては、ひとまず家族の問題については、神様に委ねる、ということです。

最終的にどうしても私が家族の面倒をもう見なくてはならない、という状況が来れば、その時は自分がどのような状況にあろうとも必ず戻ってきて、面倒を見るのだし、そういう時に私がそれでももう戻らないということはないのですから・・・・。

神様としては、もしかしたらそういう気持ちを持っていただけで十分だったのかもしれません。

こういったところは、同じ「きょうだい」としての立場である人たちには、分かってもらえそうに思います。