えみこです


 2013年の日本帰省で買った本の中に


 こんなのがあります。



  

わたしのままでママをやる/WAVE出版
¥1,470
Amazon.co.jp


 これに帯がないので

 

 ちょっと分かりにくいのですが


 これは精神科医である斉藤学先生の対談本です。



 一部の対談相手は「よしもとばなな」さん。


 そして二部の対談相手は

 

 なんと!中村うさぎさん(ママじゃないってば!)


      内田春菊さん


      倉田真由美さん


 というむちゃくちゃなメンバーです。




  ママの人もいますが、ママじゃない人もいて


  そして、またこれが飛びぬけて「変わった人」だと


  自他共に認めながらも


  その発言が注目されている女性たちばかり。


  本としてももちろん面白い内容だったのですが


  一部の頭に


  よしもとばななさんの小説の一部が抜書きされていました。





  本当にひとり立ちしたい人は、


 なにかを育てるといいのよね、


  子どもとかさ、鉢植えとかね。


 そうすると自分の限界がわかるのよ。


 そこからが始まりなのよ。  (キッチン)




  であったり、




  「愛されてるってこういうことなんだな、


   『この人に触っていたい、優しくしたい』


   そう思ってもらうことなんだ」と


  私は体でおぼえている。


  だから偽ものの愛には体が反応しないように、


  きちんとできている。


  そういうのが「育てられた」っていうことなのだろう。


                       (みずうみ)



  とか




 いつでもおへそをあったかくして、


 頭に血がのぼらないように


 心も体も力を抜いて、


 お花みたいに生きてね。


 それは権利なの。

 

 生きてるうちに必ずできることなのよ。(みずうみ)



 であったり



 こんな風に、いくつかの彼女の小説からの抜粋がありました。



 私はこの文章を読んで


 『家庭生活」を送る


 ということの意味が、大変この言葉の中に


 まとまっていると思い、感心しました。



  キッチンなんかはよしもとばななさんが


  ごく若い時代に書いたものですが


  なぜその若さでそれが分かったのだろうか?


 

 まさに私自身が、


 子どもを育ててみて分かったことの一つ、


 まさに、 子どもを育てることを通して


  「自分の限界がわかる」という体験がありました。


 

  自分のちっぽけな自尊心というか


  それは後で考えると


  ただのくだらない優越感だったにすぎないのですが


 それが、何度も何度も崩れて、


 そこから立ち上がるということの連続が


  「子育て」のなかにありました。



  先日、同じように三人の子どもを育てたママが


  「自尊心が傷つく」という言葉を


   発したのをみて


  「え~と、子ども三人をある程度大きくしてみて


   いまさら、『自尊心』って何か残ってられるだろうか??」


  と不思議に思ったのです。

 

  私なんか子どもに『馬鹿』とか言われてますからね。



  つくづく自分って何にもできないんだ、、、という無力感を

 

  子育てを通して、実感しました。


  そしてすべてはそこから。


  『正しい現実認識」から


  はじめることしかできないというのも


  事実であると思います。


  そしてそこから始まった人間は


  とても「強く」なれるのだと思います。


 


 


  それをさすがによしもとばななさんは、あの若さで


 さらっと文章化してしまっていた。


  あらためてすごい才能だなあと思いました。




  このブログでは、「実用書」の紹介が多いのですが


  「こころ」を感じる、「その世界に浸る」ためには


  「小説に触れる」ってことが

   

  とってもいいことではないかと


  私は個人的に思っています。



  私が考える、感じることは

 

  私の育った家庭生活が土台になっていて


 そして、それは


  かなり『いい人に恵まれた家庭だった」ということが


  成長した後分かりました。



  先日、あるタバコをすっている女性が


  「小さい頃から周りのオトナがみんな吸ってた」と


  言うのを聞いて


  『私のまわりでタバコ吸ってる大人ってほとんどいなかった」


  といったら驚かれました。


  私の周囲のオトナは、


  父からして飲酒喫煙の習慣がなく


  叔父たちも「子どもの前では吸うもんじゃない」という

  

  抑制の効いた人が多かったようです。




  私は「家庭の味」というものを


  かなりふんだんに吸収して大きくなったのだと思います。


  で、それが、結局今、自分の子育てに


  かなりいい影響を及ぼしているのでしょう。



  昨日私は夫に


  「あなたに自分の子どもを育ててもらって本当に良かった」と


  言われました。



  私は


 「そんなことを言うなんて!


  もしかして夫の死期が近いとか?」


  と驚いたのですが



 「いや、ほんとに。あなたの性格が安定しているからこそ


  うちの子たちは、ああいう育ち方ができたのだと思う。


  もし、自分だけだったら、こういう風には育てられなかった。」と


  夫が私に言いました。


  うちの夫の家庭事情は複雑でしたから。




  家庭生活がどんなものだか


  想像できない人がいると


  私はオトナになってから知りました。

  

  そしてそれが自分の子ども時代に欠落していた人は


  せめて、それが描かれた「小説」を手にとることで


  それを埋め合わせる手助けになるのでは

 

  ないだろうか、、と思うのです。


  甘いかもしれませんが。



  自分が『本」にたくさんの影響を受けた立場から


  言わせてもらうと、それは決して無理なことではないと


  思うのです。



 私の「暖か家庭生活子ども時代」にも


 結構罠があって、


 そういう家庭で育ったからといって

 

 ノーマルに健全に成長するというわけではありません。


  教育の結果なんて、いつどうなるか、私たちには分からない。


 どの家庭にも、長所があれば、短所があります。



 私などは親が『立派ないい人」であったため


  親の望むいい子であろうとする傾向が


  あまりにも強いという特徴があります。



  親元を離れたら、その場の「管理者」の意思に従おうという


  異常なほどの心理的同調行動が起こります。



 これがあるために、いいこともありますが


  結局「空気を読もうとしすぎて


   自分の気持ちを 置き去りにする」という


   つらさもあるのです。



  ということもいえるので


  一概に「暖かい家庭」だけがすべてではないと


  思いますが、やはり自分が母親になってみて


  そういう家庭で育った恩恵は大きい。


  もしそれを得たいと思う方は


  それらの小説にどうぞ触れてみてください。


    (えみこ)