4月になると


通勤電車で

毎年気付くことがあります。




朝や夕方の

ラッシュ時



ぎゅうぎゅうに見えても


吊革に掴まっている人の

列と列の間


車両の真ん中は

空いているものです。



慣れた人は

そのスペースに

入って行きます。





余談ですが


この吊革のない

センターの部分にも


吊革つけてください


と、鉄道会社に

要望を出したことが

あります。





さて、


この季節

そのスペースに入って行くと


は?

何俺(私)の後ろに

立ってんの?

邪魔!



という顔をする人が

ある程度います。




まさか

ここに入ってくるとは

想像もしていないのでしょう。





ああ、

春だなぁ

と感じます。


春の満員電車の

洗礼ですね。



頑張れ。

新社会人。

新入生。





譲り合えば

もっとたくさん

乗れますよ。









今日もありがとう。

我が家には

16歳になる犬がいます。




身体はとても元気だけれど

これらの機能が

かなり制限されています。




はっきり見えるのは

周囲数十センチ


我が家への道を

間違える


呼び掛けても

聞こえない



など


できないことが

増えてきました。





でも

だからといって


ヒトのように

不安になったりはしないし


将来を心配したりはしません。





ご飯の時間になれば

ワンワンと要求しますし


トイレに行きたくなれば

行っておしっこします。




水を飲みたくなれば

飲みに行くし


お散歩にも

ウキウキと出かけます。






生きものとしての

生き方として


なにか負けてるなぁ


と思わざるを得ません。






ヒトにはヒトの

役割があるだろうけれど


現在のの全ての条件を

受け入れる姿勢には




ただ頭が下がる想いです。







ヒトは

確かに特別な存在

かもしれませんが



生きもの

である以上




生まれて

死ぬだけ





ということも

忘れないように

したいものです。









今日もありがとう。

母は


軽度認知障害

(認知症の前段階)


である。





実は

自分個人としては


こうしたラベルを

つけるのに

(つけられるのに)

抵抗があるのだが


ラベルがついていないと

「治療」はできないので

少しだけ

妥協している。




さらに言えば

治療もどうかと思っている。





それはさておき




最近

母に事件が起きた。


道に迷ったことだ。







母いわく


いつもは

自転車で向かう病院へ

歩いて行ったら


途中でわからなくなった


とのこと。





なんとか

たどり着くために

いろいろ努力したようだが


最後は

タクシーに乗ったそうだ。



それでも

予約時間には

間に合わず


病院側をやきもき

させてしまったようだ。



母も

とっても焦っただろう

と思う。


タクシーを思いついて

よかった。


事故もなくて

よかった。






後日

病院の方に

伺ったところによると


その日は

受け答えも

あやふやだったようだ。





それで

私の連絡先を

繋ぐことになったのだが。









これから

こうしたことが

少しずつ

少しずつ

増えていくのだろう。





ともかく



母の人生が

しあわせでありますように。











今日もありがとう。






今年から

近所に小さな畑を

借りたのですが


そこまで裸足で

歩いて行ってみました。




以前から

興味はあったのですが


裸足で生活する


ことを

やってみることにしました。



というのも、


最近

裸足生活が

自分の耳に入ってくることが

多くなってきたからです。






冷え症なので

寝るときは靴下と湯たんぽ。


普段はもちろん靴下履き。




それを

畑まで5分


アスファルトを

裸足で歩いてみました。




感じたことは、


足の裏が痛い


のはもちろんなのですが、



それを身体全体で

受け止めている


のを感じました。




痛みを散らす

というのか


分散する

というのか





身体全体で

調整して

適応している


そう感じました。



本当に

人間の身体はすごい。






もちろん畑でも裸足で

作業してきました。


土の感触が気持ちよかった!






30分後に

靴で歩いていて

さらに感じたことは


身体の中が

調っている


という実感です。





まっすぐ

氣が通っている

感じがしています。





これから

少しずつ

裸足で歩く時間を

増やしていこうと思います。










今日もありがとう。

若いときから



便利すぎるのは

良くない




なんとなく感じていました。






少し手間がかかる

時間がかかる


それくらいの方が

いいのにな



と思っていました。







では


「よい」とは

どういうことか?


なんて考えたことは

なかったけれど






生物として

ダメになる



という危機感みたいなもの

を感じていたんだなぁ

と思います。







要するに

生き物としては

動かなすぎる


ことへの

恐怖みたいなもの


動けなくなるのでは

という怖れ



そういうものかなぁ

と思います。







そうかといって


運動のための運動では

意味がないし


身体にとっての

いい動き


にもならなそうです。





運動が好きな人は

もちろんやると

いいと思いますが


本当は


生活の中に

組み込んであると

必要な身体が

できそうです。






一方



ヒトは

改善をしたい生き物

でもあるから



大きな脳を

持ったときから

こうなるのは

決まっていたんだろうなぁ。






いま、


めんどくさい

不便だ



と感じるものが




意外と大切だったり

するかもしれません。








毎日

布団の上げ下ろしを

しているのも


きっと大切。









今日もありがとう。