こんにちは(*^ー^)ノ


9月もそろそろ下旬、ようやく涼しくなり“秋”を実感しはじめています。


秋分の日だった昨日、私はお墓参りに行ってきました。


山の中です。


車で移動している時、たまにシカやイノシシ、キジなどに遭遇します。


最近ニュースでも、全国各地で登山者などがイノシシや熊に遭遇してしまった話題が取り上げられていますね。


車に乗っていれば動物の方が逃げていきますが、それでも遭遇すると冷やりとします。


自然とうまく共存していきたいものです。


山には昔から神様が宿ると言われています。


地域によって祀り方や名称は違いますが、山の神は一般には女神であるとされており、かつて女人禁制となっていた場所が多いのは、嫉妬心から禍が起きないようにと考えられていたからなのだそうです。


妻帯者の男性が、夜の酒席などを断るときに妻のことを「かみさん」と言うのは、ここから比喩されてきています。


山の神さまと同じく、昔から女性を怒らせたら怖いということなのでしょう・・・(;^_^A


そんな山の神さまは、農業を営む人の間では、春になると山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという1つの神に山の神と田と神の2つの霊格を見る信仰があります。


一方、山に住む人々にとってはそのような観念はなく、自分たちの仕事の場である山を守護する神さまであり、常にその山にいると考えています。


この山の神さまは1年に12人の子を産むとされており、山に暮らす人にとっては産土神でもあります。


このため、12月12日や1月12日など、12にまつわる日は山の神さまが木の数を数えるとして、山に入ることが禁止されており、現在でも東北や北海道地方において12月12日(一部で1月12日)には山林での作業を一切行わない林業者の慣習が残っているようです。


このような自然崇拝の一種で山を神聖視し崇拝の対象とする山岳信仰は、日本だけでなくチベットやネパール、ペルーなど世界の多くの地域にも存在します。


仏教においては、世界の中心には須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられており、日本では空海が高野山を、最澄が比叡山を開くなど、山への畏敬の念は強くあります。


また、日本では山岳信仰と太陽信仰が結びついているため、山自体の信仰に加えて、山頂から早朝に拝まれるご来光を非常にありがたいと考え、山頂に達することも重要視されています。


一方、チベット仏教では聖なる山は信仰の対象ですが、信仰は山自体に捧げられ、その山に登るのは禁忌とされる場合が多く、同じ“山”でもところ変われば受け止め方は違うようです。


昔に比べると登山は容易になり、世界各地にさまざまな人が訪れますが、その土地の信仰や慣習を知らずに禁忌を破ったり、ゴミを放置する等の環境マナーを守らなかったりするなど、山岳信仰を尊ぶ地域住民の感情を害する事実もあります。


山に限らず知らない土地を訪れる時は、前もってその地域の慣習を調べたり、マナーを守ることを心がけたいものですね。


ところで、日本の最高峰は言わずと知れた富士山、世界最高峰はエベレストですが、では、太陽系最高峰はどこの山かご存知ですか?


答えは火星のオリンポス山です。


エベレストの3倍程度に相当し、周囲の地表から約27,000mあるそうです。


富士山はオリンポス山のカルデラにほぼ収まります。


将来、オリンポス山を登山する人が現れるのでしょうか・・・。


“山”を数秘術で見てみると、7が現れました。


静かに精神世界をみつめ、世俗から超越した考えや俗に染まらない純粋性があり、孤独に探求していく高潔な数字です。


この数字を持つものは、自身が学んだことを人々に伝えわかちあい共に学んでいくという他者を啓発する使命があります。


同時に、精神的に束縛された人、社会的に束縛された人、自由を奪われた人たちを解放させる力があり、スケールの大きな博愛を実践する数字でもあります。


ハート数に現われた2は、 共感力や優しさを与え、芸術的なものや美しいものに惹かれます。


訪れた場所や時間帯によってそれぞれ違う趣きを見せてくれる山に私たちは飽きることがありません。


科学的にも自然の中にいることは健康によいとされますが、科学が証明しなくても山には不思議なパワーが宿っていると信じたくなる何かを感じてしまいます。


秋のレジャーシーズン、山へ出掛け心身ともにリフレッシュしてみられては如何でしょうか♪