いつからだろうか、

「この辛さ、わかって!」

「あたし、こんなに苦しいの!」

「あたし、こんなに頑張ってきたの!」

そんな思いを誰かに理解してもらおうという

執着を手放したら、ラクになった。


家族だから、わかってくれるはず、

友達なら、わかってくれるはず・・・

そんな風に誤解していたけど

今は納得がいく。


【わかる人はわかるし

わからない人にはわからない】


家族、友人、そんなくくりも関係なくて

相手がどれだけ、その人のことを考えているかなんだと思う。


人間誰でも自分のことは大事。

でも、大事にしてもらえないと

自分には価値がないのでは?とか

無意識に感じてしまい

【大事にしてほしい】と躍起になると

心無い人たちは、遠ざかっていく。

めんどくさいから。


しかも、よりによって

その理解されない相手に対して

理解してもらおうと躍起になるので

どんどん苦しくなる。


離れていった人は、追わずにいる方がいい。

だって、理解できないのだから。


本当に心配してくれるなら

見切ったりしないはず。


自分を大切にできる人は

他人を大切にできる人。


平気で人を見切ったり出来る人は

自分のことも、大事にできない人なんだと思う。


だって、相手を見切ったってことは

自分を見切られることなんだから。


うーん、なんかよくわからなくなってきたな・・・


今まで、あたしは簡単に諦めたくなので

何事に対しても、一生懸命にやってきた。

理解されなくても、必死になった。


でも、加減というものが大事なんだとわかった。

すぐに諦める人もいるし、

うつ病なんかで苦しまない人もたくさんいる。

それをわかってくれって言ってもわからないんだ。


相手を選んで、伝えることが賢い選択なんだと思う。

差別とかではなく、見極めるってことかな。



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