This is my Life -1545ページ目

やりたいこと - mami

むかしから、、ひとりで考えることが多いし、、、


結構やりたいことはいっぱいあってしかも頑固なもんで


一つに集中するとそればっかりになってしまって


つっぱしってしまうのがくせで。(・∀・)


だからおねえちゃんとはいっぱい喧嘩もしたし


ぶつかりあってきた。



在日韓国人。わたしがそう、、在日


子供のころはわからなかった。生まれたときから在日ってなんだろう


なんで私はそんな風に呼ばれなきゃいけないのかもわからなかった


学校通っている時も、、まみはなんで日本語はなせるのって、、


そんなに流暢ではないが話せていた。なんで話せたのかその時は


答えられなかった。在日ってなんだろう、、って


小学生のときはそれでよくいじめにもあっていた。



ようやく中学高校にはいってからそれが何なのかわかって


自分は韓国人でも日本人でもないということをわかったしまったから


毎日の生活はあまりかわらなかったけど、、ちょっとつづそんな


自分がいやになってきていた。


高校時代演技をやりたいってお母さんと大喧嘩したことがあって


どにかく私のわがままでお母さんをなやませてしまって



そのときの自分はただ華やかで有名になることがあこがれだった



演技をするというよりただつづけてればなんとかなるだろう、、って



お母さんは才能もないしごく普通のあなたには不可能っていわれていた



高校生って結構反抗期な時期で、、とにかくお母さんを悲しませてた



悪い娘で、、いっぱいお母さんを泣かせてしまった



今考えるととんでもない親不孝で、、申し訳ない気持ち、、、、



ちゃんとした日本人でも韓国人でもない私にとってなにが大切なのか


なやみ続け日本に行くことを決心した。


不安だらけで、、何をしていいのかわからないままでの日本っていう


新しい環境に必死になれようとする私がいて。


そんな不安をみせたくないからより強気で、明るく積極的に友達を


いっぱいつくりはじめた。友達を作る時も 私は韓国人であることを


恥ずかしく思ったことは一度もなかった


逆にそれを恥ずかしいと思うじたいおかしいけど 今の時代は


私にそんな不安をすぐになくしてくれた。


昔はね。いろいろ差別とかもあって、、歴史とかいろいろからんでくるけど





実際療法の国で言われるのは「おまえはいったいなにじんだ」って言うおと


一番嫌いだった言葉でもあり今では一番自分をいうときわかりやすい言葉



今はだいぶなれてきてるから、、誰がなにを言おうと大丈夫。



今は自分のことをまっすぐ信じていくしかないから、、



これからの自分になにがおこるかわからないけど、、でも今しかないから



前へすすむしかない。