(1/29のFacebookの記事を転載)

どうやら私、
的確に報連相する力が
あるみたいなのです。

報連相筋(今、つけた)(笑)

それは、
ある人へのイライラがきっかけでした。


最近、上の階から水漏れがあり
大したことにはならなかったのだけど

キッチンの蛇口と
ユニットバスの手洗い蛇口も
老朽化が進んでたので

管理会社に電話して
交換してもらうことになりました。

管理会社に電話して
まず、翌日に一人、来てくれました。

そして
「修理部品がないので、交換ですね」
と言ってくれて

管理会社から連絡があり
そのあと、違う業者から電話があり
今日、その業者が来たのですが

部屋の中の写真を二枚撮って
水漏れした棚をはかって
お風呂の上の隙間をのぞいて

ってだけでした(笑)

しかも、この業者さん、
ピンポンしてから自分の名前を名乗らず

「漏水したと聞いたのですが」
と言われたから、私から

「〇〇さんですか?」
と聞くことになったり

キッチンとユニットバスについて
前の人に伝えたのに
また説明させようとするから

「聞いてないですか?」
って聞いたら
「メール来てました」
って言うし

『あれ、今日工事じゃないの?』
ってメール見たら
「下見で伺います」
って書いてあって

『前に電話したときに言ってくれよ…』
『あのときはバタバタしてて
 聞かなかった私も悪かったけどさ』
と思ったんだけど

これだけ、私がモヤモヤしたのは
私なら当たり前にやることを
やってもらえなかったからだな、

ってわかったのです。

クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー

誰かにとっての当たり前は
他の人にとっての当たり前じゃない。

知っていたけど、

私は、私が思っているよりも
事実を、ことばとして、
やり取りすることに、慣れている。

それは
『感じちゃった』ということではなく

『必要な情報をいかに正確に伝えるか』
『誤解されやすいところを省くか』
ということに
特化してきたのかもしれない。

報告するときはむしろ
主観は入れません。

必要ならば
「私はこう感じたよ」
も追加します。

やろうとしてなかったけど
いつしかできるようになってしまった。

デパートの販売員時代に培われた、
報連相筋(笑)ですね。

相手へのリスペクトを持ちつつ、
相手が知っていたほうがいいことを
伝えていく。

これは実は
今も続けているゲームアプリでも
発揮されていて

誰かとの話を
他の人に報告するときに

その人が知っておくべきポイントを
しぼって連絡して

「このことは伝えてあります」
って伝えたら
とても、喜ばれたのです。

別のところでも

途中から来た人に
それまでに伝えられたことの中から
必要な情報をお伝えしたとき

「ものすごいわかりやすい」
と褒めてもらってるのです。

私にとっては
当たり前の申し送りなんだけどね。

あぁ、

こうやって、当たり前にできることを
思い出すことができるんだから

今日、私をモヤモヤさせた人にも
感謝しかないよね。

明日も来ることになってるのだけど
今日の失敗を活かして
聞きたいことはメールしてあります。
(まだ返信来ないけども)

ま、明日は
今日よりフラットに見られるから
問題ないのですけどね\(^o^)/

だって

私が当たり前にできることは
私の才能だから

相手にもそれを求めるって
意味がわからないじゃん。

それを求めたとして、
誰が幸せになるの?

自分がちょっと誇らしくなるだけで
誰も幸せにならないよね。

だから私は
才能について、伝え続けてるのだ。

自分の才能を自覚することは
世界に優しくなることだし

誰かの才能にも
気づいてあげられることにつながるって
確信しているから💕